Episode18【桜と君と赤】

【桜と君と赤】

 季節は巡り、また、二人の出会った春が来た。


 この一年間、二人でいろいろなモノを見てきた。

 二人で見た四季を、それぞれの季節に、藍は絵にしていた。 春から始まった絵は、夏になり、秋になり、冬になり……全ての四季が揃った。 そして、再び訪れた春……──


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 青空を桜の花びらが舞う。


 青を泳ぐ桜の花弁。


 君が振り向いて笑う。


 少しだけ、強い風が吹いて、桜吹雪となる……


 優しく笑う君は、まるで、春に舞い降りた、天使のよう──


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 桜吹雪の中、振り向いた藍に、栗原は見とれていた。 一年経とうと、彼女に恋い焦がれる想いは変わっていない。 愛していて、そしてまだ、恋していた。 そう、不意に見とれてしまう程に──


「聡ぅ? なにボ~っとしてるの? 行くよ?」


 藍は笑顔で、栗原に手を差し伸べる。


 栗原は手を伸ばして、その手を握った。そして握ったかと思うと、その手を引いて、藍を抱き寄せる。


「わ! 聡、いきなりどうしたの?」


「こうしたかっただけ」


 満開の桜の木の傍らで、二人は抱き締め合う。


 この瞬間が、果てしなく落ち着く瞬間で、心地がいい。


 美しい桜。優しく暖かな春の光。心地のいい風……


 伝わる体温。大好きな人。抱き締め合う腕……


 心地が良すぎて、二人はそのまましばらく抱き締め合っていた。


「お前、赤くなってないか?」


「……う~ん」


「一年間経っても、そんなに赤くなるのか?」


「なるよ。大好きだから」


「「…………」」


「聡も赤くなってるよ?」


「……大好きだからな」


 二人はフッと、笑い合うのだった。

 二人の、幸せな時だった。


****


 その頃、レッド エンジェル側では……──


「リュウ……ウルフはどこだ?」


 広々とした、大理石の通路。

 フェニックスがリュウへと問い掛け、リュウが振り返る。


「父上……ウルフが、どうかしましたか?」


 するとフェニックスはリュウへと、険しい表情を向けた。


「『どうか』ではない! リュウ、お前は知っていたのか? ──」


「父上、落ち着いて下さい。……何の話しです?」


 フェニックスはリュウを、睨み付ける。

 リュウはそんなフェニックスのことを、冷静な眼差しで眺めていた。感情のない、冷めたような目で──


「ウルフが連れている女、警察側の差し金らしいじゃないか? ──」


「……――差し金? ……そうは、聞いていない」


「リュウ、やはり知っていたのか? なぜすぐに、あの二人を引き離さなかった?」


 リュウは何か、口ごもったようだった。相変わらず冷静な面持ちは崩さないけれど、やはり何か、フェニックスの目を直視できない理由があるのか、リュウは視線を反らした。


「お前は甘い」


「……――」


 するとフェニックスはトッと、リュウの心臓の位置に触れた……──


「この紋章に誓い、相応しい働きをしろ。 差し金だろうが、差し金でなかろうが、関係ない。 ただその可能性があるのなら、手は抜くな」


 そう言うと、フェニックスは心臓に添えていた手に力をこめて、リュウを突き飛ばした。

 足がフラついたが、体勢を整えて、リュウはフェニックスへと視線を戻す。

 するとフェニックスは、リュウへと言い放つ。


「この件は、お前が指示を出せ。ウルフもその女も、どうなろうと構わない――」


 フェニックスはリュウにそうとだけ言い残し、立ち去る。

 フェニックスの足音が遠ざかっていく。

 やはりリュウは、表情一つ変えないままだった──


****


 次第に、夕暮れが近付く。


 栗原と藍、二人手を繋いで見上げるのは、満天の、プラネタリウムだった。


 少しずつ姿を変え、四季の星空が浮かぶ……──


「春の星空だって? 初めて出逢った日も、こんな夜空だったのかな?」


 満天のプラネタリウムに浮かぶ春の星空を見て、藍が嬉しそうに微笑む。 出会った頃の夜空へと、想いを馳せた──

 栗原はその肩を抱き寄せて、また二人、星空に釘付けとなる。


「出逢えて良かった」


 薄暗いプラネタリウムの中で、ひっそりと、キスをした──



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ──二人の永遠を、この星に願っていたのなら、未来は、変わっていたのだろうか? ──

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 二人で見る星空は、桜の花弁に、似て見える。


 終わらぬあの春に、永遠に、恋をしている……



 ──けれど狂った歯車は、加速を続け、全てを壊す―─……



****


 二人がプラネタリウムから出ると、既に辺りは、暗くなっていた。


 その帰り道のこと。

 二人はしっかりと手を繋ぎながら、歩いていた。


「プラネタリウム、綺麗だったねぇ!」


「そうだな。そのうち、また二人で行こう」


 藍は嬉しそうにはしゃぎながら、今日のことを、一つ一つ話している。


「……――」


 栗原も相槌を打ちながら、楽しそうに藍と話をしていたのだが……──何故だか栗原が一度、会話する言葉を止める。


「聡? どうしたの?」


 不思議そうに、藍が栗原の顔を覗き込む。


「藍、静かに―─……」


「……?」


 二人の会話は途切れ、夜の静寂が、二人を包む。


 栗原が、後ろを振り返る……──


「…………――」


 だがそこには、“誰もいない”。


「聡? ……」


「人の気配がする……」


「え?」


 すると栗原は、繋いでいる手を、強く握り直した。 そして……


「藍、走るぞ……!」


「え? ……――わっ! ……」


 その瞬間、栗原は藍の手を引いて、走り出した──

 すると思った通り、見知らぬ男が追ってくる……──


 顔色を悪くしながら、藍が後ろを振り返る。


「……聡、よく気が付いたね……」


「そんなこと別にいい! 逃げるぞ!」


「うん……」


 二人は、走り続ける……──


 誰だかなんて、分からない。追手の男の目的が何であるのかさえも、分からない。 けれど不審な男であるのは、明らかだ。


 二人は懸命に、逃げ続ける。


 だが逃げる二人は次第に、人気のない場所へと、迷い込んで行く……


 藍の手を引きながらなので、そう速くは逃げられない。


 追ってきた男が、藍の片手を掴んだ……──


「放せよッ!!」


 栗原がすぐに、その男を、殴り飛ばした。


 後ろへと、転びそうになる男。その際に、男の手首に、視線がいく……――


「……?! ……」


 その男の手首には、金の細いチェーンが付いていて、それには、レッド エンジェルの紋章が刻まれたコインが、通っていた。


「どういうことだ……」


 栗原は、目を疑う。 見間違いではない。確かにあの金のブレスレットは、レッド エンジェルの物であるのだから。 つまりこの男は、組織の一員だ。 そう、肩書き自体は仲間である筈の、組織の一員だ……──


 すると殴られた男は、体勢を整えながら言った。


「お許しください。 リュウ様からの、ご命令です」


 すると次の瞬間、その男が二人に、銃口を向ける……――


 銃口を向けられた緊張感と、『リュウからの命令』という言葉……──その二つが心へと重くのし掛かり、その場から、動けなくなる……


 栗原と藍は、身を寄せ合うように立っていて、二人のちょうど真ん中のあたりに、銃口が向いているようにも見える。

 どちらに銃口が向いているのか、分からない。


 引き金を触れる男の指が、微かに動く――……



 ──春の夜の、柔らかな風が吹く。


 春の静寂に、桜の花弁が舞う──



 男が、何かに祈るように、瞳をとじる――……



 ──風に舞った花弁が、地へと落ちる……──



 男が、再び瞳をひらく──



 ──引き金が・引かれる――……



「聡ッ!! ……」



 春の夜に、銃声が響き渡った──


 目の前にはいつも通り、栗原をフワリと抱き締める、藍がいた――……


「……藍……? ……――」


 そう、それはいつしかの夜、振り下ろされるナイフから藍を庇った栗原の姿に、よく似ていた――



 ──そうして男は静かに、夜の街へと消えていった……



 足元に落ちた、桜の花弁を、溢れ出る“赤”が、染めてゆく――……




━━━━━━【〝Aiアイ〟Point of vie視点w 】━━━━━━


 貴方が、逆らえぬ運命に、心痛めたなら、私は貴方の傍にいて、震えるその身体を、抱き締める。


 そして、優しく口付けるだろう。


 私の世界の中心は、貴方であって、それ以外のモノは、望まない。


 私の全てを、貴方に捧げよう。


 ……たとえこの春に、散ろうとも――


 愛する人へ。 どうか、生きて――……


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 藍の身体は力なく、栗原の身体に寄りかかる。


 栗原は震える手で、藍を抱き締め返す……


「藍ッ……! 」


 藍を抱き締めたその腕は、真っ赤に染まった。


 力なく、藍を抱えたまま、地面に座り込んだ。


「藍ッ!! ……藍ッ……――」


 必死に、その名を叫ぶ。

 藍は光の弱まった瞳を、僅かに開く……


「聡が無事で、良かった……」


 そう言った藍の瞳から、一滴、涙が溢れる。


「俺だけ無事でも、意味なんてねぇーんだよッ!! ……」


 泣きながら、栗原が藍を抱き締める……──



 次第に辺りは騒がしくなり、住民たちが、集まってきた。



 二人は固く、抱き締め合ったまま……──


 震える腕で抱き締める、その身体が、だんだんに冷たくなる……


 その体温が弱まるのを恐れるように、強く強く抱き締める……


 この体温を、逃がさないように、抱き締める……


 そうするのに、体温は体から、離れてゆく――……



━━━━━【〝Satoruウルフ〟Point of vie視点w 】━━━━━


 流れて流れて流れて、止まらない……


 僕は君を抱きしめるのに、どうして君の頬は、赤く染まらなかった?


 君から赤が、失われる……


 流れ出した血液が、止まらない……


 止まれ止まれ止まれ止まれ―──―……


 ……赤く染まる、エンジェル……──



 愛する人よ、どうか、目を開けて――


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 この場には、駆けつけた住民が呼んだ救急車が到着する。


 だが、救急車が到着した時には既に、藍は栗原の腕の中で、眠りについていた。 永遠に覚めることのない、深い、眠りに……


 愛する人に抱き締められて、眠りについた藍の表情は、まるで、天使のように……――優しく、幸せそうな表情だった。


 美しく桜の咲く、春の夜、栗原はしばらく、冷たくなった藍を抱き締めたまま、離そうとしなかった。


 桜の花びらが、優しく降り注いで、藍の髪に、そっと、舞い降りる……─―


 全てをかけて愛した、愛しき人を、失った。この、春――……



───────────────

──────────

──────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る