第19話

二人の教え子だけが見舞いに来ていると思ったのだろう。先生は眼鏡をかけなおして祈さんを不思議そうに見る。


「またお会いできて良かったです。今日は叶崎君とお見舞いに来ました。ご迷惑でしたらすいません」


先生ははっと思い出して満面の笑みを浮かべた。


「あぁ! 祈さんだね! いやいや迷惑だなんて、嬉しいですよ。どうもありがとう」


至って自然なこの会話なら、さっき穂苅君についた「以前私の学校の先生をしていた」という嘘がばれることはなさそうだ。すでに面識があって良かった。


「しかし、穂苅君と叶崎君がもう仲が良くなっていたなんて驚いたよ。昨日穂苅君から電話で二人が今日見舞いに来るって聞いたら、なんだか嬉しくなっちゃって。本当だったら僕が引き合わせようと思っていたんだけど一足遅かったね。知ってるかい? 穂苅君は君の絵をね……」


「あー、先生、それはもう本人に伝えてあるんだから言わないでくれよ。二度も言ったら恥ずかしいだろ」


「なんだ、自分の口から絵に魅力されたって言ったのか! 素直になったもんだ!」


「言うなって言ったでしょーが!」


穂苅君は照れ笑いをしながら先生を肘で小突いた。喋っている途中、一度も先生は咳き込まなかった。昨日入院したばかりだけど、随分状態が良さそうだ。治療も順調で、必ずまた学校に戻ってくる。わざと死ぬわけない、祈さんがおかしな勘違いをしているだけ。


僕はそう強く信じた。


短時間の見舞いは最後に饅頭を渡して病棟を離れた。先生は名残惜しそうにして手を振っていた。


帰りの途中、穂苅君は海原先生を敬うに至った経過を話してくれた。


弟が亡くなってから家庭環境が悪くなって、母親は家に引き篭りめそめそ泣いて、父親は仕事でなかなか帰って来ない。帰ってきても母親と言い争いばかり。両親とも穂苅君に関心がなくてずっと会話もしていなくて、食事も一緒にとっていないらしい。大好きな小説を静かに読むのも書くのも家ではできない。かと言って仲間がたくさんいる学校でも落ち着いて小説と向かい合う時間が取れなかった。


土日の休日に静かな場所を求めて図書館や公民館に行ってみたけど、周りに人がいて集中できなかった。


「本が好きなのかい?」


高校に入って間もなくのこと。本屋で偶然海原先生と会った彼は、無愛想に「普通」とだけ返事した。


すると、海原先生は絵も小説も芸術だと言った。誰かの頭の中で生まれた、2つとない物語が詰まっている美学だと。


「何でかな、そん時何でか俺の小説が褒められた気になったんだよなぁ」


薄暗くなった道を、ゆっくりと自転車をこぎながら穂苅君の過去を聞く。


「小説をやる場所がないって言ったら、美術室を貸して貰えたんだ。先生は土日休みでもわざわざ俺のために学校来て、部屋を開けてくれた。あんないい先生他にいないわ」


「そうだね、僕も先生には感謝してるよ」


「あー、マジで病気くそだな。……弟も病気だったんだ」


暗くて穂苅君の顔はよく見えなかったけど、声が少しだけ震えていた。咳払いするとまたいつもの元気な声に戻った。


「また見舞いに行こうぜ」


「うん、今日はありがとう」


「祈さんだっけ? 来てくれてありがとよ」


祈さんは控えめに頭を下げた。分かれ道でさようならをして、穂苅君は暗い道を一人進んで帰って行った。

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