【人形 2/2 】

****


 お風呂から出ると蝶々を手に取って、それをジュエリーボックスの中へとしまった。


 シャワーを浴びたら、目の腫れも少し引いたようだった。


 ──その時、扉が開いた。リュウが帰って来たのだ。

 かける言葉さえ浮かばなくて、ドールは何も言わないまま、リュウを見ていた。

 すると、リュウはいくらか、ムッとしたように見える。


「……何か言う言葉はないのか?」


「え?」


「お前はいつもそうだ」


「「……――」」


 不愉快そうにしながら、リュウはネクタイを緩める。──そして、シャワーを浴びに行った。


 リュウがいない間、ドールは先程のリュウの言葉について、考えていた。

 自分が、何を求められているのか……それさえも理解出来ないのだ。

 親同士が勝手に決めた相手。二人の間には、何もない。 愛情のない、無意味な時間だけが流れるのだ──……


****


 暫くして、バスルームからリュウが戻って来た。


 リュウは少し距離を取って、ドールの隣へと座る。


「……まだ、答えを聞いていなかった。どうして泣いていたんだ?」


「……大したことじゃ、ないよ……だから、言う必要はない」


 本当は、『大したことない』だなんて、全く思っていなかった。だが、泣いていた理由は、婚約者であるリュウに言える筈がない。愛しい人の身を案じて、泣いていたのだから。


「そんなに目を泣き腫らして、大したことはないのか?」


 ドールは俯いたまま、小さく頷いた。

 すると、リュウは諦めたように、溜め息をついた。


「お前は、もっと俺を頼ればいい。俺らは家の都合で一緒にされた。その運命に従うしかない。 どうせそうなら、仲良くやればいいんだ。……なのになぜ、お前はそれが出来ない?」


「そんな……――私がリュウに何か悪いこと、した?」


 責められている気がして、ドールはそう言った。


「悪いことはしていない。 良いこともしていない。お前は俺の前で、何もしない。お前はいつも、無関心な、感情のないような瞳を、俺に向けているだけだ」


 確かにそうだった。悪いことはしていないが、その代わりに、その他のことも、何もしていない。

 リュウに責め立てられる理由を、理解する。けれど、何をすればいいのかは、やはり分からない。

 ドールはリュウへと、困惑の瞳を向ける。

 そんな目で見られるものだから、リュウもいくらか困惑する。

 すると、リュウはそっと、ドールの手を握った。

 一瞬、ドール体がビクッと動いた。


「お前はいつも、何をそんなに恐れている?」


 ドールの体は、優しくリュウに抱き締められる。


 ドールの体は、強ばったようになる。


「知っているぞ―─……」


「……何を――……?」


 強ばった体のまま、ドールはリュウへと聞いた。


「知っている。お前は俺のことが、恐ろしいのだろう?」


「……――」


 何も言えなかった。

 リュウの言う通りだった。

 リュウのことが恐ろしい。

 この組織の頂点へと、限りなく近い存在であるリュウのことが、どうしようもなく、恐ろしい。

 この組織が何なのかを、理解してしまった日から……この組織に指示するのが、誰なのかを知ってしまった日から……リュウの存在は、恐怖でしかなかった。

 その事実を知った当時、まだ子どもだった。子どもだった自分にとっては、余計にその事実は強すぎる衝撃だった。衝撃が強すぎて、トラウマのような恐怖が、自分の中へと残っている。


「こうなるように、運命付けられたのだ――……ならそれに、従えばいい。 恐れるな」


 ──“運命”という言葉に、重みを感じる。

 けれど果たして、“恐れを忘れれば”……──済むことなのだろうか? きっと、忘れなくてはいけないモノは、もう、“恐れ”だけではない。リュウと一緒になるなら、忘れなくてはならない、人がいる―─……

 そう思うと、ただただ、悲しくて……──“自分”というものを、保てなくなっていく。


「俺に身を委ねろ――……」


 自分では、どうしたら良いのか分からない。だから言われた通りに、身を委ねるしかない。

 抱き締められていた体が傾いて、気が付くと、ベットに仰向けになっていた。

 仰向けになるドールには、リュウの姿が見えた。

 押し倒された状態になっている。

 ドールは不安そうな瞳を、リュウへと向ける。

 ──リュウは少し、表情をしかめた。


「命乞いするかのような、そんな目で見るな」


 リュウは表情をしかめたかと思うと、今度は優しく、ドールの頭を撫でた。

 リュウは出来るだけ、ドールを安心させようとして、頭を撫でてあげた。

 それはリュウの優しさなのだろうけど、そんなことをされたら、余計に思い出す。純のことを思い出す。

 純もよく、頭を撫でてくれた。純のことを思い出すと、余計に悲しくて辛くて……胸が張り裂けそうになる。


「いい加減、覚悟を決めろ。俺らは、婚約者だ」


 その覚悟を決められずに、ずっとずっと逃げてきた。 ──けれどもう、

 何かを覚悟するかのように、ドールは、瞳をとじた―――――……




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 夢の国を映すように、キラキラと輝く蝶──


 もしも、私の為に飛んでくれるのならば、私の想いを、その羽に乗せて、あの人に届けて……──


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 体と体の距離が、グッと近くなった。すると、首にそっと、キスされる……

 体がまた、一瞬強ばったようになった。

 服を着たままの胸元に、手が添えられる……──

 もっともっと強く、目を瞑った。


 ──“運命からは、逃れられない”──


 ──“もう、逃げるのはやめよう”──


 そう、自分を納得させる自分がいた。


 現実から逃げて、都合の悪いことを忘れて……少しの間だったけれど、まるで新しい人生のように、自由に過ごせた。

 十分、夢を見れた。

 楽しい思い出も、たくさん作れた。


 ──“もう、現実に帰ろう。これが正しいんだ” ──


 自分に、言い聞かせた。


 自分は、自分の運命に従えばいい。


 それが、一番正しい選択に決まっている。


 そう、自分を納得させる。


 自分を騙すことなんて、今まで、いくらでもやってきた。


 自分を騙して、これが“幸せ”なのだと、思い込んでしまえばいい……簡単なこと――


 ……──そう思うのに、鼻の奥が、ツンとした。


 とじたままの瞳から、涙が伝った。


 1日に、どれだけ泣いているんだろう? ……──自分に呆れて、悲しみを通りこして、心の中で、虚しく笑ってしまった。


 ─―“お前は、いつも泣いてるのか?”―─


 いつしか、そう言っていた純のことを、思い出した。


 思い出してしまったから、余計に、目から涙が溢れ出す。


 涙が溢れて、止まらなくなるから、純のことは考えないようにしようと……そう、思うのに、一度思い出したら、もう止まらなかった―─……



 ─―記憶の中で、赤い花弁が風に舞う……


 頭上からかけられた言葉に、振り返った私……──


 この日、初めてアナタと出会った……


 『危なっかしいんだよ』、そう言って、追いかけてくれた……


 寂しい時、隣で眠ってくれた……


 辛い時、抱き締めてくれた……


 一緒に出掛けて、思い出も作った……


 優しく、キスしてくれた……


 優しく、本当の名前を呼んでくれた……



 もう、溢れ出す想いを止められなくて、声に出して、泣いてしまっていた。もう、泣き出して、止まらない。


 泣き声に気が付いて、リュウは一度体を離す。

 リュウも少しだけ、辛そうに瞳を細めた。

 少しの間、リュウは泣くドールを、押し倒した状態のまま呆然と見ていた―─


「……──――」


 嗚咽を漏らすドール。

 何も言わずに、ドールを見るリュウ。


「……――何故、そうなんだ……」


 哀しそうに、リュウは呟いた。


 ドールは泣き続けるだけ―─……


「……お前は何故……いつもそうなんだ――!!」


 リュウは我慢出来なくなって、ドールを怒鳴りつけた。

 その怒鳴り声に反応して、ドールはようやく、リュウを見た。

 ──泣き崩れた表情のドールと、怒った表情のリュウ……──


「呆れる――……いい加減にしろ!!」


 嗚咽を我慢しながら、ドールは震える瞳をリュウに向けている。


「「……――――」」


「いい加減、自覚を持て――……」


 リュウはそう言うと、怖い表情のまま、ドールの上から退いた。

 リュウが退いて、ドールもベットの上で体を起こす。

 立ち上がったリュウは、きつい目でドールを見た。


「自分だけが、悲劇だと思うな――……」


「……そんなの……――思って……ないもん……!」


 泣きながら、ドールはなんとかリュウに言い返した。


「……――はっきりと、教えておいてやる」


「…………」


 リュウは冷たい目をする……──


「……――俺もお前のことなど、“愛してなんかない”――」


 リュウはそう吐き捨てると、静かに寝室を出て行った──


「……──――」


 残されたドールは、無表情で、ベットへ座ったまま……──


「……――─―」


 涙だけは、ただ溢れていた。

 無表情なまま、ずっと何かを、考えていた。


 開いた窓から、風が入り込み、カーテンが膨れる―─……


 風は優しく、無表情なドールの髪を揺らす。

 サラサラとした髪だけが、ただ虚しく、風に揺れ続けるのだった――



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