未来人アンドロイド
第5話
6月4日金曜日。
翌朝10時。チャイムの音がして目が覚めた。昨夜はあまり眠れず朝方5時頃にようやく眠れた。だから身体がだるくてなかなか起き上がれなかった。
母さんの訃報を聞きつけて来た人かもしれない。
寝ぼけ頭でそう考えていたが、覚醒していくにつれて昨日の不可思議な電話を思い出して布団から飛び起きた。
まさか、本当に来たのか。
服を急いで着替えて玄関へ向かう。そっとドアスコープを覗くと、見たことのないどこかの学校の制服を着た女の子が立っていた。黒髪のボブに、切れ長でスッとした目。丸い輪郭に白い肌。なんだか猫のような子だった。水色の水玉模様の大きなスーツケースを持っていて、どこか旅行に出掛けそうな感じだ。
生命終了支援センターの人、じゃないよな。
ドアを少しだけ開けて、見慣れない客に警戒しながら声をかける。
「あの、どちら様ですか?」
「昨日は電話ありがとうございます。生命終了支援センターの
僕は目を丸くして彼女を凝視する。
こんなに若い人が来るとは思わなかった。それに声が電話と違うし、口調に抑揚がない。昨日話した人じゃないみたいだ。
「一応、同い年ということになっていますから」
僕の心境を察してか、彼女は笑わずにきっぱりと言った。イメージと全く異なる相手に一歩引いてしまう。
「とりあえず中で話をしてもいいですか?」
「あ、えっ、は、はい」
僕は頷く他なく、彼女を中に入れた。女の子を家に入れるなど初めてのことだった。
「お邪魔します」
彼女は訪問に不慣れな感じで、そっと家の中に入って眼球だけを動かして周りを見た。
「立派な家ですね。ずっとお母さんと二人で?」
「そ、そうです。父は、物心ついた時からいませんでしたから。ここは、母方の死んだ祖父が、建てた家で」
「そうですか」
僕と目が合った彼女はふいと視線を逸らした。
流暢に話せない僕を嫌悪しているのか。
しかし、まさか同い年とは思わなかった。
彼女は亡くした母親の後を追う同い年の男を、どんな心境で訪ねたのか。
どこかの高校に通っているであろう女の子が、生命終了支援センターというおかしなところで働いている。そんなアルバイトがあるのか。母さんは生前、僕に内緒で一体何をしていたのだろう。
リビングに通してダイニングチェアに座ってもらう。慣れない手つきでお茶を準備する。
「不躾な質問ですけど」
座って早々に祈さんは申し訳なさそうな顔をする。
「叶崎さんは生命終了した後、この家はどうするつもりですか?」
いきなりの質問に僕は目を泳がせるしかなかった。単純に家の中を何もない状態にして、売りに出して、あとは身の始末をするだけ。
決意がかたまっているのに言葉にしてしまうのが怖い。母さんと会う、つまり死の準備をするというのは家具や衣服、雑貨など母との思い出の物を処分しなくちゃいけないってこと。それは胸がえぐれるほど心苦しいものだった。昨日粗方整理した物はゴミ袋にまとめてあるが、往生際が悪く、袋から出しては入れるを繰り返した。
「叶崎さんは、命を終わらせるのが本当は嫌なんじゃないですか?」
今しがた出会ったばかりの女の子に、取り調べでも受けているような威圧感を向けられてどきりとした。
「なんで、そう思うんです?」
「あまりにも計画性がないまま、叶崎さんは私を受け入れたから。現に質問の答えに時間がかかっています。自暴自棄になっているのなら、考え直した方がいいかなと」
「嫌だなんて、そんなこと、僕は本気です!」
葛藤に揺さぶられていないと言ったら嘘になる。ただ、僕はもう一度母さんに会いたいだけなのだ。死んだものは生き返らない、なら生きているものが死ぬしかないから。行先だけの片道切符を持つものが、会いにいくしかない。
「……とりあえず、終わりの時間がくるまでには家中の物は片付けて、売れるものは売ります。それでできたお金を差し上げます。母さんに会えるんだったらいくらかかっても構いません」
興奮気味でお茶を入れたマグカップをテーブルに置く。祈さんは控えめに小さくお辞儀した。
「家も、祈さんの所有物にしても構わないですよ」
冗談を言ってみても彼女はぴくりとも笑わない。
「当事業所の職員は利用者からお金や物を頂けない決まりになっています。唯一頂けるのは、飲食物だけ」
「料金、取らなくていいんですか?」
「不要です」
祈さんはマグカップに両手を添えて、礼儀良くお茶を飲んだ。よく見ると右目下に小さな泣きぼくろがあった。
「本題に入りましょう。叶崎さんも聞きたいことは山ほどあるはず」
僕はゆっくりと祈さんの正面に座った。面と向かうと緊張が増して、とても彼女の目を見られなかった。
「まずは、昨日のお話で不明な点があれば答えます」
「不明、というか……その」
「わからないことがわからない、ということですね」
ちょうど猫が獲物を狙うような鋭い眼光。仕草や息遣い、瞬きの数でさえ見張られている気分だ。嘘は通用しない気がする。
「……僕が、気になっているのは、母が生命終了支援センターというものを利用していたかということです。こんなものがあるだなんて、一言も言ってくれなかったから。今でももちろん信じてません。でも、話が本当だったら、もしかして母が死んだのはあなた方が生命活動を停止させたからじゃないんですか?」
誰を恨めばいいのかわからないまま数日が過ぎてしまった。
道路を飛び出した子どもか、それを避けた車か、あの日あの場所を歩いていた母さん自身か。
はたまた恨みの対象は、目の前に座る女の子か。この子が母さんの命を故意に終了させたのならば、僕は怒りで理性が飛んでしまうかもしれない。そうならないために落ち着いて話を聞かなければいけない。
祈さんは表情を少しも変えず、伏し目がちで答えた。
「ごめんなさい、私はお母さんのことは一切聞かされていないし知っていたとして、いくら身内でも利用者の個人情報を提供することはできない」
昨日と同じ返答だ。事実を告げられなかった結果に、内心ほっとしている自分がいる。
いかにもその通りです、と言われてしまったら女の子と言えど僕はこの子を絶対に許さなかった。
「……そうですよね。知ったところで母は戻ってきません。それは、会った時本人に聞きくことにします。もしそうだったのなら母は僕の知らないところで死にたがっていたということに、なりますが……」
しどろもどろになりながらどうにか言葉を発することができた。
あの、楽観的で明るい母さんが死にたがっていたなんて思いたくない。あの笑顔が嘘だなんて信じたくない。
平凡な生活の裏で、母さんが苦しんでいたのだろうかと考えると、悔しくてたまらない。息子なのに気づいてやれてなかったってことなんだから。
「あの、祈さん。これから契約を結ぶにあたり、これは答えてほしいんですけど、あなたは何者なんですか?」
15年生きてきた中で生命終了支援センターというものを聞いたことがなかった。単に僕が無知だからではないはずだ。
人の命を操作する支援センターなど、社会で公になっている方がおかしい。
「生命終了支援センターの祈です」
「それは、わかっています。そういう支援があるってことは、かろうじて理解しておきます。だけどそんな、僕と同い年の人が、命を操る仕事をしているのが受け止められない。そんなことができるのは、神様だけだと思っていたから。……昨日電話で話した人とは違いますよね? あなたはこれから、僕の担当になるわけですか?」
人間を相手に話しているはずなのだが、呂律が回りにくくなり、体中汗だくになるといった異常が出てくる。他人に命を握られるというのはこんなにも閉塞感があって気分が悪いものなのか。まるで蛇に睨まれた蛙になったみたいだ。いや、猫に睨まれた鼠か。
次に、祈さんは驚くべきことを口にした。
「あくまでこの姿だけが同い年です。私は『祈』と呼ばれる生命体なんだそうです。この姿は仮のもので……というのも、これはあなたが生きていればいつか出逢うはずの人の姿なんです」
「出逢う、はずの、人?」
非現実的な情報を一気に頭へ叩きこんだせいか、いまいち理解できない。
「なんて言えばわかりやすいでしょうか……。まず生命終了支援センターでは『祈』が造られます。私達に姿形の定義はありません。あなたがこれから出逢うはずだった人の顔や体格、性格、声、嗜好、癖など繊細な部分を真似た生き物なんです。つまりはドッペルゲンガーとかクローンとかと同じ類いです」
は?
口をぽかんとあけて僕は首を傾げた。
「えっと、人間を、コピーしてなりきっているってこと? あなたは、人間じゃない?」
「私でも自分の存在はよくわかりませんが、人間ではないことは確かです。叶崎さんが今後、生きていく中で最も印象強い存在、ようするに大切な人になるはずだった人が『この子』ってことです」
「何の、ために?」
「残り数日の間、未来の大切な人との生活を疑似体験するんです。当支援センターの最大のサービスです。もちろん、最期まで独りでいたい時や契約を結ばない場合、私は今日限りで消えます」
この子が、人間じゃない。
吸い込まれそうなセピア色の瞳と目が合って、僕は顔を背けた。
一点の曇りもない目。とても人を騙しているようには見えない。
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