Episode 4 【人魚姫の想い】

【人魚姫の想い】

 ある日のこと……──


 燦々さんさんと輝く太陽……──


 風が吹く……


 キラキラと輝く浜辺と海──



 遠くのビーチから、海を楽しむ人たちの声が微かに聞こえる。ここは賑わうビーチから離れた、人気ひとけのない静かな浜辺。

 マキシワンピースを着て、造花のついた麦わら帽子をかぶった絵梨。

 浜辺に座りこんで、ただ海を見ていた。


「絵梨……やっぱりここにいたんだ」


 絵梨が振り返ると、そこには瑠璃がいた。


「最近よく、海を見てるよね」


「見たくなるの……」


 瑠璃もそっと、絵梨の隣へ座った。


「ただね、見たくなるの……」


 再び繰り返された絵梨の言葉。まるで、遠い日の想い出を見つめるような……──


 ──ブラック マーメイドが解散し、オーシャンの四人が行方をくらましてから、絵梨は毎日、海を見に来た。



 海を見つめてた──


 キラキラと輝く海の砂──


 まるでキラキと輝く宝物……


 浜辺についた手を、ギュッと握って、輝く砂を掴んだ。そのまま手を宙にあげれば、掴み取った量の半分も残らなかった。手の中に残るのは、文字通りに一握り……──そしてその一握りも、ついには、この手をすり抜けていく……──



****

━━━━【〝ERIエリ〟Point of vi視点ew 】━━━━


 何かが欲しくて、手に入れて安心したくて、がむしゃらに多くのモノを掴み取ろうとする……


 でも、不要なモノは、簡単になくなる……


 ただのエゴで掴み取ろうとしたモノは、簡単になくなる……


 そんな事の繰り返しに、心が病んだの。


 けれど、強く握っていた掌を開けば、自分の大切なモノだけが残っていた。


 その大切なモノを、強く強く抱きしめたの……──もう、『大切だ』って、『自分には必要なんだ』、って……──離さないように、抱き締めたの……なのに、どうしてそれさえも、この手をすり抜けていくの?


 ──この心であの場所を、あの時間を、あの人を……抱き締め続ければ、あなたの隣に、戻れるの? ……──


*****


 絵梨が憂いを閉じ込めた瞳のまま、言葉を続ける。


「一つずつ、だんだんに無くなっていくの。何かの連鎖みたいに……崩れていく……」


 絵梨の言葉を聞き、瑠璃もそれを恐ろしく感じている。なぜ今このタイミングで絵梨がそんな事を言うのか、それを分かっているからこそ。──そう、自分たちを取り巻く現実が、絵梨にそう言わせているのだろうから。


「皆この現実に翻弄されてる。恐怖にのまれて、壊れていく。私も皆も……」


「絵梨……そんな事を言わないで」


 瑠璃は表情を歪めたけれど、絵梨は無表情だった。その絵梨は何か、別の事を考えているようにも見える。


「……いろんなモノが遠ざかった。行く場所がないの。だから、海にくる」


 瑠璃は黙って、絵梨の言葉を聞いていた。


「お姉ちゃんは、“ブラック オーシャン”・この名前の意味を知ってる?」


「……分からない」


「──ブラックが表すのは、人間の心。憂い悲しみ、怒り憎しみ……妬み、ドロドロとした黒い感情。……──そしてオーシャンは、その心を受け止めてくれる器。 人の苦しみ悲しみを抱いて、オーシャンは黒く染まる。それがブラック オーシャン……」


 スラスラと瑠璃に説明してみせた絵梨。

 そんな絵梨が、瑠璃にはさまになっている気がした。いかに、絵梨がブラック オーシャン、マーメイドの人たちと、時間を共にしていたのかが伝わってくる。


「……私も、ユキに教えてもらっただけなんだけどね」


 絵梨は懐かしむように、少し笑った。その笑顔が、寂しさを帯びて見える。


「だからだよ。海にくる……この海に、悲しみを抱いてもらうの」


 キラキラと輝く海……──この目には、黒くなんて見えない。けれど、この海は絵梨にとって、紛れもなくブラック オーシャンなのだ。

 すると瑠璃も、スッと言葉を発する。


「ブラック オーシャンの意味、そんな事、思い付きもしなかったよ。その名前の響きに、恐いイメージしかなかった。けど、──違うんだ……ブラック オーシャンは、優しい海なんだね」


 瑠璃の言葉に、絵梨は大きく頷いた。


 悲しみを抱いて、自らが黒く染まる。

 そして人々は、漆黒の姿ゆえに、ブラック オーシャンを恐れる。


 本当はきっと、オーシャンの四人は、優しい人なんだ、瑠璃はそう思った。ブラック オーシャンのように、優しい人なんだと、そう思った。


 今の絵梨は、とても落ち着いているように見えた。それは、この海が絵梨の悲しみを抱いてくれているから。だから、今は落ち着いている。


 けれど、瑠璃は絵梨が心配だった。悲しみがあるから、海にくるのだから。

〝見てられなかった〟。誰か、絵梨の支えになる人がいてくれれば、そう思った。

 それは、雪哉がいてくれれば、絵梨にとってこれ以上の事はないと思う。けれど、それが難しい事なのは分かっている。


「ねぇ絵梨、そういえば、光って絵梨の事が好きみたいだね」


 絵梨は驚いたのか、ビクッと肩を震わせた。


「やめてよお姉ちゃん、そんな事ないって……」


 戸惑う絵梨。瑠璃は、クスクスと笑った。


「絶対そうだよ。アイツ、絵梨のこと好きだよ」


「……好きなんかじゃないよ。きっと、女の子なら誰でも良いんだよ」


「そんな事ないよ。岬と千晴は論外として、光は本気の気がする」


 絵梨は戸惑いながら頬を染めた。


「でもヤダ……」


「えー? 悪くないと思うけど……」


「好きになんてなれない……恋愛対象なんかじゃない。好きになんてならない。なれない。だって私は……――」


 絵梨は必死そうに否定する。異性が苦手だから、こんなに必死に否定するわけじゃなかった。

 絵梨は冷静に戻ったのか、呼吸を整えてから、俯いた。


「「…………」」


 俯いて、自分の膝を抱いた。


「私だって思ってる。 もう、本当にダメなのかもって……本当に、戻れないのかもって……でも、ダメなんだよ……ダメなの……“あの人”が、ずっと頭から離れない……私の気持ちは、なんにも変わらない……」


 瑠璃は横から、絵梨の肩を抱いた。


「絵梨がそう言うなら、ムリに勧めたりはしない。ごめんね……」


「ヤダ、謝らないでよ」


 それから二人は、しばらく海を見ていた。悲しみや迷いを、海に抱いてもらう。──その事が、瑠璃にも少し分かった気がした。


 ──そうして辺りはだんだんと、夕暮れに近付いてきた。

 瑠璃が時計を見ながら立ち上がる。


「こんな時間だ。私、用があるから、もう行くね。──絵梨はまだここにいるの?」


 すると絵梨が、穏やかに微笑みながら答える。


「もう少しだけ、ここにいる。すぐに帰るよ」


「……そっか。気をつけて帰って来てね」


 ここで、瑠璃と絵梨が別れた。


 ──そうしてしばらく、絵梨は一人で海を見ていた。


 夕焼けの色が濃くなり、太陽が真っ赤に見える。


 夕焼け空が過ぎ去るのは早い。


 次第に濃紺の空も顔を覗かせた。


 夕焼けと夜の境目が見える。


 ──暗くなる前に、絵梨は立ち上がった。帰ろうと、後ろを振り返る。すると、遠くから、見覚えのある人物が歩いてきた。


「隼人? ……」


 歩いてきたのは隼人だった。 今日は他の四人とは別行動らしい。隼人一人だけだった。


 隼人は無愛想な表情で、絵梨に向かって片手をあげた。


「よっ……」


「…………」


 こんな所で隼人と会うなんて、思いもしなかった。思わず表情が固まる絵梨。


「固まらなくてもいいだろ? 初対面に戻っちまった気分になる……」


「あっ……ごめん……」


 言葉ではそう言うが、固まった表情が戻らないままの絵梨。

 そして、隼人は当たり前のように、言った。


「よし、じゃあ、どこか行こうか?」


「……えっ!? ……」


 なぜいきなり、そんな流れになってしまうのか、絵梨にはまったく理解が出来ない。


「絵梨ちゃん? あからさまに嫌そうな顔しないでくれよ」


 この絵梨の反応には、隼人も困った。


「……え? ……私、もう帰るし……」


 あからさまに、絵梨は乗り気ではない。


「……なら送る」


「……っ……」


 正直、異性と一緒にいたくないのが、絵梨の本音だ。

 五人もいられるよりはマシな気がしたが、二人きりというのも、それはそれで嫌だ。

 乗り気でないから帰ると言ったのに、『送る』と言われて、思わず表情が引きつる。


「だからさ、絵梨ちゃん? あからさまに嫌がらないでよ?」


「…………嫌がってない……」


 バレバレの嘘だ。


「どこにも行かないし、送られるのも嫌なら、どうしろって言うんだよ? ……」


「へ? ……どうしろって……帰れば? 一人で……」


「え?! ……俺、一人で帰っていいわけ?」


「「…………」」


 そうして何か、話しの食い違いを感じ始める二人。


「……瑠璃さんに、何も聞いてないの?」


「お姉ちゃんが、どうかしたの?」


「聞いてないのかよ……」


 ため息をつく隼人。

 絵梨にクエスチョンが浮かぶ。


「俺、いきなり瑠璃さんに、無茶振りで呼び出しされたんだけど?」


「お姉ちゃんに?! どうして?!」


「『絵梨ちゃんが一人で海にいるから』って言われた。『一人じゃ危ないから今すぐ海に来て!』……って言う、瑠璃さんからの無茶な要望」


「……そんな無茶振り、よく承諾したね? ……暇だったの?」


「予定すっぽかして飛んで来ましたけど? ……」


 こんな返答が返ってきたから、絵梨は気まずさを感じた。


「……ありがとう」


「で? どうするの、絵梨ちゃん。これでも俺にまだ『一人で帰れ』って言える?」


 隼人が確信の笑みを作った。


「……“言えない”」


「よし、じゃあ決まりね。どこか行こうぜ?」


 戸惑いの表情をする絵梨とは反対に、隼人は笑顔を作った。

 絵梨はしぶしぶと、隼人の後をついて行く。


「とりあえず、いつものメンバーも集める。とか……」


 すると絵梨の肩が、ビクッと震えた。まず、〝いつもの四人まで集まるなんて〟……という、憂鬱。第二に、『光とか』隼人のその言葉に反応したのだ。瑠璃の話しを思い出したから。


「呼ばなくていい……!」


「え? 呼ぼうぜ? 多い方が楽しいだろ」


「楽しくない……!」


 必死に言い張る絵梨。

 隼人が困った表情を作った……──


****


 そして、いつもの喫茶店……──


「なに食おうかなー……絵梨ちゃんは? 決まった?」


 メニュー表を眺める隼人。


「まっまだ決まってない……」


 絵梨は落ち着かない様子だった。

 『呼ばない』と言い切ったのは良かったが、二人だけという事にも抵抗があるのだ。今さらながら思う絵梨だった。

 緊張のせいか、実は絵梨はメニュー表など見ていなかった。未だにそわそわと落ち着かない。


「………」


 そんな絵梨の様子に気が付き始めた隼人。

 考えた結果、隼人は飲み放題を二人分と、ポテト、そして絵梨にだけケーキを頼んだ。

 そうして注文の品が届くと、テーブルの真ん中に二人で食べられるようにと、ポテトを置いた。


「はい、ケーキ」


 隼人が絵梨に、チーズケーキが乗ったお皿を手渡した。


「……ありがと……えっと……」


「気にしないで? 俺バイトしてるし、おごるからさ」


「……あっありがとうございます」


 いきなりかしこまった絵梨を見て、隼人が可笑しそうに笑った。


「……あ! そう言えば、光が絵梨ちゃんに『今度遊ぼう』って言ってた」


「え?! ……」


「あ~いきなりごめんね? さっきいつものメンバーから連絡あって……──『絵梨ちゃんといる』って言ったら、こっち来たがって……『来るな』って言ったけどね? そしたら光がそう言ってた」


 訳を聞き、絵梨の緊張と困惑が再浮上する。


「え……何でいきなり、光はそんなこと……」


 分かっていたが、返答に困ってしまったので聞いてみた。


「何でって……絵梨ちゃん、光のこと嫌い?」


「……嫌いじゃないけど」


「なら、遊んでみれば? ……最初は、絵梨ちゃんは雪哉さんの女だと思ってたんだけど……違うんだろ? 今フリーだよね?」


「……うん」


「絵梨ちゃんに彼氏いないってのを知ってから、光が絵梨ちゃんにマジになってきた」


 やはり絵梨はそわそわと落ち着かない。


「そんなダメだよ……困る」


「え? どうして……? やっぱり、雪哉さんと付き合ってるの?」


 絵梨は困った表情のまま俯いて、何も答えない。


「まぁ、絵梨ちゃんが雪哉さんと付き合ってるなら、光は潔く諦めると思うよ」


「……前に言ってたもんね? 『殴られるのはごめんだ』って」


「あー、それもあるけど、もっと重要な理由がある」


「重要な理由?」


 聞き返す絵梨。隼人は得意げに説明をし始めた。


「雪哉さんたちって、喧嘩も出来るし、堂々としてるし……男から見てもカッコいいんだ。 雪哉さんは光の憧れだった。雪哉さんも、俺らの中で光を一番可愛いがってたしな。……──だから光は、絵梨ちゃんが雪哉さんの女なら、諦めるよ」


 すると合点がいき、絵梨は納得の表情を作った。


「あ……光の髪……」


 初めて光と会った時に、光の髪の色を見て、雪哉を連想した。同じ髪色だったから。


「光の髪の色のこと?」


「うん。雪哉と同じって思ってた」


「髪色変える時に、雪哉さんに聞いたんだって『どの色が良いと思いますか』ってな」


 絵梨は相づちを打ちながら、隼人の話を聞く。


「そしたら、雪哉さんが『俺と同じ色が合いそうだから、やってみろ』って、言ったんだって」


 隼人の話を聞いていると、当時の仲の良い雪哉と光が頭に浮かんで、何故だが絵梨まで嬉しいような気分になった。

 そして隼人は可笑しそうに笑いながら、話を続ける。


「そしたらアイツ、相当嬉しかったみたいで、もうずっと雪哉さんと同じ色なんだ」


「へぇー……」


 絵梨はそれほど興味もなさそうに、そう言っている。けれど、本当は興味深く感じていた。姉の瑠璃とお揃いにする事が大好きだった、幼少時代の自分を思い出したから。

 昔はとにかく、大好きな姉とお揃いの髪型、その事が嬉しくて仕方なかった。

 中学生になると、お揃いだなんて歳じゃなくなった。そうなって気が付いたのは、姉への憧れ。

 だから時々、こっそりと姉の髪型を真似たりしていた。

 ──そして現在、高校生になると、また絵梨の感覚は変わった。

 ──生まれ持った、内気な性格……どんどんと不安定になっていった自分。……思い出す姉の笑顔。頭に浮かんだ幼少時代の自分と姉。いつだって“お揃い”だった。気が付けば現在だって、姉のように髪を長く伸ばしてる。──そう現在の自分は、臆病な自分が安心を得る為に、“姉とのお揃い”を選んでいるのだ。

 ……──自分の気持ちを回想してみて、絵梨はため息をついた。自分の臆病さにうんざりとしたからだ。


「絵梨ちゃんため息?! そりゃ、光の髪色の話になんて、どうでもいいよね……」


 絵梨のため息に、ガッカリとした様子の隼人。


「そうじゃなくて……光が雪哉にそう言われて“嬉しかった”って気持ち、私もなんとなく分かる……」


「本当?! 光と気が合うんじゃん! ……でも結局、雪哉さんとはどうなの? ……」


 絵梨は少しだけ、無理に笑った。


「何にもないよ……ただの顔見知り。あの人雪哉、彼女いるしね」


 絵梨の言う雪哉の彼女とは、キャットの事だった。


「なら、光で良いじゃん?」


「良いじゃんってそんな……」


「え? 何? 実は光より千晴の方が好きとか? ……抱き付かれてあんなに拒絶してたのに……女ってなに考えてるのか、真面目に分からねぇな!」


「……なぜそうなるわけ? 千晴は論外……」


 絵梨と隼人、二人だけというのは初めてだったけれど、隼人が思っていたよりも、絵梨はいろいろな事を話してくれた気がした。

 そして絵梨が思っていたよりも、隼人は話しやすい相手だった。

 ──自然に時間は流れていった。


***


━━━━【〝ERIエリ〟Point of vi視点ew 】━━━━


 お姉ちゃんと隼人の話から分かったこと、光の気持ち……


 同じ日に、二人の人から勧められた。その偶然が、偶然なんかではないのかも……そうも思った。


 “もう、進みなさい……あの人はもう、アナタの元には、帰って来ないのだから……”


 そう、運命が言っている気がした……


 ──私に、他の人が好きになれるの?


 ──私は、あの人を忘れられるの?


 ──どうしたらいい?


 雪哉、もう、帰って来てくれないの?


 光、私のこと、好きなの?


 仮に周りに促されて、光と付き合う事になったら、 光のその赤い髪を見るたびに、 私は雪哉を思い出す……

 ──そう、初めて光と会った時から、私はいつだって、光を見ながら、雪哉を連想していたの……――――


*****

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2024年11月15日 21:21
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