第17話

カレーは予想以上に美味しくてぺろりと完食した。元々僕は食べる方で今のように食が細くなかったら三杯は余裕でおかわりできていた。一杯の皿で満腹になってしまうほど胃が小さくなっているのが悔しい。


食べ終わってから海原先生のことを祈さんに話した。彼女も具合いが悪いことに気づいていたようだ。


「苦しそうな咳き込みがこっちまで聞こえてきたから。そっか、入院したんだね」


食べるのがゆっくりめの彼女は、海原先生が入院したと知って更にゆっくりになった。たった一度会っただけの相手のことを想って気を落としているみたいだ。人の気持ちを汲み取って、まるで自分の問題かのようにとらえる。これは優しさ以外、当てはまる言葉がない。


「僕の命を終わらせる代わりに、先生を救うことはできない?」


無理難題な頼みごとをすると案の定首を振られる。


「悪魔の契約ならできていたかもね。残念だけど無理」


「どうしてもやりたいことと言っても?」


「やりたいことを叶えるにも限度があるよ。私は魔法使いじゃない」


正論を言われて僕は黙り込んだ。医学的なところで医者を信じるしかない。できることは、見舞いに行くことだけ。心の底から自分の非力さを嘆く。せめと、明日の放課後まで先生が喜ぶことを精一杯考えよう。


「でも、何で肺を悪くしたのかな? 煙草は吸うの?」


「いや、先生は吸わないよ。穂苅君が言うには、持病がなかったのに最近になって急激に悪くなったみたいなんだ」


実際、僕も驚いた。元気が取り柄の先生が肺を悪くして入院だなんて。学生時代は皆勤賞をもらっていて、インフルエンザになっても庭を走って体力作りするほど丈夫な人だって噂があるくらいだ。


「前触れもなく悪くなったんだね」


「そうだね、穂苅君が言うには、酷くなるまで先生は治療をしなかったみたい。そこも何でかわからない」


「わざと、治療しなかったの?」


「まさか。たぶん、忙しくてなかなか病院に行けなかったんだよ」


夕飯を食べ終わってカチャリとスプーンを置いた祈さんは、しばらく腕を組んで何やら考えていた。


「味、いまいちだった? 僕は美味しいと思ったんだけど」


「ん? ああ、違うの。カレーは美味しかったよ」


じゃあ何をそんなに悩んでいるんだろうと首を傾げつつ麦茶を飲む。眉間にしわを寄せて苦しげな表情をする彼女を見守った。食器類や空になった鍋を洗って拭き終えても腕を組んだまま動かない。集中したら途切れるまでじっとする。これも彼女の性格。


どんどん祈さんのことがわかっていく。喜ばしい一方で寂しさもあった。本来なら、未来で本物の彼女と過ごすはずだった時間。今日のように一緒に夕飯を作って、他愛ない話をして一日が終わる。そしたら明日がくる。捨てた未来のことを時々想像しては愛してしまう。往生際が悪くて女々しくて、呆れる。


「まるで、計画的に病気になったみたい」


彼女は悩み抜いた末、やっと口を開いた。待ちくたびれてテーブルに頬杖をついてウトウトしていた僕は一瞬どういう意味かわからなかった。


「祈さん、今何て?」


「ねぇ、私も明日お見舞いに行っていい?」


質問を質問で返される。寝ぼけ眼の僕はよだれを拭いて目を瞬かせた。


「えっ、先生の?」


「他に誰がいるの」


「まぁ……構わないけど。穂苅君にはなんて説明しよう?」


「そこは適当にごまかすから大丈夫」


「先生の見舞いで何かするの?」


付いてきて一体どうするつもりなのだろう。もしかして気が変わって先生を助けてくれるのか。


「覚悟して聞いてほしいの」


セピア色の瞳には、薄い涙の膜が張っている。瞬きを一度でもすれば、線を描いて涙が流れ落ちていきそうだ。


次の言葉によって先生を助けてもらうなんて淡い期待は砕け散った。


「私の予想が当たっていれば、海原先生はわざと病気で死ぬつもりなのかもしれない。明日はその真意を調べる。だから現実としっかり向き合って」

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