第24話
長椅子に腰掛けて、背もたれがあるせいで最初は気づかなかったけど、左隣にはさっきおじいさんが言った通り小学生くらいの男の子もいた。
「海原先生!」
引き離すべきだ、と本能的な勘が咄嗟に働いて自分でもびっくりするほどの大きな声を出していた。周囲にいた人も何事かとこちらの様子を伺っていて、一気に注目を浴びる。
名前を呼ばれた本人も、目を丸くして振り返った。
「叶崎君!?」
昨日来たばかりで、しかも連絡なしに朝から見舞いに来た僕に愕然しないわけがない。
「あれ、えっ、君学校は?」
「……先生、すいません急に。どうしてもお話したいことがあって」
「話? あ、ああ、もちろん聞くよ! えっと、どうしようかな」
隣に座る男の子と僕を交互に見てオロオロしている。まるで、見られちゃまずいものを見られたような。前にドラマでやっていた、浮気現場を奥さんに見られた夫の焦る顔に似ている。
「取り込み中にすいません。その子は?」
半ば睨むように男の子について尋ねる。すると、答えに困った先生の代わりに男の子が元気よく挨拶してきた。
「はじめまして! ぼくはいのりです! せいめいしゅうりょうしえんセンターから来ました! よろしくおねがいしまっ」
挨拶の途中で先生が慌てて男の子の口を手で塞いだ。男の子はふがふがと息を弾ませてまだ挨拶を続けようとしている。
「な、何言ってるんだろうね! この子は僕の遠い親戚の子でね! わざわざ見舞いに来てくれたんだ! ゴホッゴホッ」
自分からいきなり名乗り出るとは予想もしていなかった。身構えていたのが馬鹿らしくなって、急に気が抜ける。男の子を敵視していたけど、あくまでも悪意のない純粋な子ども。先生にすごく懐いていて、きっと生命終了支援センターの意味もわからないまま先生の傍にいるんだろう。
いわば、何も知らずに生まれたアンドロイド。少しだけ、気の毒に思った。
歯を強く噛み締めた。握った拳が汗ばんでいる。
いくら本物の人間じゃなくても、生き物に変わりない。痛覚もあるし血も通っている。無垢に笑う男の子をいざ目の前にしたら、教えられた契約を解消する方法はやっぱり実行できない。
「大丈夫です、その子が何者なのか知っていますから」
殴ってでも首を絞めてでもして『祈』を再起不能になるまで傷つける。つまり、殺してしまえば先生は助かる。でも、こんなに小さな男の子を痛めつけるなんて僕には無理だ。
「知っているって、え? どういうこと?」
生命終了支援センターのこと、『祈』のこと、そして僕も利用していることを先生に話した。先生の顔はみるみる青ざめていき、今にも倒れてしまうんじゃないかってほど体調が悪く見えた。
「そうか、あの女の子も『祈』と名乗っていたから、まさかとは思ったんだよ。単なる珍しい苗字であってほしかった」
「だから隠してもわかるんです。……先生、どうして命を終わらせようとしているんですか? 僕はもう、これ以上大切な人が死ぬなんて嫌なんです」
「それは、僕の台詞だよ!まだ若い君が命を終わらせるなんて、大反対に決まってる! 大体お母さんが喜ぶと思ってるのか!」
本気で怒る先生に圧倒されても、食い下がるわけにはいかない。むしろ火がついて声を荒らげてしまう。
「先生こそ、いなくなったら困る人も悲しむ人がいるでしょう! 僕には誰もいないし、もう未来に希望をなくしたんです!」
「ば、馬鹿だ! なんてことを……」
言い合いをしている途中、ふとあの男の子がいなくなっていることに気づいた。
どこに行ったのかと辺りを見ると、一人のおばあさんが杖を倒してしまっていて、男の子はそれを拾って渡しているところだった。おばあさんに頭を撫でられて嬉しそうにしている。先生が未来で出会うはずの子。
あの子は、先生の未来の子どもじゃないだろうか。もし、先生が今死んでしまえばあの男の子が生まれなくなるかもしれない。そう伝えて思いとどまらせようとしたが、先に先生の方から口を開いた。
「言っておくけどあの子、僕の子ではないからね」
「あの子が先生の何なのか、もうわかっているんですか?」
「……話せば長くなる。とりあえず移動しようか。ここで話を誰かに聞かれたくないし」
先生は右手で点滴を、男の子は左手で携帯用酸素ボンベのカートを掴み、空いている手を繋いでどこかへと向かう。僕は親子のような二人の後を黙ってついて行った。
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