思い出はゴミ袋の中
第7話
「誰か一人を好きになって、誰か一人に好かれることは生きる意味なのよ」
母の日にあげた赤いカーネーションが枯れかけている。それを見て、ふと母さんの言葉を思い出した。
何かを失った後は、空になった器に代わりのものを入れるか、空になったままかのどちらかだ。
ようするに、虚しさを埋め合わせるための何かを得るか得ないかの違い。
誤魔化して、そのうち綺麗に忘れる。それが本来なら一番幸せな手段なんだろう。
「あら、花瓶の水がなくなってる」
先程来訪したばかりの彼女は、気を利かせてカーネーションのささった花瓶に水を入れた。
「これでまた元気になるといいんだけど」
大切な人を失った後、僕の元に未来で出会うはずだった大切な人の姿をした何かがやってきた。
この先、誰にも必要とされることはないと思っていたけど、こんな女の子が未来で僕を待っているのだとわかって、少し心が揺さぶられたのが本音。
こんな僕にも、特別な人と出逢えるのか。
本物の彼女に会いたい気持ちが、絶対に湧き出てこないようにしなければいけない。
ほしいものを同時に手に入れることは叶わないんだから。
「センターに叶崎君の命が終わる日時を連絡しておいた」
「……どうも」
電話一本で終わるとは、やけにあっさりしている。お金だと10円玉で済む。命の価値なんてそんなもんか。事故で一瞬にして終わるくらいなんだから。
チクタクと時限爆弾が体に付けられたみたいだ。
契約を結んだ午後、祈さんは台所で何やら調理を始めた。
家の中を自由に動き回っても構わないとは言ったが、まさか調理を始めるとは予想もしなかった。
「あの、祈さん」
掃除機のような音がした。祈さんは右手にハンドミキサーを持っている。生前、母さんが使っていたものだ。
「何?」
ウィーンという激しい機械音よりも大きな声を出して会話をする。
「何を、作るつもり?」
「できてからのお楽しみ」
契約を結んだ僕達は、さっそく敬語をやめた。言葉に壁をつくるのを避けることからまず始めてみたのだ。得体が知れないとはいえ、女の子とまともに話したことがないせいもあってぎこちない。
訪問して調理をする、まるで家政婦みたい。
なんておかしな状況。
学校を休んで、女の子が家で料理をしている。もし、あの電話番号を見つけなければ、電話をかけなければ、今頃意気消沈して食事も喉を通さずに、衰弱してソファに横たわっていただろう。
僕はそわそわながら彼女の後ろ姿を見つめていた。華奢で僕より一回り小さい。どこからどう見ても普通の人間。
母さんの姿が重なる。台所に母さん以外の人間が立ったのは初めてだ。
そのうちいい匂いがしてきて、祈さんは鍋つかみを使って電子レンジから何かを出して皿に盛り付けた。
「パンケーキ作ってみたの。食べてみて」
飾り気のない、シンプルなパンケーキがテーブルに置かれた。カフェに出てくるようなふわふわ感に、いい匂い。形が完璧に整っていて美味しそうだ。
電子レンジでパンケーキができるものなのかと感心する。
いずれ、命を終わらせる相手に食料を渡す。まるで養殖みたいだ。すっかり肥えてからぱくりと食べられてしまう、そんな情景が浮かんだ。それを言ったら彼女は怒るだろうか。
「毒なんて入ってないよ。頬がげっそりしてるから、何か食べさせたかったの」
祈さんは心外だとでも言うように不機嫌な顔で両腕を組んでいた。
そういえば、まともに食事をとったのはいつだったっけ。
甘く、温かい香りが鼻を刺激すると、僕のお腹は盛大に鳴った。祈さんは勝ち誇ったように口角をあげる。この家に来て彼女は初めて笑った。
「……いただきます」
恥ずかしさで俯きながらパンケーキを一口食べた。
カフェで食べたものとは比べ物にならないほど、絶品だった。口の中いっぱいに甘みが広がって、咀嚼しているうちに溶けていく。あまりの美味しさに唾液が溢れる。
「美味しい、とっても」
「それならよかった」
「誰かから教わったの?」
祈さんは少し間を置いてから答えた。
「えっと、姉からみたいね。私よりもっと上手だって」
忘れちゃいけない、私というのは祈さんではなくて本物の女の子自身の話だ。名も知らない、いつ出会うのかわからない女の子のデータが、祈さんの中にインプットされている。どうやら未来にいる僕の大切な人には姉がいるらしい。
彼女はパンケーキを頬張る僕の正面に座り、みるみる空白ができていく皿を満足気に眺めていた。
「パンケーキ食べたくらいじゃ、生きる希望なんて湧かないよね」
あれだけ時間をかけて作ってくれたものを、無我夢中であっという間に食べたことが申し訳なかった。生きる希望が沸いたわけではないが、空だった胃袋が満たされて少しだけ気持ちが落ち着いた。
死ぬ前にもう一度、食べてみたいなと心の中で思った。
「いいよ、僕が片付ける」
料理を作ってくれた上に食器を片付けようとする祈さんを止める。これ以上家政婦みたいなことをさせるわけにはいかない。
「優しいんだね」
食器や調理器具を洗っていると、祈さんが傍に来てそう言った。
両耳に熱が帯びていくのがわかった。恐らく、真っ赤になっているのだろう。僕は咳払いをしてそっぽを向きながら洗い続ける。
女の子に慣れていないのがいけなかった。
もし、来客が中年のおじさんだったらまだ素のままで気楽に過ごせた。おじさんの作ったパンケーキが美味しいかどうかは別として。
「お腹もいっぱいになってもらったし、まずはあなたのことを教えてもらわないとね」
祈さんと僕は再び向かい合って座り、雑談を始めることにした。改めてかしこまると落ち着きがなくなる。彼女と目を合わせることができずあちこち見ながら話す。
「僕の、何を知りたいの? どうせ」
「どうせ死ぬのに、って?」
「いや、どうせつまらない話になりそうだから」
「でも知らなかったら残りをどう生活していけばいいのか困る。そうね、誕生日、血液型、身長、体重、好きな物、嫌いな物、何でもいいよ」
「野暮だね。 しかも勝手に自己紹介しろって感じ。僕は自己紹介より君のことを知りたいんだけど」
「それこそ野暮だよ、私とは何の関係も築けない運命なのに」
「僕は、君とどこでどう逢うはずだったんだろう?」
正確には、本物の女の子のことをだ。彼女が何者で僕の何なのか、この世と別れる前に可能な限り知っておきたかった。
祈さんは唸り声をあげて困っていたが、やがて閃いたように人差し指を立てた。
「天秤に宝石が2つ乗っている。天秤の下には深い海。どちらかの宝石を取れば、どちらかの宝石は海に沈んでいく」
意味不明だ。どこかの神話だろうか。
「どういうこと?」
「1つを手に入れるためには1つを捨てなくちゃいけない。私が未来でお母さんが過去。あなたはすでに過去を選んで未来を捨てている」
「ようするに選ばれなかった宝石である君が、僕のせいで海に沈んでいくってこと?」
「そう、私は永遠にあなたの中にはいない存在になる。そして 私もあなたを知らないまま生きていく。今こうしているのは訪れる予定だった時間と思っていい」
これは、未来で起きるはずだったシュミレーション。祈さんは残り1ヶ月の期間であらゆることを提案してくるだろう。
時々彼女自身が偽物だということを忘れる。退屈そうな時は唇を小指で掻いたり、考える時は目を上に向けて首を左に傾ける。その細かな仕草が個人の特徴を醸し出している。名前も知らない、この世界のどこかにいる女の子も、今頃同じ仕草をしているのかもしれない。
「もし、君が本物の女の子と鉢合わせしたらどうするの?」
「有り得ない。私と叶崎君は契約を結んだ時点で本物には絶対に会えない仕組みになっているから」
ふんぞり返るほどの自信がどこから湧いているのか。
生命終了支援センターは人の命を操れるくらいだ。会わせない仕組み作りなんて容易いのだろう。
「名前は、なんて言うの?」
「答えかねないって重要説明事項に書いてあったでしょ? それに巡り合わないと決めた相手の名前を聞くなんてどうかしてる。もしかして、本物のこの子に会いたくなってきた?」
含み笑いを浮かべた彼女と目が合って、とっさに目を逸らした。
人と目を合わせて話すのはそもそも得意じゃない。ましてや得体の知れない、可愛い女の子に化けた何かに見つめられると萎縮するのは当然だ。
「別に。僕に未来はもうないんだから。確かに野暮だったね」
祈さんは呆れた顔をした後、手を2回叩いた。
「はいはい、じゃあ今度はこっちがあなたを知る番。満足する時間を過ごすにはあなたの情報収集をしなくちゃね。この家を自由に歩いていいんでしょ?」
「隠すものもないし、構わないけど」
そう言い終わるか終わらないかで祈さんは室内を徘徊し始める。リビングから出たところで僕は慌てて引き止めた。
「訂正、僕の部屋はだめだ」
見られて困るものはないが、やはり自室だけは断った。慌てた僕を見て祈さんはくすくすと笑う。
「そりゃ、初めて会った人にプライベートな部屋は見られたくないよね。じゃあ、代わりにあなたを紹介できるものを持ってきて。それを見ながら話をしよう」
そう指示をした祈さんはリビングに引き返し、飼い主を待つ犬のようにソファの脇でじっと立った。
部屋はあちこちに物が散乱していてとても人に見せられる空間ではなかった。自分の物はまだ半分しか整理できていない。これも、あと1ヶ月のうちにまとめなくちゃいけない。時間が足りなくなりそうだったら業者を呼んで全部捨ててもらおう。
それにしても、いきなり自分を紹介する物を持ってこいと言われても、何が良いのかわからない。
クローゼットや机の引き出しを漁ると、小中の時の卒業アルバムが発掘されたので、その一部を切り取って見せることにした。
「アルバム? プロフィールが書いてある」
「卒業アルバムで書かされたものだよ。声に出して自己紹介するよりいいと思って」
「わざわざ切り取るなんて、アルバムそのものを見せてほしかったんだけどな」
祈さんは不貞腐れながら幼い字で書かれた僕のプロフィールを眺めた。
「得意分野は工作、苦手なのは理数。今でも変わってないの?」
「まぁ、理数が無理なのは高校になっても変わらないね。物作りや絵は好きだよ。玄関にかかってた表札も木を彫って僕が作ったんだ」
「あれね、ポップなデザインで可愛かった。器用なのね」
祈さんは感心した顔で頷いた。
「大好きな人はお母さん。これも今でも変わってないんだね。将来の夢は車屋さんか。いいの? ならなくて」
「いいんだ、大人になるつもりもないんだから」
小さい頃から車が大好きだった。助手席に乗って、窓を全開にして風を浴びるのが心地良い。鳥になった気になって、どこまでも行けそうな感じがした。ミニカーをたくさん集めて雑誌も読み漁った。いつか母さんに似合う可愛い車を作りたくて、自動車製造業に就くのを夢見ていた。
「それに、今は車が嫌いになった」
大好きな物が、大好きな人を奪ってしまうことになるなんて想像もしない。今じゃもう車の音を聞くだけで吐き気がしてしまう。
「ごめんね、配慮のないこと聞いて」
「いや、いいんだ。祈さん……というか、君には……。なんだかややこしいな。祈さんが演じている子には、夢があるの?」
つい、本物の女の子と話している気になってしまう。
「私は、店を開いてパティシエになりたいと思ってる」
「きっとなれるよ。僕の分まで夢を叶えてほしいって、その子に伝えてくれる?」
祈さんはすぐに返事はせず、躊躇った後に小さく頷いた。
それから、唇を閉じたり開いたりを繰り返して何かを伝えたいような表情をする。
「あの、もしかして6月28日って」
祈さんが何かを言いかけた瞬間、今日2回目のチャイム音が鳴ってた。
他に来客が来る予定はない。ガス代か電気代の集金だろうか。
玄関まで行くと、聞き覚えのある男の声が僕を呼んでいた。
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