Episode 11【あの日々に戻るまでの、カウントダウン】
【あの日々に戻るまでの、カウントダウン 1/2 】
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真実が明かされるまでの、カウントダウン……──
それはもう、始まっている。
少しずつ少しずつ、息を吸う……息を吐く……
皆、深呼吸をして、自分を落ち着かせる……
とじていた瞳を開こう……──
どんな真実が待っていようと、僕らはその真実を、受け入れてみせるよ――
嗚呼──
カウントダウンの音が、聞こえる……──
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窓の外、高い星空。キラキラと輝く星……──
松村の話を聞いて、全ては繋がった。
松村との電話を終えた後、瑠璃は、結びついた真実を思いながら、星を眺めていた。
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━━━━【〝
結びついた真実……
スパイとして潜り込んで、私はようやく、欲しかった情報を手に入れた。
“私はもっともっと、役に立てるかな?……計画通りだよ。上手くやってるじゃん”……
自分を褒めてみるけれど、心に穴があいたような、そんな気分なのは、どうしてだろう?
私は大きな溜め息を吐き出す。
果たして私には、誰かを騙し続けることが、出来るだろうか?
真実を悟った今、なぜだか私の心は、不安定に揺れる。
大きく、息を吸い込んだ……─―
落ち着こう……
そんなこと考えても、意味なんてないよね? ……
しっかりしなきゃ……
こんなんじゃ、雪哉に怒られちゃうよね? ……
──私は自分を落ち着かせようと、必死なのだった。
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━━━━【〝
不意に見上げた空には、星が輝く。
夜風を感じながら、自分を落ち着かせようと、必死だった。
知りすぎたんだ。突き止めすぎた。途中から、嫌な予感がしていたんだ……なのに、真実に近づけば近づく程、もう、止まらなかった。
揚げ足取る為に、調べただけだ。なのに、そのせいで、計画が狂った……
俺はきっと、あの女と関わるべきじゃなかった。
どうしてこんな形で、ネコと出会った?
俺、バカみてぇに、悩んでる。マズイ。なに悩んでんだよ……こんなんじゃ、瑠璃に笑われる……自分を落ち着かせて、冷静に戻ろう……
そして俺は、決心する。
知ってしまった真実を、“ネコに話す”……──そう、決心した。
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雪哉は暫く、夜風に当たっていた。するとその時、スマートフォンが鳴る……
「…………」
雪哉は少しだけ、戸惑ったように目を泳がせた……──電話の相手は、キャットだった。
「よぉ、こんな夜中に電話、どうした?」
―「いきなりごめんね? でも、出てくれて良かった……」
キャットの声は、嬉しそうに弾んで聞こえる。
―「ねぇ、雪哉、明日の夜、会おうよ?」
雪哉もキャットに、会う必要があった。伝えることがあるから。
「そうだな。明日の夜、暇だし……」
すると、キャットがクスクスと笑うのが聞こえる。
―「なんだか、雪哉が“夜暇”とか……変なの。いつも夜は、多忙そうなのにね?」
「オイ、コラ? どういう意味だ!」
キャットは、可笑しそうに笑っている。
―「怒らないのよ? 侮辱してる訳じゃない。嬉しくて、余計に笑っちゃうのよ」
「……ん? 何が嬉しいんだよ?! ……」
―「だって、雪哉は夜、暇でいいんだよ。私と会って初めて、暇じゃなくなる。それでいいじゃない?」
「そういう意味か……」
―「その調子だと、まだ残ってる? この間、私がつけた“印”」
印のついた首筋を、雪哉は押さえた。
「あぁ。残ってる」
「良かった。やっぱり、雪哉は印ついてるくらいが、ちょうどいい」
「ぁんだと?! お前な―─……」
―「だって、私がつけた印があれば、雪哉は私としか会えないじゃない?」
「まぁな。……」
そしてキャットは、冗談っぽく言う。
―「その印は、透明の首輪と同じですから」
やはり電話ごしに、キャットのクスクス笑う声が聞こえる。
キャットは冗談っぽく言っていたが、その言葉に、雪哉はそこそこ、衝撃を受けているらしい。
「なっ?! ……――ネコてめぇ! 首輪とか! ペットじゃねぇんだから! 俺が、Mみたいじゃねぇーか!! 俺は基本、Sだ!!」
―「……雪哉?? そんな大声で、そんなこと言っちゃう? 恥ずかしぃ~……」
「…………」
赤くなりながら、雪哉は口を押さえる。
そして雪哉は、呆れたように溜め息をつく。
「お前の女王様っぷりには、敵わねぇ。誰に似たんだか―─……」
―「ちょっとー! 何よそれ?! 誰に似たとか、雪哉が気にすることじゃないわよ?! ……そんなこと言っちゃって、私たち、似た者同士じゃない!」
「まぁな」
電話で話す前は、悩んでいた雪哉だが、話し始めると自然と、落ち着いて話せていた。
―「じゃあ雪哉、覚悟しておいてね? 消えないように、また、印つけてあげるから」
「……駄目だ」
―「えー! ……この間は『良い』って言ったのにぃ……」
声しか聞こえないが、キャットが今、寂しそうな表情をしているのが、目に浮かぶ。
「…………」
キャットの表情を想像した雪哉は、言葉に詰まる……
するとすぐに、キャットはそのことを察した。
―「返答なし? さては雪哉、“可哀想なことを言ってしまった”……とか、思ってくれてた?」
「そんなんじゃねぇーよ」
―「そうのくせに? 遠慮なく、印つけるからね? じゃあ、また明日ぁ♪」
「あ?! 駄目だからな……――」
雪哉はそう言ったけれど、既に電話は切れた後だった。
「アイツ、上手いタイミングで切りやがった」
少しだけ不服そうに、雪哉は呟いていた。
****
そして次の日―─
約束の夜。
この間と同じ時計台の前で、二人は会った。
この間は、キャットが先に待ち合わせ場所に来ていたが、今回は違かった。雪哉が先に待ち合わせ場所に来ていた。
レンガ造りの大きな時計台、それに寄りかかりながら、雪哉はキャットを待つ。
「雪哉? 今日は早いじゃない」
少しして、キャットが現れる。
キャットは柔らかな笑みを浮かべながら、小走りで雪哉の元へ向かった。
「早くねーよ。普通だ」
「いやいや、早いわよ。どんな心境の変化かしら?」
なんとなく、キャットは期待の目を雪哉に向ける。
「いやいや、変化なんてねーし」
「「…………」」
あからさまにキャットは、拗ねたような表情になる。
逆に、雪哉は得意気な表情をする。
「変化なんてない。オレはいつも通りだ。夜は女を待たせない主義だ」
“そういうことか”と思い、不服そうに、目をパチパチとするキャット。
「夜一人にさせたら、危ねーだろう? 本当は迎えに行くのが、一番いいんだけどな……」
キャットはどうしても、自分の居場所を教えたがらない。だから、待ち合わせをするしかない。
その言葉を聞くと、キャットの表情から不服さが消え去り、嬉しそうに笑う……
「でもその優しさ、私だけにしてほしいな」
「……オレ平等だし」
「……雪哉のバカ!!」
またまたいじけ出したキャット。
雪哉はキャットを、困ったように見ていた。
「今日は雪哉、空気読めてない! いじわる!」
「仕方ねーだろう? ……――」
雪哉は何かを考えるように視線を反らした。
視線を反らしたまま、雪哉はキャットの手を取って、歩き出す。
キャットも雪哉に手を引かれるまま、歩き始めた。
そしてそのまま、雪哉は言葉の続きを口にした……――
「仕方ねーだろう。お前が……――あんなに“嬉しそうに笑ったから”――……」
「……?」
雪哉は前を向きながら呟いたので、キャットには、雪哉の言葉がよく聞こえていなかった。
「ねぇ雪哉、どこに行くの?」
「……ネコに話したいことがあるんだ」
「話し? ……」
「あぁ。……落ち着いて話せる場所に行く」
「…………」
いい話しなのか、そうじゃないのか……──なぜだか、キャットは不安になった。だから、雪哉の行く場所には、行きたくなかった。
「えー、ヤダ。私、行くところ、決めてきたんだから?」
なぜか、行きたくなくて、自然とそう言った。
「決めてきたのか?」
そう言うと、雪哉が振り返った。
「うん」
キャットはニッコリと笑って、頷いた。
「……なら、ネコの決めた場所に行くか」
『決めた』と言われれば、無理に否定したりしない。
自分が落ち着いて話せる場所へ行こうとしていたが、キャットの決めた場所へ行くことにした。
****
目的の場所。その前で立ち止まって、雪哉はその建物をただ、見ていた……
キャットがクスクスと笑う。
「なぁにボーッとしてるの? ココより落ち着く空間なんてないじゃん。……ココなら、二人だけの夜になる」
キャットが来た場所は、ラブホテルだ。
いつも通りと言えば、いつも通りの選択だった。
キャットはニコニコとしながら、雪哉の腕に、自分の腕を絡める。
「ね? 行こうよ?」
****
ホテルの一室、二人だけの夜……
いつも通りの筈なのに、何かが違かった。少しの違和感が残ったまま、時間は過ぎる……
雪哉はずっと、何か考え事をしているように見えた……
「ねー、雪哉。どうしたの……?」
「……別に」
「…………」
明らかに、雪哉の様子はいつもと違かった。
悲しそうな顔をするキャット。
ホテルに来て、シャワーを浴びて、何故か、何をするわけでもなく、二人はベッドに座ったままだった。
「雪哉? ……ちょっと、ジラしのつもり!?」
「あ? いや、なんつーか……」
やはり雪哉は、困ったような顔をする……
「ちょっと! なにその曖昧な返答!? 雪哉のバカ! 男が廃るわよ!!」
そう言うと不機嫌な顔をしたまま、キャットは勢い任せに、雪哉を押し倒した。
「「……――」」
不思議な沈黙が、二人を包んだ。
それぞれ何かを思い、視線が絡む……――
「「……――」」
そのうちに、不機嫌そうだったキャットが、再び哀しそうな表情をした。
「ねぇ雪哉。……この間、言ったよね? 私、雪哉が好きだよ」
「……覚えてる」
「雪哉いじわる。なんだか今日、冷たい」
「…………」
キャットは哀しそうな表情のまま、言葉を続ける……
「私たち、騙し合いのゲームでしょう? ……――海へ行った日、お互い言ったよね。『惚れたら負け』って……」
「あぁ。言ったな……」
「…………――私の敗けだよ。雪哉の勝ち。惚れた方は、いいように利用されるの……――だって、好きで好きで、失うのが怖くなってしまうから……
「…………」
「もう、利用されても構わない……――雪哉の役に立てるなら、構わない。……雪哉は、これを望んでいたんだよね? 雪哉の思い通りだよ――……」
スッと、キャットは体を動かす。
二人の唇が、近づく……――
「雪哉に従うよ。言われたことはするし、全ての真実を……――教えてあげる――……」
唇と唇が触れ合う……その直前――
キスしようとするキャットを、そっと……雪哉は制止させた――……
「「……――」」
「……ねぇ、どうして……?」
制止されたキャットは、悲しい表情に加えて、困惑の表情をした。
「悪い。今日会ってからずっと、話そうとしていたことがある。けど、なかなか言い出せなかった……――ネコに、伝えなきゃならねーことがある」
雪哉は、決心した瞳をキャットに向けた。
「……何よ? ……」
困惑しながら、キャットが聞いた。
そして雪哉は、ゆっくりと、話し始める……
「お前の言う通り、俺らは騙し合いのゲームだった。オレはお前のことを調べた。お前を従わせるネタにする為に……けど、調べたことを、後悔した」
「どうして後悔した?」
「知りすぎたからだ……――」
雪哉は何故か、辛そうな顔をしていた。辛そうに、目を細める……――
雪哉はそっと、自分を押し倒している状態のキャットの肩に触れる。その肩を優しく押して、起き上がった。
ベッドの上、向き合った二人。
「…………」
キャットはただ、辛そうな雪哉の表情を見ていた。
「知りすぎた。……――お前のことを調べる度に、浮かび上がるものは、“オレ自身”のこと……――」
「……――。どう言う意味?」
雪哉の口から出た、意味深な言葉。
空気が張りつめる……
「…………先に、ネコに言っておく。オレの本当の名前を……――」
「え? ……」
「聞けネコ。オレの本当の名前は、“白谷”じゃない。オレの本当の名前は、“
いきなりなぜ、雪哉がこんなことを言い出したのかが、キャットには分からない。
「……“五月女”……――?」
キャットはただ、その名を呟いた。“下を向きながら”……――
「“オレを見ろ”……――」
下を向いたキャットに、顔を上げさせる。
顔を上げたキャットの瞳は、小さく揺れていた。まるで、何かに動揺するように……
「……雪哉」
「聞け――……」
「ねぇ……何を言うつもり? ……――何だか、聞きたくない」
キャットはソッと、自分の耳に手を当てる……
けれどその手を掴んで、耳を押さえる動きを、制止させる雪哉……
「全て調べた。例えば、お前の本当の名前。間違ってねぇーか、一度聞いてみろ」
「…………」
「“五月女 美雪”」
表情を変えないまま、スッと、キャットの目から涙が流れた。
「お前のことを調べて浮かび上がったものは、オレ自身の過去だった。オレとお前は、“二卵性の双子”。お前はオレの、双子の妹だ」
キャットは動揺を隠せない――……
「なっ……何よそれ! ……意味分からないよ! ……雪哉の嘘つき! 雪哉の名前はっ……“五月女”じゃないじゃん! “白谷”だもん!!」
動揺したまま、ただ否定の言葉を並べた。
「俺の本当の名前は“五月女”なんだよ……──俺は八つの時、親に捨てられた。“白谷”は、親に代わって、俺を育ててくれた人の名前だ。その人に会った時から、俺は“白谷”として生きてきた」
──そう、“白谷”は、雪哉を育てた緑の名。
「そんなっ……――でも違う――……同じ名字なんて、たくさんいるよ……!」
信じたくなかった―─……
「お前の生まれた町、調べた。……この間、夕焼けを見せに行っただろう? 『八歳の時まで、俺の育った町』だって……――あの町にたどり着いた。俺だって動揺した! ……――ここまで知ったら、止められなくて、住所を辿った。そしたら、俺が八つまで生まれ育った家に辿り着いた。戸籍だって調べて――……」
「ウソよッ!! 雪哉のバカ!!」
信じたくなくて、表情を強張らせるキャット。
思い切り、雪哉のことを突き飛ばした。
「「……――」」
ベッドの上で、雪哉の体勢が崩れる――……
お互い、辛そうに表情を歪めていた。
そのまま、視線が絡む……部屋には、重い沈黙が広がる。
そう、二人は似た者同士だった。
二人は共鳴し合う――……まるで、写し鏡のように――……
同じ血の通った――……自らの片割れ……――
「ウソじゃねーんだよ……――」
“ウソなんかではない”、本当はもう、キャット自身も気が付いている。
ゆっくりと、雪哉は“その名”を呼んだ……――
「美雪――……」
キャットはもう、溢れ出す涙を止められなかった。
「ヤダ。そんな名前、呼ばないで――……“ネコ”って呼んで……抱きしめて、キスして――……ねぇ、雪哉……――」
その問いに、雪哉が頷くことはない。
「ヤダよ!!」
“美雪”は強く強く、雪哉にしがみついた。ギュッと強く、抱きついた――……
小さく、美雪の嗚咽が響く。
自分に抱きついた美雪の腕、その腕を、なぜか雪哉は、すぐに振りほどけなかった―─……
「……――雪哉が好き……」
妹はギュッと、兄へしがみつく……
「なにが兄弟――……関係ないもん……――関係ない――……」
言葉とは裏腹に、美雪の声が大きく揺れる。
「“ココ”には、私の印がある。――私のつけた印……――――そうだ―─……また、印つけてあげる――」
カチカチと美雪の歯が鳴る。
信じたくなくて、いつも通りの言葉を吐いた。
震えて、カチカチと歯を鳴らしたまま、雪哉の首筋に、ソッと唇をあてる……
「美雪……─―」
ソッと雪哉は、美雪の体を自分から離した。
雪哉の手も、揺れていた――……
「「…………」」
雪哉の瞳は微かに、潤んで見えた。
美雪の表情は、もっと崩れる。
「……私が、妹だから? ……だから昨日も、『印つけるな』って……――」
「……――そうだ」
泣き崩れる美雪。
雪哉は、泣き崩れる美雪のことを抱き締めたくなるのを、グッとこらえる……
「ヤダよ……好きだよ雪哉……――雪哉っ……─―」
「お前は俺の、“妹”だよ」
震える手で、ゆっくりと、美雪の涙だけをぬぐった。
「「…………」」
雪哉のその手を、美雪はギュッと握った。
その腕を引いて、その腕を、抱きしめる。
「ねぇ雪哉……―――知らないフリをして……――」
「…………」
「“知らないフリ”をして……――もう一度、“抱いて”……――」
美雪は揺れる瞳で、しっかりと雪哉を見ながら、そう言ったのだった。
美雪の言葉に、鼻の奥がツンとする――……
雪哉は何かを決心するように、ギュッと固く、瞳をとじた――……
震えながら、雪哉は美雪を抱きしめた。
“兄弟”と認識して初めて、二人は抱きしめ合う―─……
「「……――――」」
いつもとは違う感覚で、二人の鼓動は速くなる……
自分を落ち着かせるように、雪哉は呼吸を整える……
抱き合ったまま、ゆっくりと、ゆっくりと、息を吸って、息を吐いた……――
「「……――」」
優しく……美雪の身体を、押し倒す……――
体は、まだ震えていた……
美雪の頬に、一粒の涙が落ちた……雪哉の涙が……――
「俺と美雪の……――“最後の夜”にしような……――」
“知らないフリ”をして、二人は、最後の夜を過ごす。
日が昇るまでは、二人は他人。
日が昇れば、二人は“兄弟”に戻る。
雪哉の言葉に、美雪は泣きながら頷く。
****
─────────
─────
「今日は眠らないのか?」
行為の後、雪哉は美雪に問いかける。
その問いに美雪は頷く。
美雪はいつも行為の後、眠ってしまう。それを知っていたからこそ、雪哉はそう聞いた。
「眠らないよ」
「………」
「だって、朝になってしまったら――……」
そう、朝になってしまったら、二人は“兄弟”に戻ってしまう。
そうして二人は、朝まで、眠らないで過ごすことにする。
ベッドに座ったまま、雪哉は美雪を、後ろから抱きしめた。そのまま、話し始める……──
「……そう、たどり着いたのは、俺らの町、俺らの家だった。すげー怖かった。けど、もう止められなくて……震える指で、インターホンを押したんだ」
「…………」
その扉の向こうに、実の両親がいた筈。──話しを聞く美雪も、真剣な表情をする。
「けど、扉が開くことはなかった。……留守って訳でもなさそうだった。それからまた、詳しく調べた。そうしたら、“その家には、もう住んでない”ってことが分かった」
「なら、どこへ……――」
「×××市×××街……――居場所が分かったのは、“母親の方”」
「……え?」
「別れていたんだ。……母親は再婚していた。今の家は、再婚相手の家だ。名字は五月女から、
雪哉はギュッと、美雪を抱きしめる力を強める。
「……――母親に、会って来たんだ」
「……――」
雪哉はほんの少しだけ、寂しそうな表情をした。美雪も、複雑な表情をする。
「どう……だった?」
──怖かった。自分たちを捨てた母親。けれどその人が、今どんな風に生きているのか……それが気になる。けれど、考えると、ズキズキと胸が痛む……
「中学校の教育実習のセンコー……そう偽って、会いに行った……」
「…………」
*──*──*──*──*──*──*──*
──そう、母親に会いに行った。その時の話だ。
──鼓動が速い。息苦しい。……震える指で、インターホンを押した。
―「はい。どちら様ですか? ─―」
インターホンの音に、女の声が返ってくる……
『×××中学校の者』──……逸る心が、さらりと嘘を吐いた。
そう答えると、扉が開く……──
「家庭訪問? ……そうでしたか。……アノ子、何も言っていなかったから……――」
「「……――」」
扉を開いた母親と、しっかりと視線が交わった。
一瞬、雪哉と母親の間に、沈黙が走る……──
身体が震えそうになるのを、必死におさえた。呼吸が速くなってしまいそうになるのを、必死におさえた。瞳をとじたくなるのを、必死におさえた。
そこに立っている女は、間違いなく、八歳の時まで、自分を育てた母親だったから。
「……学校の方針に基づき、急遽、ご家庭を訪問することになりまして……」
母親は目を見開いて、少しの間、雪哉をじっと見ていた。
「……――何か、お困りなことはありませんか? ――」
込み上げてくる感情を抑えて、笑顔を作った。
「…………――いつも、お世話になっております。どうぞ、中へ……――」
母親はじっと雪哉を見た後に、ハッとして、雪哉を家の中に招き入れた。
****
娘のこと、学校に対しての不安や悩みを聞いた。ごく、自然に……─―
こんなウソをついてまで、自分は何を確かめたいのか? そのことさえ、よく分からなくなってくる。
「…………お名前……白谷さん……でしたよね? ……」
やはり何かが引っ掛かるのか、話が一段落した後、母親は雪哉のことを、じっと見ていた。
「……どうかしましたか……?」
「「…………」」
どんな答えを期待して、そう聞いたのか、分からない。ただ、自分をじっと見ている母親に、そう問いかけていた。
「いえ。……何でもないんです。ごめんなさい……」
母親は視線を反らす。
ほんのりと、寂しげな表情をしていた気がした。
「「…………」」
何を思ってなのか、視線を反らす母親の顔色は、決して良くない。寧ろ、顔色が悪い。
「……顔色が良くない。……――大丈夫ですか? ……」
「本当に、何でもないんです……本当に……──」
やはり顔色が優れないまま、母親はそう言った。
「「……――」」
すると暫く間をあけてから、母親は視線を、雪哉へ戻した。
母親は意を決し、話しを切り出す……──
「……―─あなたは、別れた元夫に、よく似ている」
胸が、ズキンと傷んだ……──
「……――そうですか……――もしかしたら貴方に……辛い記憶を、思い出させてしまったかもしれない。……――申し訳ない……」
もう、ここにいるのは、苦しかった。
雪哉はそっと、立ち上がる。
「では、俺はこれで……――」
そして、母親も立ち上がった。
「待って下さい。……」
「……――」
「アナタ、名前は? ……――」
「「……――」」
――〝 雪哉 〟――
――言えなかった……──
母親の方を振り返って、無理に笑顔を作った。
「……“白谷”……ですよ」
名前じゃなくて、名字を答えた。
「「……――」」
やはり母親は、どこか寂しげに、雪哉を見ていた。
「では、失礼します。……――また何処かで……お会いしましょう――……」
最後に見たのは、依然、寂しげな表情をした母親の姿……――
その言葉を最後に、扉は閉まった。
*──*──*──*──*──*──*──*
──ここまで話して、言葉は途切れる。
すると、雪哉に後ろから抱きしめられたままの状態で、美雪が雪哉の方を振り返った。
振り返った美雪の瞳は、ゆらゆらと揺れている。その表情は、幼い少女のようにも見えた。
「ねぇ、雪哉の知っているお母さんとお父さんは、恐い人だった?」
雪哉は八歳の時まで、実の両親に育てられた。だが、美雪は違う。もっともっと昔、赤ん坊の頃に両親から離れた。雪哉と美雪自身が、“自分には兄弟がいる”、と、その事すらも知らなかったのは、そのせいだ。 美雪には、両親の記憶がない。
美雪の問いかけに、雪哉はそっと答える。
「違うよ。……――“優しい人たち”だった。“あの日”が来るまでは……――」
雪哉はすっと瞳をとじる……――そして、鼻の奥がツンとするのを、必死にこらえた。
そして、言葉を続ける――……
「“あの日”が来るまでは、“愛されている”と、思ってた……――」
美雪の表情が崩れる……──泣きながら、雪哉を抱きしめた。
──“愛”というものを、理解出来なくなったのは、いつからだっただろう?
自分には“愛”が理解出来ない。……そう、認識して、自分のことすら理解出来なくなったのは、いつからだろう?
自分のことを、哀れに思ったのは、いつからだろう?
自分のことを、“汚れている”と思ったのは、いつからだろう?
自分のことを、“大嫌い”になったのは、いつからだろう? ……――
「自分のことが、嫌いだった」
そう言ったのは、美雪。けれどもその言葉は、雪哉と美雪、どちらにも共通する言葉。
「けど……――雪哉を好きになった。……“自分に似ている”、雪哉を好きになった」
初めから、“似ている”と感じていた。
いつもどこか、共鳴していた――……
「雪哉は“私の片割れ”……自分のことが大嫌いだったのに、雪哉のことを好きになっていた。自分を、好きになれた……――」
自分を大嫌いだったのに、気が付けば、“もう一人の自分”を、好きになっていた……─―
「オレも……――」
「え? ……」
「オレも、美雪のお陰で、自分を好きになれた」
美雪はじっと頬染めながら、雪哉を見ていた。
美雪の心の中に、嬉しさが込み上げる。
二人の視線が、真っ直ぐに重なる。
「いつの間か……お前に惹かれていたから」
ほんのりと赤かった美雪の頬が、もっともっと、真っ赤になった。
「……ホ……本当? ……――本当でしょうね? ……」
「当たり前だ」
「本当?! ……だって!! ……私たち、騙し合いの恋愛ゲームだった……。嘘?? ──」
嬉しいけれど、つい聞いてしまう。
「本当だ。……騙し合いは、もう終わりだろう?」
「……――」
驚きがおさまらないようで、美雪は戸惑っている。
雪哉はいたずらっぽく、笑いながら言う……──
「──……ゲームセット」
するとキャットも、フッと笑顔になった。
「フフ……―─なぁに、演技がかったセリフ言ってるのよ?」
「言ってみたかった」
可笑しそうに笑って、二人とも、笑顔になる。
「雪哉、大好き!!」
美雪は雪哉に、思い切り抱きつく。
─―ガコン!!
「痛ッ?!」
思い切り抱きつかれた勢いで、後ろに倒れた雪哉。その拍子に、頭をぶつけた。
美雪は可笑しそうに、ケラケラと笑っている。
「てめぇ! なに笑ってんだよ!?」
「フフフ♪ なんだか面白い♪」
けれどやはり、雪哉もすぐに笑顔に戻る。
──そして、しっかりと見つめ合った。
「好きだ」
「私もだよ」
すっと美雪を引き寄せる。そのまま、二人の唇が近づく……――
“愛”というものを、理解出来た気がした……――─────
───
唇を離せば……カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。
隙間から差し込む光は、斜めに伸びていて、ちょうど、二人の間を遮っている。
優しい光が、残酷な、新しい朝を二人に届ける……――
雪哉と美雪が唇を重ねたのは、それが最後だった。
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