第26話
処置が落ち着いて、医師から告げられたのは明日まで持たないかもしれないこと。先生は天涯孤独で親戚も誰もいなくて、病院に来てくれる人もいない。あらかじめ延命処置をしないことを、自ら医師に伝えていたらしい。
「叶崎!」
治療室の前の椅子に座っていると、連絡をした穂苅君が慌ててやって来た。美術室で初めて話した日、お互いの連絡先を交換しておいて良かった。
「お前、今日学校休んだの見舞いに来てたからかよ! 俺に言ってくれたら一緒に行ったのに!」
「ごめん、勝手なことして」
「過ぎたことは仕方ないけどよ。その子は? 先生の親戚?」
「親戚、みたいだよ」
男の子は先生に何が起きたのか事態が把握出来ず不安そうな顔でそわそわしている。今すぐこの子を消してしまえば、契約取り消しで先生は助かるかも。この細い首に両手を回して締めてしまえば、先生は___
「処置が終わりました。付き添いの方は中へどうぞ」
治療室から出てきた看護師さんの声で我に返る。僕は、今とんでもないことを考えていた。人としてやってはいけないことをしようとしていた。魔が差すとは恐ろしい。心臓がバクバクと速く脈打ち、体の末端が熱くなる。
穂苅君と男の子の後ろを付いて中に入る。酸素マスクとたくさんの管に繋がれた先生は、仰向けで寝ていてかろうじて意識があるようだった。
「おー、穂苅君も、来てくれたかぁ」
マスクをしているせいで声が篭っていたけど、先生の力強い声はいつもと変わらない。さっきより目の焦点は合わず、僕達をあまりよく見えていないようだった。あまりの変化に穂苅君は戸惑いを隠せていない。それでも普段通り陽気に声をかける。
「びっくりさせないでくれよまったく、昨日の元気はどこいったんすか。先生学校に来ないと俺、土日美術室使えなくて困るんだよな。他の先生じゃ融通きかないしさー」
「わははは、ごめんごめん。すぐ治すから勘弁してくれ」
男の子は先生の手を掴んで心配そうに見つめている。
それからしばらく何も語り合わず、機械音だけが鳴り続けた。穂苅君もかける言葉を探そうとしている。僕は先生を見るのが辛くて俯いて自分の足先を眺めていた。
「叶崎君」
ふいに呼ばれた声に反応して顔をあげる。先生は目を閉じて笑っていた。
「また明日も、二人でおいで。待っているからね。それから、この子にまた会ったらよろしく」
また明日。未来のあるその言葉は僕達にこの上ない安堵を与えた。明日も明後日も、それどころかこれからも学校で先生に会える気がした。
「はい、また会いに来ます」
だから僕はこう答える他なかった。満足気に微笑んだ先生を見たのはこれが最後。
ピッピッピッピッ。
先生の心拍を表した機械音が耳に残っている。
明日また見舞いに来る約束をして僕達が帰った三時間後に、先生は息を引き取った。
後に知ったことだけど、息を引き取った今日はちょうど先生の父親が亡くなった日らしい。
先生が息を引き取るまで傍にくっ付いていた男の子は、音もなく煙のように姿を消していたそうだ。
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