第41話

そうこうしているともう夜をまわった。まだ腹が膨れていたので夕飯は抜きにして、風呂に入って部屋の机に向かった。まだ2行しか書いていない遺書。何を書いたらいいのかわからないけど、あの男性宛に感謝の言葉を綴っておこうと思う。本人までこの遺書が届く確証はないが。


22時。遅い時間に着信音が鳴ってからだが跳ねる。相手は昼に別れた穂苅君だった。


「よう、遅くに悪い」


声の調子はいつもと変わらない。元気になったのだろうか。


「大丈夫だよ。今家にいるの?」


「いや、お前ん家の前にいるんだ。ちょっと話せるか?」


まさか。冗談だと思って窓のカーテンを開けて門の方を見る。


本当にいた。街灯に照らされた穂苅君は、こっちに手を振っている。なんてことだろう、度肝を抜かれた。


「ま、待ってて。すぐ出る」


一階へおりると祈さんのいる部屋は電気がついていなかった。物音もしない。疲れて眠っているのだろう。起こさないように靴を履いてそっと外に出た。


「こんな時間にどうしたの? どこかに行くつもり?」


また親に黙ってどこかに行こうとしてるんじゃないかと疑いの目をかける。


「心配すんなよ、ちゃんと親には言ってきたから。ま、喧嘩中だったし聞いてたかは知らんけど」


「また街に行くの?」


「行かねぇよー。昼間いたあそこは夜には不法地帯だぞ」


彼のは肩を竦める。そして僕の後ろにある家の方を指した。


「あの子は寝たのか?」


「うん、今日は出かけて疲れたみたいだ」


僕は慌てて口に手を当てた。しまった、祈さんが家で暮らしているのをついうっかり白状した。


穂苅君はにやにやと厭らしく口角をあげる。


「やっぱり一緒に住んでたか。ただの関係じゃないと思った」


「確かに、そうかもしれない。でも穂苅君と花房さんみたいな好きあっている関係じゃないよ」


「ふぅん、訳ありか。別にあの子がお前の何なのかなんて言いたくなかったら言わなくていいけどな。寝てるならちょうど良かった。二人で話したかったんだ。美術室で話した以来だなぁ」


自転車のカゴに積んである物を僕に手渡してきた。目を凝らしてよく見る。それは昼間、彼を探し出してから渡したもの。山野先生が拾った小説が書かれたくしゃくしゃの原稿用紙だ。



「お前にやる」


「どうして? だって、これは君が時間をかけて書いた大切な物語だろう? せっかく本人に返せたのに」


「いいんだ、お前の彼女に言われて色々考えたけど、やっぱり親よりも先にお前に読んでほしい」


昼間に祈さんが説得した、うるさくて聞き取れなかった内容を教えてもらった。


あなたが興味を持たないから、相手も興味を持たない。弟さんの影を引きずっているのはあなたも同じ。自分は悲しみに耐えているのに親はいつまでも前に進めないでいるから、ずるいと思ってる。鬱憤が溜まってどんどん親が憎くなってあなたの方から遠ざかっているんじゃないかな。このままじゃ手遅れになる。まだ間に合うから話をして、聞いて、自分が何に夢中になっているかを伝えて。せっかく生きてるんだから。


「図星で反抗できなかったなあれは。そうだよ、俺は親の気を引きたくてわざと悪いことをやったんだよ。ガキだよなぁ、帰ったら二人にしこたま怒られたわ。なんか久しぶりに面と向かった気がする」


両親に怒られて不機嫌そうに語るが、どこか嬉しそうだった。


「ちゃんと話せた?」


「まあな、お返しに毎晩喧嘩がうるせーって言ってやった。あと鬱陶しいからいつまでも弟のことでうじうじするなっても。これでちっとはマシになるといいんだけどな。あーすっきりした」


彼を見て、生前僕ももっと親子喧嘩をしておけば良かったと後悔した。


悲しみの5段階であの日彼は抑うつと受容の間だと言った。夜風に当たり気持ち良さそうに背伸びする彼からは抑うつの気配はこれっぽっちもない。知らぬ間に受容したんだ。だから同じ悲しみを持つ人を慰められる。なんて強い人なんだろう。彼が頭の中で構想を練って書いた小説を読んだら、僕も強さをわけてもらえるんじゃないかと自己暗示的な閃が浮かんだ。


「小説さ、何日かけて読んでもいいから。読み終わったら今度こそ親に読ませるよ。つまらない小説よりつまらないかもしれないけど」


「面白いから一晩で読むだろうね」


「読む前から世辞はいらねえよ」


「僕はこれを寝ないで一晩で読み上げた人を知ってる」


「……山野先生か」


人が捨てたものを勝手に読むだの夜更かしは美容の敵だのぶつぶつと悪態つくが、まんざらでもないようだ。


「そうだ、待ってて」


僕は玄関に戻って脇に置いてあるゴミ袋を漁り、過去に描いた絵を取り出した。それを穂苅君のところに持って行く。


「これ、掲示板に載ってたやつだろ」


「君が惚れてくれた絵を、一度捨てたんだ。……何もかもが嫌になって。良ければもらってほしい」


「なんだよ、ゴミのぶつぶつ交換かよ」


僕達はお互いに似たようなことをしていたのがおかしくて、心の底から笑った。


「俺と弟はさ、時々海に行ってサーフィンをやったんだ。だからこの絵と重なるんだよな。……帰ってもまだ喧嘩してんだろうなぁ。うるさくて眠れやしねえ」


帰りたくなさそうな彼の気持ちがわかる。毎晩親の喧嘩でお互い罵る場面を目撃しているんだから、反抗的になるのも無理はなかった。


「じゃ、そろそろ帰るわ」


「良かったら泊まっていく?」


キッとペダルを踏み込んだところで彼を呼び止める。


「いやいやいやいや、いきなり来てそれはない。あの子も起きちまうぞ」


「結構眠りは深い方なんだ。ちょっとやそっとの物音じゃ起きない。同じ部屋で寝てるわけじゃないし、大丈夫」


「お前らどんな関係なんだよ?」


「ストレスで小説に影響が出るのが心配だよ」

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