Episode7 【人形】
【人形 1/2 】
ある朝のこと。
全てを思い出したドールは、その運命から、逃れられずにいた。
メイドがドールの髪を、櫛でとかす。
ドールはブルーのドレスに身を包んでいた。
リュウが帰って来た途端、身の周りの事の世話を、メイドがやってくれるようになった。
記憶が戻った今、思い返せば、リュウがいる時は、必ずメイドにお世話になっていたのだ。
リュウが仕事でいない時期は、実質上、ウルフに権力が集中する。
ウルフに権力が集中する時期は、メイドがドールの世話をすることはなかった。“何もかもメイドがやってくれることを、ドールは望んでいない”、それをウルフは理解していたからだ。なのでドールの望む通り、ウルフはドールにメイドをつけないように指示するのだ。
だがリュウが帰って来ると、リュウへと権力が戻る為、自然と身の周りの世話する為のメイドがつくのだ。
そもそも、“リュウの不在時にはメイドをつけないこと”、その事実は暗黙の了解だ。 全員知っていながら、リュウにそれを言う者はいない。
メイドがドールの髪をとかし終える。
それを見計らって、ドールはスッと、手に握っていたモノを取り出した。
ドールが取り出した物は、蝶々のヘアアクセサリーだった。純が買ってくれた、大切なモノ。
ドールは蝶々を、髪に留めようとする──
「その手にずっと握られていたのは、ヘアアクセサリーだったのですね? 私がお付け致します」
メイドはニッコリと笑うと、蝶々を受け取った。
「ステキなヘアアクセサリーですね」
メイドがそう言うと、ドールの表情が、微かに柔らかくなった。
その時、扉が開いた。
開いた扉から入ってきたのは、専属のスタイリストだった。
スタイリストというだけあって、流行のオシャレに身を包んだ女性だ。
「ドール様、ヘアアクセサリーをお持ち致しました」
部屋へと入って来たスタイリストが、複数のヘアアクセサリーを持って来た。
メイドは困った顔をしている。今メイドの手の中には、たった今ドールから預かった、蝶々のヘアアクセサリーが握られているのだから。
スタイリストはスタスタと、ドールとメイドの元へと歩いてくる。
「あら、メイドさん? 少し後ろへ下がっていて下さらない? 貴方の立っている位置が、一番鏡を見やすい場所なの」
そう言うとスタイリストはメイドを退かして、自分がその位置へと立った。
スタイリストは持ってきたヘアアクセサリーと、ドールの衣装を交互に眺めて、見立て始めた。
鏡を見つめるドールの表情は、寂しげに変わってしまった。
ドールの寂しげな表情を見て、メイドも悲しそうな表情をした。
先ほど、蝶々のヘアアクセサリーを褒めた時、ドールの表情は、微かに柔らかくなった。メイドはそれを、見落としていなかったのだ。
だからこそ余計に、再びドールが寂しげな表情に戻ってしまったことが、悲しかった。
「あの……すみません。実は、ヘアアクセサリーはもう、決まっているのです――」
意を決したメイドが、スタイリストへと話しかけた。
するとスタイリストは、表情を少し不機嫌に変えて、メイドを見た。
「決まっていると言うのは、どう言うことです?」
「これを……」
メイドは蝶々のヘアアクセサリーを、スタイリストへと見せた。
「見立てるのは、私の仕事。口出しも、程々に」
「……いいえ。これは、ドール様の意思です」
するとスタイリストは蝶々を受け取り、じっとそれを見た。
そしてドールの方を振り向き、スタイリストは笑顔を作った。
「そうだったのですね。ですが、ドールお嬢様――……」
スタイリストは笑顔のまま、言葉を続ける。
「ですが、今日のドレスはブルー。ヘアアクセサリーも、同じブルー系にすると、もっとステキになることでしょう。こちらの蝶々は、ピンクのストーンを基調としております。今日のドレスには、あまり向きません」
スタイリストは再び、ヘアアクセサリーを見立て始める。
「ほら、お嬢様、こちらのブルーのヘアアクセサリーが良いかと思います」
……──すると、ドールは椅子から立ち上がる。
ドールは、台の一番隅っこに置かれた蝶々のヘアアクセサリーを掴んだ。
そしてそのまま、バッと走りだして、部屋を出て行ってしまう──
「お嬢様!? ――」
そう言ったスタイリストの声だけが、響いていた。
メイドはやはり、悲しそうな表情をして、俯いていた。
ギュッと強く、蝶々のヘアアクセサリーを握ったまま、ドールは走る。
ドールの表情は寂しげで、そして気難しそうな表情だった。
そのままドールは、女子トイレに駆け込んだ。そして、鏡を見た……――不満げな顔をした自分が、鏡に映っている。
ドールは握っていた手を開く。掌の上で、蝶々はキラキラと輝いていた。
ドールは、優しく、ヘアアクセサリーを両手で持つ。 大切そうに……蝶々を眺めた。
鏡の中の自分の表情は、自然と先程よりも、柔らかくなっていた。
そのまま鏡を見て、ドールは自分の髪に、蝶々のヘアアクセサリーをつけた。
これをつけるだけで、不思議と心が軽くなった。
ヘアアクセサリーをつけた鏡の中の自分を、暫く眺めていた。
──鏡を眺めて……“あの日と何も変わっていない”と、言い聞かせた。
あの日も鏡の前で、このヘアアクセサリーをつけた。
──一緒に出掛けたショップ街。そして、立ち寄ったアクセサリーショップ……アクセサリーショップで、このヘアアクセサリーをつけながら、鏡を見ていた……──あの日の自分は、楽しそうに、ニコニコと笑っていた……――
──鏡を見る――……髪に飾った蝶々……
──あの日と同じ――
──〝あの日と同じ〟――……
呪文のように、その言葉に頭を支配させる。自分を騙して、また、夢を見たいから――
スッと瞳をとじる……――
あの日に戻る―─……
──鏡の前に立つ自分……
髪につけたヘアアクセサリー……
笑顔で隣を振り向いた……
隣には、あの人がいて……そう──『可愛い』って……言ってくれる……――
──その時、誰か知らない人が、後ろを通りすぎた。
その足音に反応して、とじていた瞳を開く……
再び鏡の中の自分と、目が合った。
“あの日”から、現実へと戻ってしまった。
「……――」
肩を落として、俯いた。
そのまま肩を落としながら、ドールは女子トイレから出て行く。
( もう部屋に戻ろう…… )
そう思い、ドールは自分の部屋へと向う。
そうして、自分の部屋の近くまで来た。 部屋までは、あと一つの角を曲がるだけだった。
その角を曲がろうとすると、誰かが会話をしているのが、聞こえてきた。角をちょうど曲がった所に、誰かがいて、話している。
──不意に会話は、ドールの耳に入る。
―「なぁ、聞いたか? “ブラック オーシャン”のこと」
『ブラック オーシャン』その言葉を聞いて、ドールは足を止めた。
その話が気になって、つい、聞いてしまう。
―「聞いているさ。ブラック オーシャンが再来するんだってな……」
―「その通りだ。……──なあ、ブラック オーシャンに再来されたなら、うちの組織に支障が出ると思うんだ」
―「支障? ……なぜだ?」
―「当たり前だろう。現在、オーシャンと紫王、黄凰が争っている。紫王、黄凰は、俺らレッド エンジェルが、雇っている暴力団の一……──」
―「つまりその争いは、暴走族同士の権力争いって言うだけではないってことか……」
―「あぁ、そうだ。オーシャンと紫王、黄凰の戦争は、つまり、オーシャンとエンジェルの戦争だ」
レッド エンジェルが今回雇った主なチームは、紫王、黄凰だ。それは、同じ暴走族同士の争いならば、エンジェルとの関与のことを、隠しやすいから。
だがそのうちには、“暴走族同士の権力争い”というだけでは、おさまらなくなるのは、目に見えていた。
―「FOXが動き出すのも、時間の問題だ……」
―「FOXが動き出せば、それはもう、完全にオーシャンとエンジェルの戦争だ」
【
( 発音、“faks”or“foks”・本作では発音をアメリカ英語の“faks”に統一している為、“
―「それに噂によると、オーシャンは警察と手を組んでいる。この争い、面倒なことになるぞ……」
―「警察だと? 本当なのか?」
―「さぁな。噂だ……事実は分からない」
争いの拡大を予想させる会話に、ドールは戸惑っていた。
―「オーシャンもやるな……さすがだ」
―「初めは逃げ腰だったブラック オーシャンが、どうしてここまで動いたんだ?」
ドールはそっと、話を聞く……
レッド エンジェルは自分の組織の話であるし、オーシャンとも関わりを持った身だ。
聞いて動向を知ってしまう事も怖い気もしたが、知らないよりは、マシだと思った。だからドールは、必死に聞き耳を立てている。
―「仲間が傷付けられて、やる気になったんだろう? 東と北のトップがやられたからな」
―「東と北……“稲葉 聖”と“高橋 純”か」
―「あぁ。とくに、高橋は重症らしいぞ? 5日、意識が戻っていない」
ドールは凍り付いたかのように、目を見開いて、止まった――……
つい声を出してしまいそうになって、とっさに口を押さえた。
足がガタガタ揺れて……その場にしゃがみ込む。
──会話はまだ続いている。けれどもう、何も聞きたくなくなった。これだけ知ってしまえば、十分すぎた……
──〝聞きたくない〟――……
ドールは両耳を塞いだ。
……──そうして暫くしてから、恐る恐る、塞いでいた耳を解放した。
「……――――」
廊下は、しんと静まり返っている。
会話をしていた人物は、どうやら立ち去ったようだった。
壁に手をつきながら、そっと立ち上がった。
うるうると、瞳が揺れる……──
廊下の角を曲がって、自分の部屋へと、一目散に走った。
─―バタン!!
部屋へと入って、勢いよく扉を閉めた。
部屋へ入ると、再び身体の力が抜けていく。扉に背をつけて、膝を抱いた。そしてそのまま、泣いた――……
泣きながら、呟く──
「純くん……――」
涙は止めどなく溢れる……
「会いたい――……」
それからドールは、ずっとベットのシーツにくるまりなが、声を圧し殺して、泣いていた──
****
一日中、部屋の中で塞ぎ込み、やがて部屋は暗くなり、空には月が昇った。
ドールは、くるまっていたシーツから出た。
泣き腫らした目は、真っ赤になっている。
目が腫れていて、視界が悪い。
蝶々のヘアアクセサリーを髪から外して、掌に乗せた。ベットの上で、掌の上の蝶々を、眺めていた。そしてドールは、何かを決心したように、一度ギュッと……強く蝶々を握りしめた。
再び髪に蝶々をつけると、ドールは速足で、部屋を出て行く……──
暗くなった廊下を進んだ。 速足で、けれども息を殺しながら、慎重に……──
人の気配がしたら、身を潜めて、気配がなくなるのを待つ。そんなことを繰り返しながら、ドールは必死に進んだ。
──もう少し――……もう少しで、外へと繋がる扉へ、たどり着く……──
外への扉が見えて、ドールはその扉へと向かう。
─―ハァハァ……
呼吸は上がっているけど、そんなこと構わない。
速足で、扉へと駆け寄る……──
ドールは寂しげな目をしながら、けれど、微かに口元に笑みを作った。
「純くん――……会いに行くからね……――」
まるで語りかけるように、ドールはそう呟いていた。
外へと続く扉に触れようとした。けれど、その時……──
―「何処へ行く? ――」
呼び止められ、身体がビクッと揺れた。
声の方を振り向くと、そこに立っていたのは、“リュウ”だった。
ドールは何も言わずに、リュウを見て固まっている。
リュウもドールの泣き腫らした目を見て、一瞬、驚いたように止まった。
「「……──」」
先に口を開いたのは、リュウだった。
「なぜ泣いていた?」
「…………」
返答に困って、ドールは俯く。するとリュウはゆっくりと、ドールへと近づいた。
リュウはそっと、俯くドールの頬に触れた。
ドールはゆっくりと、顔を上げる。
「……――なぜ泣いていた? 何処へ行こうとした?」
「……涼みに、外に出ようかと……」
泣いていた理由には触れず、外に出ようとした理由だけを、適当に誤魔化した。
「「……――」」
けれど、リュウはそうは思えないのか、表情を濁した。
「……涼みたいのならば、窓を開ければいい。夜中に、迂闊に外へ出るな」
「…………」
ドールは再び、悲しそうに俯いた。
寄りによって、リュウに見つかってしまった。
外にさえ出れれば、会いに行けると思っていた。
希望が消えて、また、悲しみだけが沸き上がる。
「さぁ、部屋に戻るぞ」
リュウに肩を抱かれて、そのまま、部屋へと向かう。 そうするしか、なかった。
二人は寝室へと向かう。
寝室は先程ドールがいた部屋と、扉一枚で繋がっているのだ。
リュウはドールを、寝室まで送り届けた。
「俺はやり残した仕事がある。30分ほどで戻るから、待っていろ」
そう言って、リュウは寝室の外へと出ていった。
「…………」
再び一人になったドール。 30分は、あまりにも短い。もしもいなくなれば、すぐにバレてしまう。大人しく、リュウを待っているしかなかった。
ドールは蝶々のヘアアクセサリーを外して、それを棚に置くと、バスルームへと向かった。
リュウが帰ってくる前に、寝る準備を整えようと思ったから。
──目を瞑って、しばらくの間、頭からシャワーを浴びていた。
悲しみも切なさも、不甲斐なさも、寂しさも、心配も……全て、洗い流されてしまえばいい……そう思ったから。
目を開くと、自分の手首の無数の傷痕が、目に入った。そのせいでまた、ズキンと頭が痛んだ……──
この手首には、自分の嘆きが刻まれている。運命を呪って、自ら付け続けた傷痕だ。
けれど最近は、傷痕を見て頭が痛んだ時、それをなくす方法を知っていた。それは、“思い出すこと”……──
傷痕を眺めながら、思い出す。あのパーティーの夜のことを……──
あのパーティーの日、一人で眠るのが嫌だった。そして、随分とドタバタはしたものの、結局、純と一緒に眠りにつくことになる。
先に眠ったのはドールだった。眠っていたけど、まだ微かに、意識があった……──
あの夜、純は初めて、ドールの手首の傷痕を見た。そして純はあの時、そっと優しく、傷痕に触れて、その傷痕を撫でてくれた――……
純はドールが、完全に眠っているのかと思っていたけれど、それは違かった。ドールはそのことを、しっかりと覚えていた。
あの夜、それが嬉しくて嬉しくて……――涙が溢れそうになるのを、ずっと我慢していた。
無惨なこの傷痕に、初めて出来た、嬉しい出来事だった――……
子供だと錯覚していたあの時は、よく分かっていなかったけれど、思えばドールはあの瞬間から、純に恋をしていた──
あの日から、傷痕を見て頭が痛むと、決まって、そのことを思い出すようになった。
そうすると、不思議と痛みは、消え去るのだ。
何度でも思い出す。
今回も、あのパーティーの夜のことを思い出した。回想を終えると、頭の痛みが消えていた──
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