Episode 11【あの日々に戻るまでの、カウントダウン】

【あの日々に戻るまでの、カウントダウン 1/2 】

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 真実が明かされるまでの、カウントダウン……──


 それはもう、始まっている。


 少しずつ少しずつ、息を吸う……息を吐く……


 皆、深呼吸をして、自分を落ち着かせる……


 とじていた瞳を開こう……──


 どんな真実が待っていようと、僕らはその真実を、受け入れてみせるよ――


 嗚呼──


 カウントダウンの音が、聞こえる……──


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 窓の外、高い星空。キラキラと輝く星……──


 松村の話を聞いて、全ては繋がった。


 松村との電話を終えた後、瑠璃は、結びついた真実を思いながら、星を眺めていた。


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━━━━【〝RURIルリ〟point one vi視点ew】━━━━


 結びついた真実……


 スパイとして潜り込んで、私はようやく、欲しかった情報を手に入れた。


 “私はもっともっと、役に立てるかな?……計画通りだよ。上手くやってるじゃん”……

 自分を褒めてみるけれど、心に穴があいたような、そんな気分なのは、どうしてだろう?


 私は大きな溜め息を吐き出す。

 果たして私には、誰かを騙し続けることが、出来るだろうか?


 真実を悟った今、なぜだか私の心は、不安定に揺れる。


 大きく、息を吸い込んだ……─―


 落ち着こう……


 そんなこと考えても、意味なんてないよね? ……


 しっかりしなきゃ……


 こんなんじゃ、雪哉に怒られちゃうよね? ……


 ──私は自分を落ち着かせようと、必死なのだった。


****


━━━━【〝YUKIYAユキヤ〟point of vi視点ew】━━━━


 不意に見上げた空には、星が輝く。

 夜風を感じながら、自分を落ち着かせようと、必死だった。


 知りすぎたんだ。突き止めすぎた。途中から、嫌な予感がしていたんだ……なのに、真実に近づけば近づく程、もう、止まらなかった。


 揚げ足取る為に、調べただけだ。なのに、そのせいで、計画が狂った……


 俺はきっと、あの女と関わるべきじゃなかった。


 どうしてこんな形で、ネコと出会った?


 俺、バカみてぇに、悩んでる。マズイ。なに悩んでんだよ……こんなんじゃ、瑠璃に笑われる……自分を落ち着かせて、冷静に戻ろう……


 そして俺は、決心する。

 知ってしまった真実を、“ネコに話す”……──そう、決心した。


****

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 雪哉は暫く、夜風に当たっていた。するとその時、スマートフォンが鳴る……


「…………」


 雪哉は少しだけ、戸惑ったように目を泳がせた……──電話の相手は、キャットだった。


「よぉ、こんな夜中に電話、どうした?」


―「いきなりごめんね? でも、出てくれて良かった……」


 キャットの声は、嬉しそうに弾んで聞こえる。


―「ねぇ、雪哉、明日の夜、会おうよ?」


 雪哉もキャットに、会う必要があった。伝えることがあるから。


「そうだな。明日の夜、暇だし……」


 すると、キャットがクスクスと笑うのが聞こえる。


―「なんだか、雪哉が“夜暇”とか……変なの。いつも夜は、多忙そうなのにね?」


「オイ、コラ? どういう意味だ!」


 キャットは、可笑しそうに笑っている。


―「怒らないのよ? 侮辱してる訳じゃない。嬉しくて、余計に笑っちゃうのよ」


「……ん? 何が嬉しいんだよ?! ……」


―「だって、雪哉は夜、暇でいいんだよ。私と会って初めて、暇じゃなくなる。それでいいじゃない?」


「そういう意味か……」


―「その調子だと、まだ残ってる? この間、私がつけた“印”」


 印のついた首筋を、雪哉は押さえた。


「あぁ。残ってる」


「良かった。やっぱり、雪哉は印ついてるくらいが、ちょうどいい」


「ぁんだと?! お前な―─……」


―「だって、私がつけた印があれば、雪哉は私としか会えないじゃない?」


「まぁな。……」


 そしてキャットは、冗談っぽく言う。


―「その印は、透明の首輪と同じですから」


 やはり電話ごしに、キャットのクスクス笑う声が聞こえる。

 キャットは冗談っぽく言っていたが、その言葉に、雪哉はそこそこ、衝撃を受けているらしい。


「なっ?! ……――ネコてめぇ! 首輪とか! ペットじゃねぇんだから! 俺が、Mみたいじゃねぇーか!! 俺は基本、Sだ!!」


―「……雪哉?? そんな大声で、そんなこと言っちゃう? 恥ずかしぃ~……」


「…………」


 赤くなりながら、雪哉は口を押さえる。

 そして雪哉は、呆れたように溜め息をつく。


「お前の女王様っぷりには、敵わねぇ。誰に似たんだか―─……」


―「ちょっとー! 何よそれ?! 誰に似たとか、雪哉が気にすることじゃないわよ?! ……そんなこと言っちゃって、私たち、似た者同士じゃない!」


「まぁな」


 電話で話す前は、悩んでいた雪哉だが、話し始めると自然と、落ち着いて話せていた。


―「じゃあ雪哉、覚悟しておいてね? 消えないように、また、印つけてあげるから」


「……駄目だ」


―「えー! ……この間は『良い』って言ったのにぃ……」


 声しか聞こえないが、キャットが今、寂しそうな表情をしているのが、目に浮かぶ。


「…………」


 キャットの表情を想像した雪哉は、言葉に詰まる……

 するとすぐに、キャットはそのことを察した。


―「返答なし? さては雪哉、“可哀想なことを言ってしまった”……とか、思ってくれてた?」


「そんなんじゃねぇーよ」


―「そうのくせに? 遠慮なく、印つけるからね? じゃあ、また明日ぁ♪」


「あ?! 駄目だからな……――」


 雪哉はそう言ったけれど、既に電話は切れた後だった。


「アイツ、上手いタイミングで切りやがった」


 少しだけ不服そうに、雪哉は呟いていた。


****


 そして次の日―─

 約束の夜。


 この間と同じ時計台の前で、二人は会った。

 この間は、キャットが先に待ち合わせ場所に来ていたが、今回は違かった。雪哉が先に待ち合わせ場所に来ていた。

 レンガ造りの大きな時計台、それに寄りかかりながら、雪哉はキャットを待つ。


「雪哉? 今日は早いじゃない」


 少しして、キャットが現れる。

 キャットは柔らかな笑みを浮かべながら、小走りで雪哉の元へ向かった。


「早くねーよ。普通だ」


「いやいや、早いわよ。どんな心境の変化かしら?」


 なんとなく、キャットは期待の目を雪哉に向ける。


「いやいや、変化なんてねーし」


「「…………」」


 あからさまにキャットは、拗ねたような表情になる。

 逆に、雪哉は得意気な表情をする。


「変化なんてない。オレはいつも通りだ。夜は女を待たせない主義だ」


 “そういうことか”と思い、不服そうに、目をパチパチとするキャット。


「夜一人にさせたら、危ねーだろう? 本当は迎えに行くのが、一番いいんだけどな……」


 キャットはどうしても、自分の居場所を教えたがらない。だから、待ち合わせをするしかない。

 その言葉を聞くと、キャットの表情から不服さが消え去り、嬉しそうに笑う……


「でもその優しさ、私だけにしてほしいな」


「……オレ平等だし」


「……雪哉のバカ!!」


 またまたいじけ出したキャット。

 雪哉はキャットを、困ったように見ていた。


「今日は雪哉、空気読めてない! いじわる!」


「仕方ねーだろう? ……――」


 雪哉は何かを考えるように視線を反らした。

 視線を反らしたまま、雪哉はキャットの手を取って、歩き出す。

 キャットも雪哉に手を引かれるまま、歩き始めた。

 そしてそのまま、雪哉は言葉の続きを口にした……――


「仕方ねーだろう。お前が……――あんなに“嬉しそうに笑ったから”――……」


「……?」


 雪哉は前を向きながら呟いたので、キャットには、雪哉の言葉がよく聞こえていなかった。


「ねぇ雪哉、どこに行くの?」


「……ネコに話したいことがあるんだ」


「話し? ……」


「あぁ。……落ち着いて話せる場所に行く」


「…………」


 いい話しなのか、そうじゃないのか……──なぜだか、キャットは不安になった。だから、雪哉の行く場所には、行きたくなかった。


「えー、ヤダ。私、行くところ、決めてきたんだから?」


 なぜか、行きたくなくて、自然とそう言った。


「決めてきたのか?」


 そう言うと、雪哉が振り返った。


「うん」


 キャットはニッコリと笑って、頷いた。


「……なら、ネコの決めた場所に行くか」


 『決めた』と言われれば、無理に否定したりしない。

 自分が落ち着いて話せる場所へ行こうとしていたが、キャットの決めた場所へ行くことにした。


****


 目的の場所。その前で立ち止まって、雪哉はその建物をただ、見ていた……

 キャットがクスクスと笑う。


「なぁにボーッとしてるの? ココより落ち着く空間なんてないじゃん。……ココなら、二人だけの夜になる」


 キャットが来た場所は、ラブホテルだ。

 いつも通りと言えば、いつも通りの選択だった。

 キャットはニコニコとしながら、雪哉の腕に、自分の腕を絡める。


「ね? 行こうよ?」


****


 ホテルの一室、二人だけの夜……


 いつも通りの筈なのに、何かが違かった。少しの違和感が残ったまま、時間は過ぎる……


 雪哉はずっと、何か考え事をしているように見えた……


「ねー、雪哉。どうしたの……?」


「……別に」


「…………」


 明らかに、雪哉の様子はいつもと違かった。

 悲しそうな顔をするキャット。


 ホテルに来て、シャワーを浴びて、何故か、何をするわけでもなく、二人はベッドに座ったままだった。


「雪哉? ……ちょっと、ジラしのつもり!?」


「あ? いや、なんつーか……」


 やはり雪哉は、困ったような顔をする……


「ちょっと! なにその曖昧な返答!? 雪哉のバカ! 男が廃るわよ!!」


 そう言うと不機嫌な顔をしたまま、キャットは勢い任せに、雪哉を押し倒した。


「「……――」」


 不思議な沈黙が、二人を包んだ。

 それぞれ何かを思い、視線が絡む……――


「「……――」」


 そのうちに、不機嫌そうだったキャットが、再び哀しそうな表情をした。


「ねぇ雪哉。……この間、言ったよね? 私、雪哉が好きだよ」


「……覚えてる」


「雪哉いじわる。なんだか今日、冷たい」


「…………」


 キャットは哀しそうな表情のまま、言葉を続ける……


「私たち、騙し合いのゲームでしょう? ……――海へ行った日、お互い言ったよね。『惚れたら負け』って……」


「あぁ。言ったな……」


「…………――私の敗けだよ。雪哉の勝ち。惚れた方は、いいように利用されるの……――だって、好きで好きで、失うのが怖くなってしまうから……自分に、価値を感じてもらいたくなるから……――」


「…………」


「もう、利用されても構わない……――雪哉の役に立てるなら、構わない。……雪哉は、これを望んでいたんだよね? 雪哉の思い通りだよ――……」


 スッと、キャットは体を動かす。

 二人の唇が、近づく……――


「雪哉に従うよ。言われたことはするし、全ての真実を……――教えてあげる――……」


 唇と唇が触れ合う……その直前――

 キスしようとするキャットを、そっと……雪哉は制止させた――……


「「……――」」


「……ねぇ、どうして……?」


 制止されたキャットは、悲しい表情に加えて、困惑の表情をした。


「悪い。今日会ってからずっと、話そうとしていたことがある。けど、なかなか言い出せなかった……――ネコに、伝えなきゃならねーことがある」


 雪哉は、決心した瞳をキャットに向けた。


「……何よ? ……」


 困惑しながら、キャットが聞いた。

 そして雪哉は、ゆっくりと、話し始める……


「お前の言う通り、俺らは騙し合いのゲームだった。オレはお前のことを調べた。お前を従わせるネタにする為に……けど、調べたことを、後悔した」


「どうして後悔した?」


「知りすぎたからだ……――」


 雪哉は何故か、辛そうな顔をしていた。辛そうに、目を細める……――

 雪哉はそっと、自分を押し倒している状態のキャットの肩に触れる。その肩を優しく押して、起き上がった。

 ベッドの上、向き合った二人。


「…………」


 キャットはただ、辛そうな雪哉の表情を見ていた。


「知りすぎた。……――お前のことを調べる度に、浮かび上がるものは、“オレ自身”のこと……――」


「……――。どう言う意味?」


 雪哉の口から出た、意味深な言葉。

 空気が張りつめる……


「…………先に、ネコに言っておく。オレの本当の名前を……――」


「え? ……」


「聞けネコ。オレの本当の名前は、“白谷”じゃない。オレの本当の名前は、“五月女サオトメ”だ」


 いきなりなぜ、雪哉がこんなことを言い出したのかが、キャットには分からない。


「……“五月女”……――?」


 キャットはただ、その名を呟いた。“下を向きながら”……――


「“オレを見ろ”……――」


 下を向いたキャットに、顔を上げさせる。

 顔を上げたキャットの瞳は、小さく揺れていた。まるで、何かに動揺するように……


「……雪哉」


「聞け――……」


「ねぇ……何を言うつもり? ……――何だか、聞きたくない」


 キャットはソッと、自分の耳に手を当てる……

 けれどその手を掴んで、耳を押さえる動きを、制止させる雪哉……


「全て調べた。例えば、お前の本当の名前。間違ってねぇーか、一度聞いてみろ」


「…………」


「“五月女 美雪”」


 表情を変えないまま、スッと、キャットの目から涙が流れた。


「お前のことを調べて浮かび上がったものは、オレ自身の過去だった。オレとお前は、“二卵性の双子”。お前はオレの、だ」


 キャットは動揺を隠せない――……


「なっ……何よそれ! ……意味分からないよ! ……雪哉の嘘つき! 雪哉の名前はっ……“五月女”じゃないじゃん! “白谷”だもん!!」


 動揺したまま、ただ否定の言葉を並べた。


「俺の本当の名前は“五月女”なんだよ……──俺は八つの時、親に捨てられた。“白谷”は、親に代わって、俺を育ててくれた人の名前だ。その人に会った時から、俺は“白谷”として生きてきた」


 ──そう、“白谷”は、雪哉を育てた


「そんなっ……――でも違う――……同じ名字なんて、たくさんいるよ……!」


 信じたくなかった―─……


「お前の生まれた町、調べた。……この間、夕焼けを見せに行っただろう? 『八歳の時まで、俺の育った町』だって……――あの町にたどり着いた。俺だって動揺した! ……――ここまで知ったら、止められなくて、住所を辿った。そしたら、俺が八つまで生まれ育った家に辿り着いた。戸籍だって調べて――……」


「ウソよッ!! 雪哉のバカ!!」


 信じたくなくて、表情を強張らせるキャット。

 思い切り、雪哉のことを突き飛ばした。


「「……――」」


 ベッドの上で、雪哉の体勢が崩れる――……


 お互い、辛そうに表情を歪めていた。

 そのまま、視線が絡む……部屋には、重い沈黙が広がる。


 そう、二人は似た者同士だった。


 二人は共鳴し合う――……まるで、写し鏡のように――……


 同じ血の通った――……自らの片割れ……――


「ウソじゃねーんだよ……――」


 “ウソなんかではない”、本当はもう、キャット自身も気が付いている。

 ゆっくりと、雪哉は“その名”を呼んだ……――


――……」


 キャットはもう、溢れ出す涙を止められなかった。


「ヤダ。そんな名前、呼ばないで――……“ネコ”って呼んで……抱きしめて、キスして――……ねぇ、雪哉……――」


その問いに、雪哉が頷くことはない。


「ヤダよ!!」


 “美雪”は強く強く、雪哉にしがみついた。ギュッと強く、抱きついた――……


 小さく、美雪の嗚咽が響く。


 自分に抱きついた美雪の腕、その腕を、なぜか雪哉は、すぐに振りほどけなかった―─……


「……――雪哉が好き……」


 妹はギュッと、兄へしがみつく……


「なにが兄弟――……関係ないもん……――関係ない――……」


 言葉とは裏腹に、美雪の声が大きく揺れる。


「“ココ”には、私の印がある。――私のつけた印……――――そうだ―─……また、印つけてあげる――」


 カチカチと美雪の歯が鳴る。

 信じたくなくて、いつも通りの言葉を吐いた。

 震えて、カチカチと歯を鳴らしたまま、雪哉の首筋に、ソッと唇をあてる……


「美雪……─―」


 ソッと雪哉は、美雪の体を自分から離した。

 雪哉の手も、揺れていた――……


「「…………」」


 雪哉の瞳は微かに、潤んで見えた。

 美雪の表情は、もっと崩れる。


「……私が、妹だから? ……だから昨日も、『印つけるな』って……――」


「……――そうだ」


 泣き崩れる美雪。

 雪哉は、泣き崩れる美雪のことを抱き締めたくなるのを、グッとこらえる……


「ヤダよ……好きだよ雪哉……――雪哉っ……─―」


「お前は俺の、“妹”だよ」


 震える手で、ゆっくりと、美雪の涙だけをぬぐった。


「「…………」」


 雪哉のその手を、美雪はギュッと握った。

 その腕を引いて、その腕を、抱きしめる。


「ねぇ雪哉……―――知らないフリをして……――」


「…………」


「“知らないフリ”をして……――もう一度、“抱いて”……――」


 美雪は揺れる瞳で、しっかりと雪哉を見ながら、そう言ったのだった。


 美雪の言葉に、鼻の奥がツンとする――……

 雪哉は何かを決心するように、ギュッと固く、瞳をとじた――……


 震えながら、雪哉は美雪を抱きしめた。

 “兄弟”と認識して初めて、二人は抱きしめ合う―─……


「「……――――」」


 いつもとは違う感覚で、二人の鼓動は速くなる……


 自分を落ち着かせるように、雪哉は呼吸を整える……


 抱き合ったまま、ゆっくりと、ゆっくりと、息を吸って、息を吐いた……――


「「……――」」


 優しく……美雪の身体を、押し倒す……――


 体は、まだ震えていた……


 美雪の頬に、一粒の涙が落ちた……雪哉の涙が……――


「俺と美雪の……――“最後の夜”にしような……――」


 “知らないフリ”をして、二人は、最後の夜を過ごす。


 日が昇るまでは、二人は他人。


 日が昇れば、二人は“兄弟”に戻る。


 雪哉の言葉に、美雪は泣きながら頷く。


****

─────────

─────


「今日は眠らないのか?」


 行為の後、雪哉は美雪に問いかける。

 その問いに美雪は頷く。

 美雪はいつも行為の後、眠ってしまう。それを知っていたからこそ、雪哉はそう聞いた。


「眠らないよ」


「………」


「だって、朝になってしまったら――……」


 そう、朝になってしまったら、二人は“兄弟”に戻ってしまう。


 そうして二人は、朝まで、眠らないで過ごすことにする。


 ベッドに座ったまま、雪哉は美雪を、後ろから抱きしめた。そのまま、話し始める……──


「……そう、たどり着いたのは、俺らの町、俺らの家だった。すげー怖かった。けど、もう止められなくて……震える指で、インターホンを押したんだ」


「…………」


 その扉の向こうに、実の両親がいた筈。──話しを聞く美雪も、真剣な表情をする。


「けど、扉が開くことはなかった。……留守って訳でもなさそうだった。それからまた、詳しく調べた。そうしたら、“その家には、もう住んでない”ってことが分かった」


「なら、どこへ……――」


「×××市×××街……――居場所が分かったのは、“母親の方”」


「……え?」


「別れていたんだ。……母親は再婚していた。今の家は、再婚相手の家だ。名字は五月女から、七瀬ナナセに変わっていた。──再婚相手は、大企業の社長。金には困っていない。再婚相手との間には、一人子供がいる。……中学生の女の子だ」


 雪哉はギュッと、美雪を抱きしめる力を強める。


「……――母親に、会って来たんだ」


「……――」


 雪哉はほんの少しだけ、寂しそうな表情をした。美雪も、複雑な表情をする。


「どう……だった?」


 ──怖かった。自分たちを捨てた母親。けれどその人が、今どんな風に生きているのか……それが気になる。けれど、考えると、ズキズキと胸が痛む……


「中学校の教育実習のセンコー……そう偽って、会いに行った……」


「…………」


*──*──*──*──*──*──*──*


 ──そう、母親に会いに行った。その時の話だ。


 ──鼓動が速い。息苦しい。……震える指で、インターホンを押した。


―「はい。どちら様ですか? ─―」


 インターホンの音に、女の声が返ってくる……


『×××中学校の者』──……逸る心が、さらりと嘘を吐いた。

 そう答えると、扉が開く……──


「家庭訪問? ……そうでしたか。……アノ子、何も言っていなかったから……――」


「「……――」」


 扉を開いた母親と、しっかりと視線が交わった。


 一瞬、雪哉と母親の間に、沈黙が走る……──


 身体が震えそうになるのを、必死におさえた。呼吸が速くなってしまいそうになるのを、必死におさえた。瞳をとじたくなるのを、必死におさえた。

 そこに立っている女は、間違いなく、八歳の時まで、自分を育てた母親だったから。


「……学校の方針に基づき、急遽、ご家庭を訪問することになりまして……」


 母親は目を見開いて、少しの間、雪哉をじっと見ていた。


「……――何か、お困りなことはありませんか? ――」


 込み上げてくる感情を抑えて、笑顔を作った。


「…………――いつも、お世話になっております。どうぞ、中へ……――」


 母親はじっと雪哉を見た後に、ハッとして、雪哉を家の中に招き入れた。


****


 娘のこと、学校に対しての不安や悩みを聞いた。ごく、自然に……─―

 こんなウソをついてまで、自分は何を確かめたいのか? そのことさえ、よく分からなくなってくる。


「…………お名前……白谷さん……でしたよね? ……」


 やはり何かが引っ掛かるのか、話が一段落した後、母親は雪哉のことを、じっと見ていた。


「……どうかしましたか……?」


「「…………」」


 どんな答えを期待して、そう聞いたのか、分からない。ただ、自分をじっと見ている母親に、そう問いかけていた。


「いえ。……何でもないんです。ごめんなさい……」


 母親は視線を反らす。

 ほんのりと、寂しげな表情をしていた気がした。


「「…………」」


 何を思ってなのか、視線を反らす母親の顔色は、決して良くない。寧ろ、顔色が悪い。


「……顔色が良くない。……――大丈夫ですか? ……」


「本当に、何でもないんです……本当に……──」


 やはり顔色が優れないまま、母親はそう言った。


「「……――」」


 すると暫く間をあけてから、母親は視線を、雪哉へ戻した。

 母親は意を決し、話しを切り出す……──


「……―─あなたは、別れた元夫に、よく似ている」


 胸が、ズキンと傷んだ……──


「……――そうですか……――もしかしたら貴方に……辛い記憶を、思い出させてしまったかもしれない。……――申し訳ない……」


 もう、ここにいるのは、苦しかった。

 雪哉はそっと、立ち上がる。


「では、俺はこれで……――」


 そして、母親も立ち上がった。


「待って下さい。……」


「……――」


「アナタ、は? ……――」


「「……――」」


 ――〝 雪哉 〟――


 ――言えなかった……──


 母親の方を振り返って、無理に笑顔を作った。


「……“白谷”……ですよ」


 名前じゃなくて、名字を答えた。


「「……――」」


 やはり母親は、どこか寂しげに、雪哉を見ていた。


「では、失礼します。……――また何処かで……お会いしましょう――……」


 最後に見たのは、依然、寂しげな表情をした母親の姿……――


 その言葉を最後に、扉は閉まった。


*──*──*──*──*──*──*──*


 ──ここまで話して、言葉は途切れる。


 すると、雪哉に後ろから抱きしめられたままの状態で、美雪が雪哉の方を振り返った。

 振り返った美雪の瞳は、ゆらゆらと揺れている。その表情は、幼い少女のようにも見えた。


「ねぇ、雪哉の知っているお母さんとお父さんは、恐い人だった?」


 雪哉は八歳の時まで、実の両親に育てられた。だが、美雪は違う。もっともっと昔、赤ん坊の頃に両親から離れた。雪哉と美雪自身が、“自分には兄弟がいる”、と、その事すらも知らなかったのは、そのせいだ。 美雪には、両親の記憶がない。


 美雪の問いかけに、雪哉はそっと答える。


「違うよ。……――“優しい人たち”だった。“あの日”が来るまでは……――」


 雪哉はすっと瞳をとじる……――そして、鼻の奥がツンとするのを、必死にこらえた。

 そして、言葉を続ける――……


「“あの日”が来るまでは、“愛されている”と、思ってた……――」


 美雪の表情が崩れる……──泣きながら、雪哉を抱きしめた。


 ──“愛”というものを、理解出来なくなったのは、いつからだっただろう?


 自分には“愛”が理解出来ない。……そう、認識して、自分のことすら理解出来なくなったのは、いつからだろう?


 自分のことを、哀れに思ったのは、いつからだろう?


 自分のことを、“汚れている”と思ったのは、いつからだろう?


 自分のことを、“大嫌い”になったのは、いつからだろう? ……――


「自分のことが、嫌いだった」


 そう言ったのは、美雪。けれどもその言葉は、雪哉と美雪、どちらにも共通する言葉。


「けど……――雪哉を好きになった。……“自分に似ている”、雪哉を好きになった」


 初めから、“似ている”と感じていた。

 いつもどこか、共鳴していた――……


「雪哉は“私の片割れ”……自分のことが大嫌いだったのに、雪哉のことを好きになっていた。自分を、好きになれた……――」


 自分を大嫌いだったのに、気が付けば、“もう一人の自分”を、好きになっていた……─―


「オレも……――」


「え? ……」


「オレも、美雪のお陰で、自分を好きになれた」


 美雪はじっと頬染めながら、雪哉を見ていた。

 美雪の心の中に、嬉しさが込み上げる。


 二人の視線が、真っ直ぐに重なる。


「いつの間か……お前に惹かれていたから」


 ほんのりと赤かった美雪の頬が、もっともっと、真っ赤になった。


「……ホ……本当? ……――本当でしょうね? ……」


「当たり前だ」


「本当?! ……だって!! ……私たち、騙し合いの恋愛ゲームだった……。嘘?? ──」


 嬉しいけれど、つい聞いてしまう。


「本当だ。……騙し合いは、もう終わりだろう?」


「……――」


 驚きがおさまらないようで、美雪は戸惑っている。

 雪哉はいたずらっぽく、笑いながら言う……──


「──……ゲームセット」


 するとキャットも、フッと笑顔になった。


「フフ……―─なぁに、演技がかったセリフ言ってるのよ?」


「言ってみたかった」


 可笑しそうに笑って、二人とも、笑顔になる。


「雪哉、大好き!!」


 美雪は雪哉に、思い切り抱きつく。


─―ガコン!!


「痛ッ?!」


 思い切り抱きつかれた勢いで、後ろに倒れた雪哉。その拍子に、頭をぶつけた。

 美雪は可笑しそうに、ケラケラと笑っている。


「てめぇ! なに笑ってんだよ!?」


「フフフ♪ なんだか面白い♪」


 けれどやはり、雪哉もすぐに笑顔に戻る。

 ──そして、しっかりと見つめ合った。


「好きだ」


「私もだよ」


 すっと美雪を引き寄せる。そのまま、二人の唇が近づく……――


 “愛”というものを、理解出来た気がした……――─────

───

 唇を離せば……カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。


 隙間から差し込む光は、斜めに伸びていて、ちょうど、二人の間を遮っている。


 優しい光が、残酷な、新しい朝を二人に届ける……――


 雪哉と美雪が唇を重ねたのは、それが最後だった。



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