沈む部屋
第27話
6月12日土曜日。
パラパラと雨粒が屋根に当たる音をひたすら聞いていた。6月の梅雨。雨が降ったおかげで幾分蒸し暑さがましになる。まだ昼間なのにベッドに寝転んでサナギのようにじっと動かないでいる。
さっきまで眠っていた。ろくでもない夢を見たので浅い眠りだった。
最近よく夢を見る。走馬灯の一種なのか。
内容は、幼稚園の頃に同い年の子のおもちゃを壊してしまって、黙っていたら女の先生に怒られた夢。
なぜ黙っていたのか問われて、僕はその子に嫌われたくなかったからと答えた。自分のしたことを隠したせいで尚更嫌われてしまったけれど。
その頃からちっとも成長してない。サナギのまま一生を終えるのだ。
雨音に混じって2回ドアを叩く音がした。
「叶崎君、入るよ」
返事をしないでいると祈さんが静かに部屋に入ってきた。片付けてベッドとテーブルとタンスくらいしかない部屋はこざっぱりしていて広く感じる。誰に見られたってかまわない。
でも、祈さんと話したくなかった。事実、あの男の子を憎んでいないわけではないから。同類である祈さんと今話せば、彼女まで憎んでしまいそうになる。
「昨日は、海原先生のお葬式で疲れたよね。少しはご飯食べないと」
短期間の内に、身近な人の葬式にまた行くなんてなかなかない経験だ。自分が疫病神に思えてくる。
おかげで黒と白の縦縞模様が嫌いになった。あとは体に染み付いた線香の匂い。
葬式に来たのは学校関係者と先生の友人。生徒は僕と穂苅君と美術部員だけ。棺に入った先生の顔は、肌が青白いことを除けばただ眠っているようだった。
焼香の時、先生への思いは空っぽだった。表現しきれないほどの喪失感、置いてきぼりにされた気持ち、悲しみ、感情をまるごと殺して、どうせもうすぐ僕も焼香される側になると開き直っていた。
絶望に絶望を重ねるくらいなら、6月28日に設定しないで早く命を終わらせれば良かった。そしたら先生を送り出す前に向こうの世界で待てたのに。
「海原先生は、どこに行っちゃったんだろう」
息を吐くように漏らした声を祈さんは聞き逃さなかった。
「私達は行ったことがないから、一概にどんな場所かはわからない」
「なら、もう行きたい」
横向きになって体を丸く縮こませて、両腕で顔を覆う。この精神が疲れた身体では見るのも聞くのも喋るのも億劫だ。早く楽になってしまいたかった。
「僕は、先生を救いたい一心で男の子に手をかけようとした。感覚が麻痺してる。いくら本物の人間じゃなくても生きてるのに……殺そうとした」
実際には手をかけていなくても、一瞬でも殺意が心の底から湧き上がったのは間違いない。殺人者と同等の罪を背負ったのと変わらない。
「君と同じ仲間を、殺そうとしたんだよ。でも、できなかった。殺したくないのと、先生に嫌われたくなくて、結局何もできなかったんだ」
「契約解消の方法は、利用者の『祈』を殺すことだったんだね」
見なくても重みでベッドが沈んだのでわかる。祈さんが足元の方に腰掛けた。
「私も憎い?」
「……わからない」
「私が叶崎君の立場だったら、憎くてしょうがない。目を合わせて話そうともしないかもね」
僕の心理を読み取って代弁する彼女。逆に僕は彼女の心理がわからない。少なくとも、仲間を殺そうとした僕を怖がらずに近くで接してくれている。
「一度設定した日を早めたり遅めたりすることはできない。それに6月28日は、君の誕生日でしょう?」
「……卒業アルバムか」
「プロフィールに書いてあった。もし私との生活が苦痛なら、支援センターに電話をして消滅の手続きをしてもいい。……私だって君が辛そうにしているところを見たくない。料理を美味しそうに食べて、ちょっと幸せな顔してるところを見たいから。もし契約を取り消したくなったら私を」
「祈さん」
彼女の言葉を遮って名前を呼ぶ。これから何を言おうとしたのかはわかっている。だから言わせなかった。
本当の名前を知らないこの人は、今もどこかで普通の生活をしている。自分を犠牲にしてでも他人の幸せを考えながら生きているのかもしれないと、祈さんを通してイメージした。
「今日は、生きるとか死ぬとか、殺すとか消滅するとか、考えるのはやっぱりよそうと思う。わがままでごめん。祈さんは、ただ傍にいてくれるだけでいい。また少し眠らせて」
「……わかった。私も、少し横になっていい?」
「いいよ」
背中合わせで祈さんが横たわる。普通なら体温を感じて暑くなるところだけど、祈さんの背中はひんやりとして心地良くて、でも鼓動がなくて寂しい。
先生は父親と同じ病気で命を終えて、気持ちがわかったのだろうか。満足しているのだろうか。死後の世界で父親に叱られていないだろうか。
この子にまた会ったらよろしく。
最後のあれは、本物の男の子に会え。つまり、僕に生きろというメッセージ。
ずるいよ、卑怯だよ先生。
再び雨音だけ聞こえる空間に戻る。深い海の底に沈んだ、四角い箱の中にいる想像をしながら僕達は眠った。
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