第15話
「おっ、来た来た」
1時限目が終わり、手紙に書かれていた通り屋上に行く階段へ足を運んだ。穂苅君はすでにそこに待っていて、嬉しそうに笑った。
「昨日貸した小説は読んだか? つまんないだろ? だから読んでるうちにぐっすり寝ちまうんだ」
祈さんの言った通り、わざとつまらない小説を貸してくれたらしい。
「よく眠れたよ。でも、どうしてわざわざここで?」
「だって教室でいきなり俺が話しかけたらお前目立つじゃん。そういうの嫌いだろ?」
ぽかんとしていると、穂苅君は焦れったいように頭を掻いた。
「だから、あえて声をかけずにわざわざ手紙を準備してたんだよ。余計なお世話かもしれないけど! 仲良くするにあたりお前の意見も聞かなきゃな。この通り俺、派手だからさ。目立っちゃうんだよ。教室でも絡んでいいのか、こうして裏で絡んでいいのか……それとも放って置いてほしいか」
確かに穂苅君のグループはクラス内でも一際目立つ。地味な僕と派手な穂苅君が仲良くしていたら必ず浮くに決まっている。
「まぁ、余計な世話だったら遠慮なく言ってくれや」
「そんな、余計な世話だなんて……。僕はてっきり、君にからかわれていたのかと思った」
「からかう? 何で?」
「だって、どうして、僕にそこまでしてくれるの? 今まで、その、話したことなかったのに」
穂苅君は両腕を組んで唸り声をあげ、段差に腰をかけた。
「そうだな、俺達、一切絡んでなかったもんな。母ちゃん亡くしたから同情してんだろって言われたら否定はできない。でも、前から話はしてみたいと思ってたんだ」
穂苅君が僕に興味を抱いたきっかけは、廊下の壁に掲載された絵を見てからだった。以前、美術部で市の小さなコンクールに応募して優秀賞をとった作品。2匹のイルカが夕焼けの中、大海原を泳ぐ絵。掲載されたのはほんの1週間くらいで誰も覚えていないと思っていたのに、彼はちゃんと見てくれていた。
「あのイルカの絵、一目惚れした。しばらくそっから動けなかったもん。作者は同じクラスにいる美術部の叶崎颯介。話しかけてみようと思ったんだけどなかなかタイミングがなくてな。きっかけがないのに急に話しかけたらビビるだろ?」
図星で僕はうんともすんとも言えなかった。彼の意図を知らなくて急に話しかけられたら、確かにかつあげか脅迫されると思ってしまうかもしれない。
「俺、見た目こんなだからさ。しかもこう見えてシャイだから」
「ぶっ」
おかしなポーズを決めて自分をシャイだと言う穂苅君が面白くて、つい吹き出した。
「おっ、笑った。レアだな」
笑った僕自身も驚いた。母さんが死んで以来、心の底から楽しくて笑ったことがなかった。この短時間で心を開ける相手はいない。屈託のない笑顔は、どうしても人を欺いているようには見えなかった。
「俺は将来作家になるんだ。書籍化したら表紙描いてもらうからな」
「そんな、表紙が悪かったら売れ行きに影響するよ」
「馬鹿、お前の絵がいいって言ってんだろ。売れ行きなんかどーでもいい。感動してくれるのが一人いりゃそれでいいんだよ。どうだ? 仲良くやってくれるか?」
「うん、もちろんだよ。ありがとう。でも、1つ君に謝らなくちゃいけない」
「何だ?」
「さっき言った通り、同情したから小説を貸してくれたり友達になったりするんじゃないかって、君のこと疑ってた。ごめん」
「いいっていいって。疑われるのは慣れてるからよ」
あっという間に10分の休み時間が過ぎて授業開始のチャイムが鳴った。まだ彼と話をしたかったが急いで教室に戻らなくちゃいけない。
「じゃ、教室でも普通に話しかけるわ」
「わかった、僕も声をかけるよ」
「そうだ、歩きながらでいいから1つ相談乗ってくれないか?」
早足で廊下を歩いて、穂苅君は僕に相談を持ちかけた。さっきまでの陽気な雰囲気とは反対に、彼の表情は曇っていた。
内容は、海原先生のことだった。彼も先生の体調に気づいていて、平気だと言い張る本人に問い詰めたらしい。
「叶崎だけには、本当のこと言うなって言われてたんだけど……」
先生は、全然平気じゃなかった。
「重い肺の病気にかかってるらしいんだ。今日、病院に行ったのはしばらく入院するからなんだとよ。肺だけじゃなくて心臓も弱ってる。明日に他の教師から生徒に治療のために入院することは伝えられる予定なんだけど」
治療が、難しいかもしれないとか学校に戻ってこられないかもしれないとか、弱気なことも言ってたそうだ。
先生が僕に言うなと言ったのは、母さんのことがあったばかりで今度は自分が病気だと知れば余計な心配をかけるから。大変な時に一人の生徒を気遣っている場合じゃないのに。
嫌な予感がぐるぐる渦巻いて立ちくらみを起こしそうになる。治療が難しいというのは、つまりどういうことだろう。
穂苅君の相談は明日先生の見舞いに行くが、良かったら僕も一緒にというものだった。
もちろん行くと返事する。今日は自分の寿命のことも忘れるくらい、先生のことで頭がいっぱいで授業は上の空で聞いていた。あの元気で溢れた先生の姿からガリガリに痩せて肌の色が悪くなった姿なんてどうやっても想像がつかない。
窓の外、快晴の空に雲が流れていく。風が強いようで雲は瞬く間に形を変えて遠くに消えた。
天国が空の上にあると聞いたことがあるけど、亡くなった人達はどこかでこちらを見守ってくれているんだろうか。
僕は目を瞑って祈る。
母さん、僕はもうすぐそっちに行く。でも海原先生はまだ行かせたくない。どうか、助けてください。
少し開いた窓から教室内に風が入り、僕の前髪を撫でるように流れていった。
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