第46話
2階にあがるとある部屋の前で穂苅君は足を伸ばして座っていた。不機嫌な顔で見上げてくる。
「遅せぇよ、何話してたんだよ」
「ごめんね、歩夢君のことを話してた」
「ふぅん」
興味のなさそうな気の抜けた返事をする。よっと立ち上がって部屋のドアを開けた。
「ここが俺の部屋」
両側の壁には本棚がありびっしりと隙間なく本が並べられている。真ん中には布団とミニテーブルが置かれている。テレビやゲームや雑誌、漫画は見当たらない。小説のためだけの部屋といった感じだ。
「本当に本が好きなんだね」
「友達を呼ぶ時はこの部屋には呼ばないで弟の部屋を借りてる。ずっと片付けてないからゲーム機も漫画もあるしな」
「僕が初めて入った客?」
「お前なら本を乱暴に扱わないって信頼できる。あいつらガサツだから何でもおもちゃにしたがるんだ」
穂苅君は苦笑いをして小説の背を撫でて歩いた。この数ある本はほとんどもらいもので、自分で選んで買ったのはほんのわずからしい。
父親から、母親から、弟から、ネットで知り合った小説仲間から贈られてきたもの。1番多くくれたのは、父親。
「幼稚向けの本もあるだろ? 誕生日、入園式、入学式、こどもの日、クリスマス、イベントがあるごとに親父は小説を買ってきてくれたんだ。それが今じゃなくなって仕事ばっか。家にいたくないんだろうな」
穂苅君はふああと大きな欠伸をして古びた知育絵本を1冊引っ張り出し、本を開いてボタンを押すとハッピーバースデーのメロディが流れた。
この部屋は思い出と宝物が詰まった宝箱。持ち主以外立ち入っちゃいけないのに、僕は入ることを許された。
ここは彼の心の中。
「これから、おれんちどうなるんだろうなぁ」
僕はもう未来を恐れる必要はない。
これから生き続ける穂苅君ともうすぐ終わる僕の間には、分厚く透明な壁がある。その距離が歴然としているからこそ、せめて彼の未来が幸福であることを強く願う。
コンコンとドアを叩く音がした。控えめに半分だけドアを開けたのは穂苅君の母親。泣いた後で目が赤くなっている。
「なんだよ」
「……クッキー」
「は?」
「クッキー焼くから、できたら食べに来て」
それだけを言ってドアは閉められた。僕達は一瞬の出来事にぽかんと口を開いていた。そのうち穂苅君が吹き出す。
「クッキーて、作ったことないくせに。絶対焦がすだろ。いきなり何なんだよ」
どんよりとした空気が浄化されて、ふっと体が軽くなるのを感じた。さっきの僕との会話で母親の心が突き動かされたのなら、ここに来た意味はあった。
できたクッキーは形が悪く焦げてはいたけど美味しかった。
来た時は閉ざされていた雨戸とカーテンがいつの間にか開けられて、部屋にはやわらかい陽の光が当たっていた。母親はまだ進めないと言っていたけど、ちゃんと進んでいる。
僕はもう進むことはできない。自分のことを棚に上げて母親に偉そうな話をしたこと、どうか許してほしい。
穂苅君、心配いらない。きっとこれから上手くよ。
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