しょっぱいナポリタン
第35話
6月19日土曜日。
昼前頃にゆっくり起きて、洗面所で顔を洗っていると固定電話が鳴る。久しく聞いた音にしばらく反応が遅れた。一体誰からだろう。
母さんの知り合いか。死んだことがわからず「元気?」なんて聞かれたら気が滅入る。ただでさえ「母さんは死にました」って口に出したくないのに。いいさ、その時はいないとだけ言えば。あと5日もすれば電気もガスも水道も止める。そしたら電話は繋がらなくなるんだから。
「もしもし」
「あ、叶崎颯介君? あたし同じクラスの花房明莉。急にごめんね、連絡網見て電話したんだ」
声と名前を聞いてもいまいちピンとこなかった。顔が浮かばない。クラスの中にいたようないないようなうろ覚えの子。僕になんの用があるというのだ。
「えっと、何か?」
「ノリが遊びに行ってないかなって」
「ノリ?」
「穂苅紀貴。最近仲いいじゃない? もしかしたら一緒にいるのかなって」
家にはいないことを花房さんに伝えるとひどくがっかりしたような溜息が聞こえた。
「あたし、ノリの彼女なんだけど、昨日から連絡つかなくて。どんなに気分屋でも必ず毎日一文字は交わしてたの。全然返事が来なくて、一応家に電話出たらあいつのお母さんが出てね、一晩帰ってないみたいなの」
事故。真っ先に浮かんだろくでもない単語。受話器が汗で滑り落ちそうになる。高校1年生の男子が一晩帰らないっていうのはよくあるものなんだろうか。それならそうで心配は軽減される。しかし、花房さんが言うには、穂苅君は黙ってどこかに行くことはまずないらしい。
「行先は教えてくれる人なの。友達に聞いてもわからないって。自由気ままな奴だから大丈夫って言い張るし、もちろん大丈夫だとは思うけど心配で。探すのも叶崎君しか頼れないっていうか……」
もし、穂苅君の身に何か良からぬことが起きていたとしたら、僕は自分を疫病神と思わざるを得ない。関わってくる人が皆不幸になるんだから。
「わかった、僕も探すよ」
「ありがとう! 見つかったら連絡できるように携帯番号聞いていい?」
花房さんはゲームセンターやネットカフェなど行きそうなところを探す。僕は美術室を見に行くことにした。高確率でそこにいるはずだ。
試しに数回彼に電話をしてみるが出ない。携帯の電源を切っているらしい。
嫌だな、あの日がフラッシュバックする。
母さんに繋がるために、携帯と家電に何十回も電話をかけた。心臓の音でコール音が聞こえなかった。とてつもない焦燥感。
白い布に覆われた顔。二度と開かない窪んだ瞼。真っ青な肌の色。駄目だ、どうしても重なる。
ふっ、ふっ、はぁ、ふぅと短く息を吸ったり吐いたりする。強いストレスが呼吸リズムをめちゃくちゃにしてうまく立っていられなくなる。
「叶崎君、大丈夫。私がいる」
気づかないうちに傍へ来ていた祈さんは、前屈みになっている僕を覗き込んだ。
ふっと不安が消えていく。だんだん呼吸のリズムが安定して苦しくなくなった。額の汗を手の甲で拭って、ゆっくり瞬きをする。
祈さんの声は、いつしか僕にとって鎮痛剤と同じ作用を持っていた。これは万能薬より効き目がある。
「話せる? 何かあったの?」
「穂苅君が、どこに行ったのかわからない。昨夜から」
まだカタコトでしか話せなかったが、単刀直入に出来事を説明できた。
祈さんは身につけていたエプロンを速やかに外す。
「行きましょう」
「祈さんも?」
「当たり前じゃない、また気分悪くなったら大変だし。探す人数は多い方がいいでしょ?」
有無を言わさないうちに祈さんは玄関で靴を履いた。それに続いて僕も急いで財布と家の鍵だけを持って外に出る。
祈さんも協力してくれるのは助かるが、ここで問題が起こる。
「たぶん、美術室にいると思う。ただ、自転車が1つしかない」
母さんの使っていた自転車はタイヤが劣化して潰れ、あの日を最後に使えなくなってしまっていた。
「やっぱり祈さんは家に……」
「後ろに乗せて」
祈さんは自転車をまたいで荷台に座った。
「二人乗りはやばいでしょ」
「自転車の2ケツは道路交通法57条2項に基づいて道路交通規則で原則違反だよ。でもそれは『人間』が二人で乗った場合。私は人間じゃないもの」
「自虐的だね。こんな時に人間であることを否定するなんて」
僕の都合に合わせたただの言い訳じゃないか。
「もし警察がいたら私は消滅して逃げるから大丈夫」
「縁起でもないこと言わないでよ」
腹を括って二人乗りで学校に行くことにした。祈りさんはとても軽くて、一人で漕いでいる時と重さは変わらない。低身長で小柄だから当たり前なんだけど。
辺りに気をつけながらなるべく早くペダルを回す。どこかで誰かが隠れ見ていて通報されたら大変だ。いっぺん、悪いことをしてみたいなんて思ったことも過去にはあるけど、これは洒落にならない。早く学校に行って、穂苅君の安否が確認できればそれでいい。
すぐ下を見ると、白くて細い両腕が僕の腰をぐるりとしがみついている。祈さんも威勢が良い割に怖がっているのか、しがみつく力が強くて、僕の背中に身体を密着させている。
「大丈夫? 動悸が激しいみたい」
「自転車を、一生懸命漕いでるから」
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