Episode 1 【マーメイドが消えた日】

【マーメイドが消えた日 1/2 ─ 解散 ─ 】


======================

 

 オーシャンは消えた。


 オーシャンが消えた代わりに、マーメイドは生まれたんだ。


 今でもオーシャンの事が忘れられない。


 あの時の俺らには、何も見えてなかったんだ。


 自分たちがオーシャンに積み上げた想い……──目指したもの。何重にも重ね、厚みをおびた思い出……


 ──“BLACK OCEAN”──


 忘れられない想いは、ブラック オーシャンの中でしか生きられないと……──そう、錯覚していた。


 オーシャンに囚われすぎて、“マーメイドも好き”だと、気が付けなかった。


 ……オーシャンの消えた日の事、今でも頭に響く。あの頃の愚かな俺らが、慌て狂い怒り、哀しむ声が……──



『オーシャンが消えるってどういう事だよっ?!』



『ふざけんなよ!! 意味分かんねぇー!! ……』



 混乱する頭で、ただ感情任せに怒鳴り散らした。



『誰がそんな事を認めた? 終わらねぇ筈だ……俺らはBLACK OCEAN……』


 俺らの居場所・ブラック オーシャン、居場所を失うのが恐ろしくて、信じられなくて、呆然と呟いてた……


『──なぁ、栗原総長、何処に行っちまったんだよ……ブラック オーシャンはアンタのチームだろ? アンタがいねぇうちに、オーシャンは消える……そんな話、ねぇーよ……アンタが帰ってきた時、俺らはどんな顔して、アンタの前に立てばいいんだよ……? なぁ……総長……――』



 あの日、やたらと栗原総長の事が、頭から離れなかったのを覚えている……



 ──黒人魚の総長の存在によって、俺ら四人の権力は均等に保たれる事になった。


 邪道にがむしゃらに、頂点を求め続けた日々……──


 決着のつかないまま消え去った対決、心の真ん中、何かが足りなくなった気がした。


 ……オーシャンへの依存……マーメイドに心が馴染めなかった……


 〝オーシャンは消えた〟


 そして俺らは、この世界から身を引いたんだ──……


 ブラック オーシャン……四頂点……総長……──五代目の座……繰り返される争い……オーシャンが消えた日……──……


 昔の記憶が走馬灯のように浮かんだ。


 そして、……──マーメイドが消える日。マーメイドが、……──


======================


───────────────

─────────

─────


 昨夜の乱闘から一夜明けた。

 なんとか無事に帰宅した聖たち四人、百合乃。そして、ドール……──


 そうして何の前触れもなく、その話はブラック マーメイドのメンバーたちへと伝えられた。『ブラック マーメイドは解散』だと……──


 メンバーたちにも混乱が走った。そしてその混乱は解けない。


 太陽に覆い被さるように、雲が流れる。光が遮られて、辺りが少し暗くなった。


 混乱に陥るメンバーを、聖たちは表情一つ変えずに、ただ眺めてた……──


「行くぞ……」


 混乱に陥るメンバーたちを残して、背を向ける──

 そして、哀しみを見据えるような冷静な瞳のまま、この場を静かに立ち去るのだ……──


「待てよッ!! ……」


 立ち去ろうとする陽介の手を、南が掴んで止めた。


「待てよ陽介……いきなり、どういう事なんだ」


「南……」


 南は必死に陽介の手を掴んでいた。困惑の目を、陽介へと向けている。


「理由も言わずに、可笑しいだろ! ……」


「…………」


 〝マーメイドのメンバーたちには多くの事は語らずに、離れる事〟。──それが、皆を巻き込まない為の、手っ取り早い手段だった。


 南は悲しそうにも見えて、怒ってもいるような表情をしている……──


「どうしてだ! ……私ら、まだ仲良くなったばっかしだろ……せっかく! せっかく仲良くなれたのに! ……どうしてだよ! 陽介!!」


 南は悲しむと同時に怒っている。だが陽介は誤魔化すように、いつも通りの笑顔を作った。


「なに言ってんだよ南?! 大げさな奴。……別に、会えなくなる訳でもねぇーだろうが?」


 陽介は誤魔化すように笑ったけれど、南の表情は柔らかくはならなかった。


「誤魔化すな! ……なぁ陽介、その、誰とやったんだよ! この三日間のうちに、何か、重大な事があったんじゃないのか? ……」


 溜まり場へと顔を出さなかった三日間。いきなりの解散。喧嘩の傷跡……──〝何か重大な事が起こっている〟。──そんな、胸騒ぎがしていた。


「陽介答えろ! 勝手な事ばかり言いやがって! 許さないぞ! ……」


 南は何かを察している。

 陽介もその事を感じた。


「心配なんていらねぇーよ? 俺ら四人揃ってれば、恐いもんなんてねぇーから……」


「それは本当に、四人でどうにか出来る事なのかっ!!」


 南が陽介の胸ぐらを掴みながら怒鳴った。

 

 南の言葉がそのまま、スッと頭に入ってきて響く──


 ──〝四人でどうにか出来る事なのか?〟──


 〝出来る〟……とは、言えなかった。……──


 ──けれどそれでも、陽介は笑った。


「さっきも言っただろ? 南は大袈裟すぎ……そんなに俺の事が心配か?! ……」


 いつも通り、からかうような口調の陽介。

 けれど南は、強張った表情を少し涙目に変えて、頷いた。

 南が泣きそうに頷いたのを見て、陽介は呆気に取られた。一瞬、泣き出しそうな南に見入る……──どこか、照れ臭いような気持ちだった。


「南、お前……」


 陽介が照れ臭そうに、南の頭に片手を置いた。


「どれだけ俺の事、好きなんだよ? ……」


 こんな言葉も、いつもならふざけた冗談の言葉。けれど今回は、冗談のようにも、本気で南に聞いたようにも思えた。

 ……けれどそう言うと、やはり陽介はスッと南に背を向ける。彼女の返答を待たぬまま……


「陽介……」


 南が悲しそうに名前を呟いた。必死すぎて強張っていた表情が、ただ寂しそうな表情に変わる。そして、涙がこぼれた。

 その南の表情は、背を向けて再び歩き出した陽介には見えない。


純「遅ぇーぞ陽介、さっさと行くぞ……」


 陽介は離れた場所で待っていた純たちの元へ。そしてまた、全員で歩き始めた──


聖「お前なに照れてんだ? ……」


陽「うるせ……」


雪「やっと感づいたか? ……このバカ陽介


陽「バカって酷くね!? ユッキー! ……──で? 俺が何に感づいたって? ……」


「「…………」」


純「やっぱコイツ陽介、バカなんだな……。──もういい。無駄口たたかずにさっさと行くぞ」


陽「?!」


 いつも通り、ささいな会話をしながら、オーシャンたちはこの場を立ち去った……──


****


 こうしてマーメイドのメンバーたちの元から立ち去った四人。


 ドールはやはり、純と一緒にいた。ここにいるのはドールを含めた五人だ。実は百合乃とは別だった。


 太陽にかぶっていた雲も退いて、また光が差し込んでいた。


 五人は今、青々とした芝生の生えた、河沿いの広い公園に来ている。


 河を眺めながら、芝生に座ったり寝転んだり。これは、頭の中を整理する為の時間だった。


 ──太陽の光と河の音、きれいな芝生にほんのりと癒される。


 四人はじっと何かを考え込んでいるけれど、その内に、ドールはチョコチョコと活動を始めた。

 芝生の上をチョコチョコと歩き回ってから、芝生の間から生えている花を見つけた。ドールはそれをじっと眺めている。

 しばらくすると、その花に硬い羽を持った虫が飛んできた。


「…………」


 今度はその虫を、じっと眺める。


「わッ!! ……」


 だがすると、その虫がいきなりドールの方に飛んできて、驚いたドールは小さな叫び声を上げた。


「お前何やってんだ? ……」


 芝生に寝転んでいた純が、体勢を起こしてドールを見た。


「純くんっ……」


 そうして虫に驚いたドールは、純の元に逃げ帰ってくる。ドールは純に、ピッタリとくっついている。


「? ……どうしたんだ?」


「虫が飛び付いてきたっ……」


 相変わらず、驚いた表情が直らないドール。


「……ビビりすぎだろ?」


「だっていきなり来た! 結構おっきいの!」


「ビビりすぎ」


 するとドールが、プクッと頬を膨らます。

 そして、拗ねるドールを見て、純が笑った。


「純くん何で笑うの~?」


 その様子に、さらに頬を膨らますドール。


「ドールが怒ってるのが、なんだか面白ぇから」


「純くんのいじわるぅー!」


 ドールが頬を膨らましたまま、純に背を向ける。


「なに怒ってんだよ? こっち来いよ」


純は面白可笑しそうに笑いながら、あげらをかく自分の足に、ドールを座らせる。

 怒っていた筈のドールだったが、こっそりと嬉しそうに笑っている。


「怒ってたんじゃないのか?」


 こっそりと笑った筈だったが、嬉しそうにしているのが、純に丸分かりだった。


「おっ怒ってるもん!」


 『怒ってる』と言いながら、やはりドールは嬉しそうだ。


「お前、面白ぇな」


 純とドールはコミュニケーションを取りながら、和やかに笑っている。

 そして他の三人は、純とドールの事を、珍しいものを眺めるかのように見ていた。


聖「なぁ純、その“女の子”どうするんだ?」


純「あ?」


陽「その女の子、ちゃっかりいるけど、平気なのか?!」


雪「幼女誘拐……」


 聖、陽介、雪哉は、困ったように、純の膝の上にいるドールを見ている。

 聖たちは“ドールを連れて来ても良かったのか”、その事を気にかけている。だから、純にこんな事を聞いた。

 けれど純は、その質問とは別の事が気がかりで仕方なかった。聖たちが口にした言葉だ。『女の子』『幼女』……どちらも子供を表している言葉だろう。

 〝違和感を感じた〟。そう、純はドールと一緒にいるうちに、違和感をおぼえるようになっていたのだ。

 ──時々、ドールが子供なのを忘れる。ドールは体も小さいし、化粧もしてないし、行動も子供のようだ。けれど、違和感を感じる時がある。ドールの言葉や行動が、大人のものに見える時がある。〝小柄で童顔〟。そんな大人に見える時がある……


 ──もう一度、膝の上のドールを見る。

 何も知らないような、純粋で無邪気な表情。子供の表情。


「…………」


 子供だと思っていたら、そうは見えなくなった。

 大人だと思えば、すぐにこんな表情されて、一度でも大人だと思った自分をバカに感じる。──その繰り返しだった。


聖「おい純、聞いてるのか?」


純「……聞いてねぇ。何だっけ?」


聖「だから、その女の子、連れてきて大丈夫だったのか?」


純「あの状況だぞ? 一緒に連れてくるしかなかった」


 警察側の突入。混乱に陥る屋敷。……ドールを置いてなんて、行けなかった。

 純がなんて言い出すのか、ドールは不安そうに純を見ていた……


純「ドール……お前、戻りたいか?」


 純がドールに問いかける。

 ドールは何も言わずに、じっとまん丸の瞳を純に向けてうったえる。


純「……ちゃんと答えろよ」


 純は困ったような表情のまま、ドールの髪を撫でた。


純「お前はホント、仕方ねぇ奴だ。分かったから……」


 ──そして、純とドールのやり取りを、じっと見ていた三人は……


聖「はい? 何が分かったんだ?!」


陽「何にも分からねぇーよ! 純の言葉足らず! だいたい、あの子は何にも言ってねぇー!」


 だがすると雪哉が……──


雪「分かれよ……鈍いぞテメーら! 目がうったえてただろうが。“戻りたくない”って!」


聖陽「「…………」」


 いまいち、よく分かっていない様子の聖と陽介だった。

 とりあえず、ドールは戻りたがってはいなかった。

 そしてドールがそう感じているなら、純も〝それで良い〟と、そう思った。

 どのような立場で、ドールがレッド エンジェルと共にいるのか、それは分からない。だが、裏組織などにドールを置いておきたくなかった。……あの傷痕も、〝ドールが何かに苦しんでいる証拠〟であっただろうから。……──そうだから、ドールが戻りたくないと言うのなら、“それで良い”と思った──


雪「新しいメンバーが増えたな」


 そう言って、雪哉も快く笑ってくれた。そして聖と陽介も、納得したようであった。〝その子がそうしたいのなら、裏組織などからは、連れ去ってしまっても構わないだろう〟と──

 純以外のメンバーにも受け入れてもらえた事、それを感じたドールも、安心したように笑った。

 ──そうしてその時、陽介が呟いた。


陽「百合乃もいれば、良かったのにな……」


 〝百合乃〟、彼女の名を聞くと、全員、何か思い思いに暗い表情をした。

 昨夜の乱闘の後、聖たちはいつもの溜まり場に戻った。だが、百合乃だけは実家へと帰ったのだ。


陽「なんだか百合乃、元気なくなかったか? ……」


雪「と言うよりは、疲れてた? ……」


 皆、百合乃の異変の理由が分からなかった。

 それは、パーティーであんな目に遭ったのだから、心身ともに疲れているだろう。だがだからこそ、普段の百合乃であったなら、こんな時、仲間からは離れなかった筈なのだ。──彼女の心の拠り所よりどころは、実家よりも、仲間の元であった筈なのだから……


純「聖、なんか知らないのか?」


聖「お前らが知らないのに、俺だけが知ってる筈ないだろ?」


陽「そうか? だってよ、百合乃が一番信頼してる相手は、聖だぜ?」


雪「もしかして百合乃が変な理由、聖が原因なんじゃ……」


「「「…………」」」


 純と陽介も、納得の表情で聖を見た。聖や百合乃が何も言わずとも、察している何かがあったのだろう。


聖「……俺?」


 だがすると、三人からの視線から目を背ける聖。

 気まずそうにする聖を見て、三人には、だいたいの予想がついていく……──


純「図星か……」


陽「泣かしたのか?!」


雪「聖はバカなんだよ」


 確かに百合乃の事については負い目も感じてはいるが……──この言われよう、雪哉の一言が聞き捨てならない聖。


聖「何がバカだよ? ……知ったような顔しやがって」


 こうしてまた、雪哉と聖の空気が悪くなる。


陽「アイツら最近、よくぶつかるな……」


純「結局どっちもバカだから、何度もぶつかる……」


陽「バカの悪循環か?! めんどくさっ……最悪だ!」


 四人の思考はそう、自分がバカだとは思っていない。周りの奴らは自分よりもバカだと思っている。──つまりは、互いに見下す相手の言葉に耳を傾けようとしない為、何度もぶつかるのだ。


D「ドールはぁ? バカかなぁ?」


「「…………」」


純「……お前はいい子だ……」


陽「甘やかしてるな……」


 ──さておき、聖と雪哉は……


雪「聖はバカだ。応えてやれば良いのによ……残酷だ──」


聖「仕方ねぇだろ! 百合乃とは情が食い違ってる」


雪「そんなの知ってる」


聖「なら何だよ?」


雪「ホントバカだな。少し遊んでやれば良いだろ」


聖「は? 雪哉じゃねぇんだから……そんな事しねぇよ!」


 このような調子で、雪哉と聖は言い争っている。そして、二人でこそこそしている純と陽介……


陽「ユッキー……何を言うかと思えば……」


純「仕方ねぇよ。雪哉だからな」


 ──そして雪哉は呆れたように、聖に背を向ける。そうしてベンチに座ってから、また聖に視線を向けた。


雪「一度抱いてやれば良いだろ!」


聖「だからっ! お前と一緒にするな!」


雪「百合乃のこと大切だろ? なら抱いてやれ」


聖「大切だ。けど、違うだろ! そんなの百合乃が可哀想だ」


雪「可哀想だと? お前の思い込みだろ。偽善もいい加減にしろ。──お前は寄ってきた女を抱いた軽い男。けど、百合乃はそれに救われる。……これで良いだろ? 百合乃が大切なら、自分が悪い奴になれよ」


純「……一理ある」


陽「けどよ……」


 雪哉の言葉を聞いて、聖の思考は一瞬停止したようだった。衝撃だった。自分の中には全くない考え方だったから。

 雪哉の言う事が正しいとは思わない。だが、間違っているとも思わなかった。けれど、賛成はできない。


聖「雪哉の感覚が理解できない。……お前そんなんだから……」


雪「なんだよ? ……」


聖「いや……別に……」


 ──“お前そんなんだから、絵梨のこと見失ったんじゃねぇの? ”──


 そんな言葉が、頭に浮かんでしまった。酷だと思ったので、実際は言葉にはしなかった。


聖「なぁ雪哉、お前、“絵梨は俺に惚れてる”って言ってたよな?」


 聖は当然、それは雪哉の思い込みだと思っている。だが、あえて雪哉が思っている通りに言った。


雪「いきなりなんだよ? ……」


聖「雪哉に聞きたいんだ」


雪「仕方ねぇな……──なら、なんだよ?」


聖「絵梨は俺に惚れてんだろ? なら、絵梨の事、一度俺が抱いてやろうか?」


 二人の会話を聞いていた純と陽介に緊張が走った。雪哉と聖が本気で殴り合いでも始めるんじゃないかと……そう思った。

 ──そして案の定、雪哉の目付きが鋭く変わった。


雪「テメー殴ぐられてぇーか!!」


 ベンチに座っていた雪哉が、思わず立ち上がった。


聖「お前言ってること矛盾してんだよ。絵梨が遊ばれたら、お前だって苛つくし悲しいだろう! バカか! 俺だって百合乃が大切だから、そんなの嫌だって言ってんだよ! 相手が自分でも例外じゃねぇ」


雪「は? なんだと? ……」


 今度は雪哉の思考が一瞬止まった。絵梨を例に出されてみて、気がついた気がする。聖の言っている事、間違っていない気がした。


 全く違う考えの聖と雪哉。お互いに口には出さないが、考えが広がるような、心地よさを微かに感じていた──


*****


 その頃、明美、南たちに事情を聞いた絵梨は、百合乃の家を尋ねていた。


 ブラック マーメイドが無くなった事は、絵梨も残念であった。とても悲しい気持ちになった。大切な人たちに出会った、大好きな空間が無くなってしまったのだから。


 目の前の百合乃は、ひどく疲れているように見える。

 この事態は“自分のせい”だと、その感覚が百合乃を苦しめていたのだ。更には聖の事もあり、百合乃は脆くなっているようだった。


 百合乃はいつも、絵梨に弱い部分を見せない。けれど、百合乃の異変に、絵梨だって気がつく。だからこそ、百合乃に会いに来た。


 ブラック マーメイドが無くなった事にもそう、百合乃の異変もそう……──何かが崩れ始めている気がして、絵梨自身、どこからか湧き上がってくる不安に、恐怖を感じている。


「絵梨、ごめんね。心配をかけた……」


「そんな……謝らないで下さい。私が百合乃さんに会いたかったんです」


 百合乃に案内されて、絵梨は百合乃の部屋へ。二人はソファーへと座った。

 そうして絵梨は、何かの入った紙袋を百合乃に見せる。


「そうだ、買ってきたんです。一緒に食べましょう?」


 絵梨は持っていた紙袋を開けた。中には二人分のシュークリーム。


「ありがと」


 百合乃も嬉しそうに受け取った。絵梨の心遣いが、心に染みる。本当に、嬉しかった。


 ──そうして二人で、他愛のない話をしながら過ごしていた。

 百合乃の元気のない理由を、絵梨はあえて聞かなかった。ただ楽しい時間を過ごせれば、百合乃も少しは元気になってくれるかもしれないと、そう思っていたから。

 けれど、少し会話が途切れた時、一呼吸置いてから、百合乃がこんな事を口にした──


「ねぇ、絵梨は気がついてた?」


 絵梨が視線を向けると、百合乃は少し、悲しい表情をしているように見えた。

 ──そして百合乃は言葉を続けて、絵梨へと話す。


「私ね、ずっと、聖の事が好きだった……」


 〝好きだった〟と言いながら、悲しそうな顔をしているのだ。それを見て、絵梨にも予想がついていく。“その恋の結末が、どのようなものであったのか”が。


 『気がついてた?』──百合乃の聖へ対する気持ちに、気がついていたかどうか。──そうその気持ち、前々から絵梨にもなんとなくは、感じているものがあっただろう。


「なんとなく……“そうかなぁ”とは思っていました」


 絵梨の答えを聞くと、百合乃は少しだけ無理に笑った。


「やっぱり、気がつくよね? きっと、ほとんどの奴が知ってたと思うのに……どうしてアイツ、気がつかなかったんだろう?」


 ──『バカだよね』と、そう言って、百合乃はまた無理に笑った。

 百合乃が無理に笑うから、絵梨も心苦しくなる。

 依然として、百合乃の悲しそうな表情は戻らない。

 絵梨は黙って、百合乃の話を聞いていた。


「あーあ……少しくらい、遊んでくれたって良いと思わない? ……」


「え?」


 百合乃の言葉が、絵梨からしたら意外だった。


「絵梨は、そうは思わない?」


「だって……後から寂しくなるじゃないですか? そんな事されたら、勘違いしちゃう……ずっと、側にいてほしくなっちゃう……他の人のところへ、行ってほしくない……」


 答えながら絵梨も、悲しそうに表情を歪めた。

 絵梨の話……──きっと絵梨は、雪哉の事を思い出している。百合乃はそう思った。


「けど、そしたら、その瞬間はきっと愛してくれる……本気で自分だけを見てくれてるの……」


「──きっと、どんどん、自分だけが相手を好きになっちゃう……そして自分の気持ちだけ、取り残される」


 百合乃と絵梨は自分が感じている事、思う事を、素直に口にした。

 お互いを励ましているようで、自分の叫びを聞いてもらっているような感覚だった。


「永遠を夢見るけど、永遠なんか無理なら、そうじゃなくていい……ただその人と、確かめ合う時間があるなら、それでいい……」


「でもね、分からなくなっていく……自分だけが相手を好きなの。私の事なんて、本当はどうでもいいんだって……思う。やっぱりね、遊びじゃダメなんだ……その人のたった一人の人にはなれない」


 二人は悲しく歪めた顔を見合せる。そして同時に、言葉を発した──


「雪哉の事、信じてみたら? ……」


「きっと聖は、百合乃さんの事が大切なんだよ……」


「「…………」」


 お互いの言葉の意味を、じっと考えていた。


 百合乃と聖がお互いを信頼しているという事は、第三者から見てもよく分かった。だからこそ、きっと聖は、百合乃に対して軽い事はしない。絵梨はそう思った。


 百合乃からしたら、雪哉の役目を知っている。絵梨に伝える事は出来ないが、それを知っている。そして、絵梨が特別だという事を、確かに知っていた。


 ──自分の気持ちを吐き出してみて、お互いに少しだけ、軽くなった気がした。


 百合乃の異変の理由、絵梨はこれが原因なんだと、そう思った。だから、百合乃が話してくれて、良かったと思う。百合乃の気持ちもきっと、少しは軽くなったと、そう思ったから。

 ……けれど、原因がそれだけではないという事を、絵梨は知ることになる……──


「じゃあ、そろそろ帰ります」


 絵梨が立ち上がり、百合乃に背を向けた。


「……待って、絵梨」


 その絵梨の事を、百合乃がすぐに呼び止めた。


「絵梨、なんだ」


「え?」


「騙されたの……でも違う。きっと分かってた。罠だって、気が付いてた……」


 百合乃が言っているのは、レッド エンジェルとの同盟についての話だ。


 絵梨は目を見開いて、百合乃を見てた。

 今思えば、百合乃が自分の弱い部分をこんなに絵梨に見せるのは、初めてだった。


 初めて百合乃に会った時の事を思い出した。強くて綺麗で、キラキラとしていて、素敵な女の人……──初めて会った時、そう思った。

 けれど、今目の前にいる百合乃は、まるで別人だった。彼女だって自分絵梨と同じ、“一人の、弱い人間”だ。……──


 泣き笑いのような、疲れた表情を浮かべながら、百合乃は絵梨に話した……


「どうしても……戻って来てほしかった ……あの四人に……聖に……一人にしてほしくなかったの……」


 何が、これほど百合乃を追い詰めたのか……絵梨の頭の中に、そんな事が浮かぶ。そして、苦しいのが自分だけではないと、思い知る。

 ──〝雪哉、純、陽介、聖、……百合乃さんを一人にしないで……〟──

 絵梨自身の中で、そう強く、その思いが響いていた──……


 絵梨は百合乃の近くまで行き、百合乃の手を、強く握った。

 ……けれど百合乃はまだ、自分を責め、謝り続けるのだ……──


「ごめんね絵梨……私のせい……本当は、怖くて仕方がない……聖たちに何かあったらって思うと……怖くて……」


 〝大丈夫。落ち着いて下さい〟って、そう想いを込めて、百合乃の手を握り続ける。

 ──けれど同時に、絵梨も底知れない不安と恐怖を感じていた。〝そう、私も怖い……嫌だよ。怪我なんてしないでね……危ない事なんてしないで……”と、雪哉たち四人に対して、強く思っていた。


 ──別れる前、手が離れてから、相変わらずの悲しい目をしながら、百合乃は言った──


「アイツら……私の事、許してくれるのかな……? ……──」


 百合乃の心の痛みが響いて、絵梨も瞳が潤むのを感じた。

 百合乃の不安げな言葉が、絵梨の耳から離れなかった……──


─────────────────

──────────

──────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る