第39話
そうだったのか。いなくなったのを知って心配していたのか。
穂苅君は両親から愛されていることがわかってすごく安心する。怒りの感情は全部身体から抜けていって脱力した。
「それでも穂苅君のこと好きなんですね」
祈さんは花房さんへストレートに感想を伝えた。答えにくい質問にしばらく花房さんは腕を組んで唸っていた。
「そう、だね。代わりの人は他にいないから」
僕はまだ花房さんに聞きたいことがあった。
もし穂苅君が死んでしまったら、君は後を追うの?
花房さんは馬鹿げてると言って笑いそうだ。もしそうなったら穂苅君の分まで長く生きるって自信満々に答えるに違いない。
カップルは付き合っているうちに似た者同士になるのだろうか。穂苅君も花房さんも、大切な人がいなくなった世界を生きていく。そんな気がしてならない。
答えはわかりきっている。だから馬鹿げた質問はしなかった。
どんなに精神学の本を読んだって人の心は完全に読めない。上辺ばかり取り繕って、自分を隠したまま誰かに依存していないと生きていけない人もたくさんいると思う。あの二人はお互いのことを理解し合っている。きっと良い部分も悪い部分も全部ひっくるめて好き合っているんだ。
僕の中で卑しい嫉妬の芽が生えてきたがすぐに摘み取った。誰かを恨めしいまま終わるのはごめんだ。
「きっかけはどうあれ生まれて初めてゲームセンターに行った。人探しでも二度と行きたくはないね」
爆音を聞いた祈さんの頭はまだぐらぐらしていた。僕も後頭部に鈍痛がある。
「鼓膜に亀裂が入っていないか心配だ」
腹の音が鳴る。空の腸内を空気が移動した。音が聞こえた祈さんはくすりと笑う。些細な音を聞き取れた彼女の鼓膜は無事なようだ。
出てきた時、店内の壁時計は15時を回っていた。そういえば今日はまだ何も食べず行動している。この頭のだるさは空腹のせいでもある。
「安心したらお腹が空いたね」
「家に帰ったら作るよ。何が食べたい?」
「毎回悪いし、疲れたでしょ? すぐ食べられるものを買って帰ろう」
賑やかな中心街に来ることはもうないかもしれない。名残惜しさもありつつ、無意識に僕らは徘徊した。大通りから逸れて裏路地に入る。自然と足が進んだ先に既視感のある建物。洋館だったのをレトロなカフェに改装したのだ。目立たない場所で客足も少ない。僕と母さんが好きだった店。
「素敵だね。こういう雰囲気は好きだよ」
幸いにも気に入ってもらえたらしい。
「せっかくだから寄っていく? ナポリタンが美味しいんだ」
「それはぜひ食べてみたいな」
「じゃあ決まり」
青い木製のドアを引く。爽やかなベルの音がした。店内にはアンティークな家具にぼんやりとした優しい光の照明器具が備え付けてあった。客も三人しかいない。さっきのゲームセンターとは真逆の静かな空間。
「いらっしゃいませ。二名様ですね」
顎髭を生やした男性店員が席を案内してくれる。窓側の席で敷地内に植えられた綺麗な草花がすぐに見えた。
「やった、特等席だ」
祈さんはご機嫌でメニュー表をめくる。連れてきて良かった。
おすすめは以前と変わらず懐かしのナポリタンだ。これとアイスコーヒーを2つ注文することにした。
そのうち、店員はお冷と一緒に一口サイズのチョコレートを何個か皿に乗せて持ってきた。
「素敵なカップルの方限定です。どうぞ」
「あっ、いえ、僕らは」
「ありがとうございます。いただきます。それから注文いいですか?」
「はい、かしこまりました」
僕の訂正の声を遮って祈さんはスラスラと注文をする。店員は満足気な笑みを浮かべて会釈した。
「ごゆっくり」
惚けてる僕を気にせず祈さんはさっそくチョコレートを頬張った。
「美味しい。レジのところで売ってるみたいね」
「悪いよ店員に嘘ついちゃ」
「だって仕方ないじゃない、相手にはカップルに見えたんだから」
確かに同年代の男女が二人でカフェに入れば98パーセントくらいは恋人同士に見られても仕方がない。ただ、僕らの関係は。
「私達の関係は曖昧で難しい」
思っていることを口に出された。考えてるのは同じだった。
「男子と女子、利用者と提供者、人間と人造人間、今と未来。私と叶崎君は対の位置にある。近くて遠いの。他の人にはそれがわからない。ああして私を普通の女の子と勘違いしてくれる人がいるだけで、少し救われた気持ちになるんだ。わかってくれる?」
彼女の言葉は重い。肉眼ではちょっと手を伸ばした場所にいるのに、実際は遥か彼方にいる存在。偽物の命。自分がたった一人のために造られた命だってことをどう受け止めているのか。本当は、父親と母親の元に本物としてこの世に生まれたかっただろう。
「そうだね、祈さんは女の子だよ。昨夜は、抱きついてごめん。そうしないとおかしくなりそうだった」
「私がおっさんでも抱きついてたの?」
「未来の大切な人がおっさんて、どんな心境かと疑うよ」
「確かにね」
「祈さんは、今こうしていて悲しくはない?」
「人がいっぱいいる所だと惨めにはなるよね。私はこの人達と違うんだって。面白い想像するとさ、どこかの研究員に正体がばれて実験のために収容されるんじゃないかってハラハラしてる」
「……怖いこと言わないでよ」
「冗談冗談」
笑って誤魔化してはいるけど明らかに本心を言った。彼女は嘘をついた時鼻を人差し指で搔く癖がある。それも私は大丈夫、私は平気と遠慮をする時ばかり癖は出現する。
「だったら僕も人と違う。命を生命終了支援センターに預けてる。心臓がないのと変わらない。そして短命だ。祈さんは自分と僕が同じだと言ったね。僕も今ならそう思うんだ」
最初の日と比べて人間らしくなっていく彼女。都合良く作られて必要なくなれば消される。不完全で儚い命。終わりを目の前にした僕は空から槍が降ろうが化け物に追われようがもう何も怖くはない、ただ、僕のために生まれ僕のために死ぬ運命にあることを彼女が恨んでいたら、嫌だ。
「一緒にいる時間は無償でもらってる。でも祈さんには助けられてるから恩を返したいし運命共同体は避けたい。僕の身体を使って本物の人間として生きられないかな? 生命終了支援センターは身体を譲り渡すことくらいできそうだけど」
僕の代わりに叶崎颯介として生きていけば、
契約終了後に消滅しなくて済むんじゃないかという無茶苦茶な提案。
しかし首を縦に振ってもらうことはなかった。
「生まれたなら最期まで自分は自分でしかないの。だからそんなことは不可能。可能だとして、私は性別も姿かたちも他人に変えてまで何のために生きていかなくちゃいけないんだろう? ただ生きればいいってもんじゃない」
静かな怒りが含まれた声。軽率な発言をしたことをすぐさま「ごめん」と謝った。
気まずい空気が流れる中、店員はできたてのナポリタンとアイスコーヒーを持ってくる。
「お待たせ致しました。ごゆっくりお召し上がりください」
美味しそうな匂いが嗅覚を刺激して唾液が出た。祈さんも陰鬱とした顔から一変して、目を輝かせながらナポリタンを見下ろす。
「いただきます」
フォークとスプーンを器用に使って口に運ぶ。美味しい、ぜんぜん変わっていない味。
美味しいねぇ、颯介。
はっと顔をあげて前の席に座る人物を見る。ほんの一瞬、記憶が蘇って母さんが口にケチャップを付けて微笑んでいる姿が過ぎった。瞬くと、幻は消えて可愛らしい女の子がそこにいた。
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