先生の秘密

第13話

6月7日月曜日。


「朝礼にはまだ間に合うよ」


祈さんは風呂敷に包んだ弁当箱を差し出した。僕が今日学校に行くのを見据えて、朝早くに起きて弁当を作っておいたらしい。


「今日、行くのはまだ……」


まだ心の準備が。弁当箱を受け取ることに躊躇していると、祈さんは強引に突き出してくる。


「やりたいと思ったことはすぐやった方がいい。まだなんて言ってられないの。まだ、まだ。そう言い続けて結局何もしないまま終わるのは絶対に後悔するんだから」


「……わかった、行くだけ行ってみるよ」


祈さんの後押しで、僕はもう一度学校に行くことにした。昨日とはまた桁の違う緊張がある。まだ家から出ていないというのに心拍数があがった。


通学路には僕と同じように独りで歩く生徒や仲間と楽しく話しながら歩く生徒がいた。誰一人僕のことなど気にもとめていないのに、やたらと人目が気になって仕方ない。


小さな時からそうだった。


自意識過剰で、咳を1回しただけでも嫌な顔をされるんじゃないかとか、立っているだけで邪魔になっているんじゃないかとか、すごく周りに気を遣う。だから人一倍神経を使って疲れやすかった。


冗談を言われても本気にしてすぐ落ち込むから、周りもまた僕に気を遣った。


こんな面白みがなくて気疲れする奴に友達なんかできるはずがなかった。


仲良くしようって、言ってくれたのは穂苅君が初めてだった。


素直に嬉しい。しかし、もしそれが冗談だったらと思うと怖い。


学校に着いた。背中を丸めて俯きながら隅っこを歩いて校舎に入る。嫌なことが少しでもあったら帰ればいいだけ。


身寄りがなくて独りで生きていけるの?


何で死んじゃったの? お父さんはいないんだっけ?


大丈夫だよ、時間が経てば悲しくなくなるよ。


興味、関心、優しさは時に相手を傷つけるんだってことがこうなってからわかる。


教室に入ってもどうかそっとしておいてほしい。大人数に囲まれて哀れみの目を向けられたくない。僕は決して悲劇の主人公になりたいわけじゃないんだ。


「叶崎君!」


昇降口で靴を履き替えていると、やけに大きな声で僕を呼ぶ声がした。声の主はこっちに向かって手を振る。そのせいで他の生徒から一気に注目を浴びてしまう。


「いやぁ!来たんだね!良かった、先生嬉しいよ」


海原先生だった。相変わらずハカハカと息が荒くて汗をかいている。


「今日、部活はどうする? あ、無理しなくていいんだ。明日からでも明後日からでもいいよ」


「え、と、あの、しばらくしたら、また部活はやりたいと……。今日は授業だけ受けます」


周りの生徒が、海原先生に絡まれているのを見てくすくすと笑っていた。恥ずかしくて僕は両腕にかかえた鞄に顔を埋める形で返事をする。


「そうか、それでも構わないよ。また一緒に部活をやろうな。ゴホッ、……ゴホッゴホッ!」


「先生、前も気になったんですが、体調悪いんですか?」


家を訪ねてきた時より呼吸が荒くて咳き込みがひどい。唇も薄ら紫色だった。


「失敬、耳障りだったね。大丈夫、元々喘息持ちで、ここのゴホッ、ところ酷いだけ。これから早引けして医者に行くんだ、薬を飲めば治るさ。じゃあまた後で!」


海原先生は僕の肩を2回叩いて廊下を歩いていった。


熱血教師とはああいうのを言うのだろう。青春ものの漫画や映画なんかでは必要不可欠な存在なんだろうけど、現実では疎まれてしまう。裏で笑われて、臭いもの扱いされて。先生はわかってるはずなのに堂々としている。


なぜ、僕は先生と話しているところを笑われて、恥ずかしいと思ってしまったのだろう。


自分を心配して家まで訪ねてくれた恩師に対して、それこそ恥ずべきことじゃないか。

ひどく自責の念に駆られた。


僕も、堂々としていれば良かった。あと数十日の命、後なんてないんだから、周りなんて気にすることない。今までできなかったことは思い切りやればいいんだ。


両頬を手のひらで叩き、気合いを入れて教室に向かう。

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