第6話
人の命を操作したり、未来で出逢う人にばけたり、普通なら有り得ない話だ。
この子の目的は何だろう。それに、消えるってどういう意味? 話がもし全部本当だというなら証拠を見せてもらわないと信じることはできない。
「当事業の重要説明事項はこれに」
祈さんは封筒を差し出した。中には2枚の書類があって、1枚は契約書、もう1枚は重要説明事項で生命終了支援センターについて書かれていた。
「この度は生命終了支援センターにご依頼いただき、誠にありがとうございます。安らかに死ぬこと、立派に死ぬことを大往生と言います。満足して生涯を終えるに越したことはありません。人は自らが生まれ落ちる日や時間を決定することはできない。しかし、終わる日時やその方法を決定し最期を迎えることはできます。その後の魂の行先も決めることも可能です。当事業所の利用権利を得られたこと、おめでとうございます。生命終了支援センターは最期までその人に寄り添い、個人情報や人権を守り、意思決定に従って最大の支援を致します。利用料金は一切いただきませんが、代わりに『巡り会いの時』をいただきます。さて、本日訪問させていただいた『祈』のことはすでにご存知かと思いますが、単刀直入に申し上げて人間ではありません。『祈』はいわばアンドロイドです。叶崎様の個人データを元に、未来でお会いになるはずの人物を100パーセント予測。その中で、最も大切な方の初対面時の姿をモデルに造りました(お名前やどんな関係を築くはずだったのかはお答えしかねます)。外見はもちろん、性格も癖も全て本物と変わりありません。ただ本物と違うところは体温がないことと心機能が内蔵されていないことです」
僕は祈さんをじっと見た。
「あの、すいません。脈を拝見してもいいですか?」
「脈?」
小刻みに震える指先を、祈さんの手首に当てる。その位置にあるはずの脈が、なかった。それになんて冷たい肌だろう。
「すいません」
僕はさっきよりも少し彼女から離れて再び書類に目を落とした。
「『祈』はあなたのために生まれ、責務を全うしたらすぐに消滅します。ただ、これはサービスの一環でありますので、生命終了支援は利用するが、最期を独りで過ごしたいので『祈』が不要だという方は連絡をいただければ消滅の手続きを致します。また訪問後24時間以内に契約がなければ、生命終了支援の利用なしとみなし、同様に『祈』を消滅させますのでご了承ください」
夢を見ている気分だ。非現実的過ぎて頭痛がした。それでも知ろうとして目を凝らしながら読み続ける。
重要説明事項を読んで現段階で理解した内容は以下の通りだ。
1、生命終了支援センターは限定された特別な人の命が終わる日時、死因や死後の行先を希望通りにしてくれる。
2、料金の代わりに『巡り逢いの時』、つまり未来で出逢う大切な人との時間を奪われる。
3、サービスの一環として、未来で出会う大切な人(どんな関係を築くのか、名前は何なのかは不明)のアンドロイド『祈』と生活できる。(一人の利用者につき一体となる)
4、『祈』が消滅するのは、訪問してから24時間以内に契約をしなかった場合、不要である場合、責務を全う(つまり僕の命が終わり、契約が終了)した場合。
5、契約をしたら取り消しは不可。ただし『祈』が契約違反に値する行為をした場合は契約解消できる。
契約違反とは何だろう。事例が書いてないからわからない。
悶々と書類とにらめっこをしていると、彼女はいつの間にか近くに来ていて心配そうに顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
僕は驚いて身を引いた拍子にバランスを崩して尻もちをついた。
「難しいことは考えなくていいです。ただ残りの人生を有意義に生きてくれればそれで」
この言葉に含まれた意味を悟った。どうせ死ぬんだから考えても無駄。彼女はきっとそう言いたいのだろう。
「あなたは、どうなんですか? 僕が契約を結ぼうが結ばないが、どっちにしろ消滅してしまうんですよ?」
「私自身、消えることに対して何の恐怖も抱かないと言ったら、それこそ嘘になります。でも叶崎さんもそうでしょう? 生き物は必ず死ぬ。それが早いだけのこと。短命である点、私とあなたは同じなんです」
好きな時に好きな方法で死に、死んだ後は好きな人に会える。おまけに死ぬ時まで独りじゃない。
絶望した僕にとってこの上ない最良プラン。
「叶崎さん、答えを聞きます」
祈さんは中腰になって僕と同じ目線になった。
「契約を結んで終わりの日を決めてしまえば後戻りできません。私は契約違反をするつもりはありませんから。例え未来が愛しくなってしまっても生きてはいけないし、本物の『この子』には会えない。それでもいいですか?」
この子と一緒にいることで、もしも本物の彼女が愛しくなったとしても、戻れない。未来には行けない。
少しの間、頭を空っぽにして俯いていた。
ただ単純に眠たかった。歩くのもご飯を食べるのも面倒でだるい。こうして床に座っているだけでも精一杯なのに、未来のことを考えている余裕はなかった。
なんだか頭を使い過ぎた。早く楽になりたい。
「祈さん」
「祈でいいです。同い年なので。敬語も面倒なので契約を結んだらやめましょう」
「僕は、この先誰かを幸せにする力はないと思う。だから、祈さんのモデルの子は、僕に会わない方が幸せになれます。……契約を結びます。最期までよろしくお願いします」
「わかりました。じゃあ、お終いの日を教えてください。センターに伝えておかなくちゃいけないので」
壁にかかったカレンダーを見ると、赤丸の付いた日が目に入る。生前、母さんが付けた印。
「……6月28日、0時に眠るように終わらせてください。それまでは身の回りのことを片付けます」
「わかりました。その日に生命活動を止めるよう伝えておきます。……どうして笑っているんですか?」
「いや、どうも頭が追いつかなくて。はは、こんなことって、あるんですねぇ」
実際、女の子の姿をした得体の知れない者でもいいから、最期まで傍にいてほしいと思うくらい追い詰められてる。もう独りは耐えられない。
滑稽で仕方ない。こんな話、誰が聞いても信じてもらえない。
「未来で逢うはずだった子としばらく一緒にいるのは、悪くないと思います。最期まで、よろしくお願いします」
祈さんは飲み終えたマグカップを静かに置いた後、優しく微笑んだ。
「ええ、あなたが望むなら」
疑うことを忘れさせるほど、自信に満ちた目をしていた。
「他に希望することはありますか? できるだけ応えます」
「いてくれるだけで十分です。……ありがとう」
僕は祈さんの冷たい手と握手を交わした。
母さんが死んだ日、僕の心も死んでしまった。
死んでしまった心では、この先誰かを愛することなんてできない。
1ヶ月後、僕は満足して命を終わらせることができるだろうか。
「では、ここに名前を」
不可思議な契約を、僕達は人知れず結んだ。
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