【BLACK PARTY 3/3 】

 息を切らせた雪哉が、渡り廊下の絵梨の元で、足を止めた。


「……雪哉? ……」


 絵梨の事を呼び出したのは、キャットだという事は、先程判明した。 だからまさか、本当に雪哉が来るとは思っていなかった。


「三人でいろって言ったじゃねーか……」


 雪哉が呼吸を整えながら言った。


 お互いの中にほんのりと、悲しい気分が広がっている。

 絵梨は、自分が約束を破ったみたいで嫌だったし、雪哉にそう思われていると思うと、悲しくなった。

 最初は雪哉に、本当の事を言おうとしたけど、躊躇った。言い訳を並べる理由が、分からなかったのだ。

 こんな事で言い訳をして、何になるのか? 本当の事を言っても、雪哉とキャットの関係が変わる訳でもない。本当の事を言ったからって、雪哉と自分の関係が変わる訳でもない。そう、思った。──それなら、言い訳を並べるだけ、無駄だと思った。


「“別にいいかな”って思ったから……」


 “雪哉との約束を守らなくてもいいと思った”、そういう意味。


 冷たい言葉を並べた。心が苦しくて、冷めて……心の冷めと同じくらい、冷たい言葉が口から出た。


 雪哉は動揺したけれど、今はそんな事を考えている暇もない。動揺を隠し冷静に振る舞い、話し始める。


「……敵が攻めて来てる。一人じゃ危険だ」


 絵梨は内心では、確かに焦ったし、事の重大さも分かっている。けれど心の大半が、雪哉とキャットの事で埋めつくされていて、上手く反応が出来ない。ただ無表情で、雪哉の話を聞いていた。


「俺との約束なんか、どうでもいいと思ったかもしれない。別にそう思ってくれて構わねぇ……けど危険なんだ。 お願いだから……俺と一緒に来てくれ」


 “危険だから一緒に”……──かばわれている立場なのに、お願いをされているのが不思議な気分だった。


「なぁ、絵梨!」


 雪哉が絵梨の片腕を掴んだ。


「絵梨、お願いだから……俺が嫌いなら、好きなだけ嫌え……けど今だけは一緒に来い。お願いだ……――」


 すると雪哉は絵梨に頭を下げた……

 絵梨は冷めた瞳をしながら、自分に頭を下げている雪哉の事を、ただ見ていた。

 だんだんと、視界が霞んでいった……涙が溜まる……


「だから……どうして雪哉は、そんなに優しいのよ……」


 雪哉が控え目に、ゆっくりと顔を上げる。


「雪哉は意味分からないよ……アナタはきっと、誰にでも優しいの……」


 絵梨から受けている誤解が、明白に見えた瞬間だった。そう、誰にでも優しくして、上手な言葉を並べて、遊んで……捨てて……──“人の気持ちを踏みにじる”…… そんな男だと、思われている。自分で実際、そんな男だとも思った。

 けれど真実を明かす事は、おそらくこの先ない。


 ──二人は向き合い、互いを眺めている。すると、その時──……


―「はい! そこまで……──」


 後方から、突如響いた声。……――二人は声の方へと、振り返る。

 振り返った渡り廊下の先には、四、五人くらいの男たちがいた。……──そしてその一番後ろにいるのは、〝東藤〟だ。

 すると前の方にいる男たちが、馬鹿にするように笑った──


―「いいもの見れたな? トップに君臨していたオーシャンの四の一が、頭を下げるとは……」


 雪哉が男たちを睨みつける……―─


絵「何……アイツら……」


 絵梨が体を強張らせながら呟く。

 雪哉が絵梨をかばうように、絵梨を後ろに隠して立った。


「その女を渡してもらおうか? ……」


 絵梨が今まで以上に体を強張らせた。恐怖で硬直している。


雪「誰が渡すかよ……コイツを狙うなんてフェアじゃねぇ。お前らの狙いはBLACK OCEANだろう?」


「確かに俺らの狙いはオーシャンだ。だがこれは。分かったらさっさとその女を渡せ」


雪「俺からこの女を奪えると思うか?」


「笑わすな。何があったのかは知らないが、お前の手は拘束されてるじゃねーか?」


 やはり手が拘束されている事は、相手からしたら、思ってもいなかった幸運だっただろう。


 東藤は後ろで冷静な顔をしたまま、動かない。東藤を抜いて、相手は三人。

 絵梨の側からは、あまり離れる事は出来ない。

 まずは相手の動きを待つしかないだろう。


「拘束されてる奴の何が怖い? 何も怖くねぇ……」


「さっさとコイツをボコボコにして、あの女を奪おうぜ?」


 拘束されている時点で、男たちは完全に勝ったつもりでいる。


「オーシャンも狩れる、一石二鳥だ」


 するとここで、一人の男が言い出す……――


「お前が大人しく俺らにやられるなら、もしかしたら、その女は助かるかもな? ……―─」


 雪哉はその言葉に反応を示さない。

 雪哉は何も答えていないが、この状態だ。男たちはそのつもりでいるだろう。


 ──悠長に構える男。拳が飛ぶ……──


絵「……ユキッ!? ……」


 ──ガチャン!!


「…………」


 雪哉は冷静な表情を浮かべたまま、手錠の鎖を使って、相手の拳を止めた。


「いってぇ~!! ……」


 思い切り鉄の鎖を殴ってしまった男が、拳を押さえながら一人で悶える。


「コノヤロっ! やりやがったな!」


雪「俺は何もしてねぇ、防いだだけだ」


「誰が防いでいいって言ったんだ! 俺らは『お前が大人しくやられるなら』って言ったんだよ!!」


雪「誰もその話しに乗るなんて言ってねーよ!!」


「なんだと?! ……強がりやがって!!」


 再び殴りかかる男たち……――だが、雪哉が鎖を出す度に、怯む。


 怯んだ隙に、蹴りを入れる雪哉。


 殴るのを防がれるなら、蹴りを繰り出せば良い。そう思った男が、足を突き出した──


 だが雪哉がその上がった足に、鎖をかけてスッ転ばせる。


 逆に手錠を利用して、雪哉は上手く喧嘩をする。

 相手からしたら、もはや手錠は武器だろう。


雪「笑かすな。相手になってねーぞ?」


 ──ドカ!


 男の腹を蹴った。

 蹴られた男が床へと倒れる。

 するとその時……――


―「あれ~? アイツらは手錠かかった奴を相手に、何をしてるんでしょうねー?」


 惚けた調子で、どこからかが現れた。その男が、東藤の隣で足を止める。


「ね~? 東藤さん、アイツら情けないっスね」


 後から現れた男が、銀歯を見せながら、ヘラッと笑う。この男の名前は〝花巻ハナマキ〟。黄凰の幹部だ。


東「お前どこに行ってたんだ?」


 別に興味もなさそうに、東藤が花巻に問う。


花「別に~……でもこんなモノ拾っちゃいました!」


 花巻は手に持っている鉄のパイプを、前に出して見せた。


花「ここは俺に任せて下さい! 東藤さん! ……」


 ──そうしてどこか抜けた調子で、花巻が前線へと出る。


花「よっしゃ! ……オーシャン狩り・スタート……──」


 またヘラッと笑って、花巻が鉄パイプを振り回し始める。

 その光景が恐ろしくて、絵梨は花巻がパイプを振り下ろす度に、小さな悲鳴を上げる。

 ……雪哉はなんとか、パイプを避けている。


東「花巻、オーシャン狩りもいいが、今欲しいのは“その女”だからな?」


花「え? そーなんスか? 知らなかったぁ~……」


 惚けた顔で振り返る花巻。


東「さっき言っただろ……」


花「すみませ~ん。俺、きっと寝てヤした~」


 東藤と短い会話をしてから、再びパイプを振り回し始める。

 雪哉は避けきれないパイプを、手錠の鎖で受け止める。


花「オラッッ!!」


 パイプを振り回して、振りかざす、振り下ろす……──


 ──ガコン!!


 雪哉の避けたパイプが床へとぶつかり、大きな音を出す。床が窪んだ……――


 ──バリンッ!!


 ガラスが割れる……――


 割れたガラスが、絵梨の足元へと散らばった。


絵「……ィヤッ……」


 絵梨は恐怖で表情を強張らせながら、ガラスから後ずさる。


 ……──雪哉は転げ回って避ける。


 ──ガシャン!!


 ──また、とっさに鎖で受け止める。

 鎖とパイプがぶつかり合い、キリキリと小さな音が響く……


 ……──その時、体勢を崩しているところを、襲い掛かられる。

 雪哉はなんとか、不安定な状態でパイプを受け止めた。だが、上手く体勢を立て直す事が出来ずに、雪哉の体が傾く……──


 押し付けられる力は衰えない。雪哉の背が床についた。

 そしてその上から、花巻がパイプに力任せ……―─体重をかけてくる。……


雪「痛っ……」


 手錠の鎖でパイプを受け止めている雪哉。上から力任せにパイプを押し付けられて、手首に痛みが走る。

 ……──雪哉にパイプを押し付けたまま、花巻が絵梨を見た。


花「もう少しだから、お利口に待っててね? カワイコちゃん。この男を黙らせたら、迎えに行くから……」


 絵梨は気が動転している。 力なくその場に座り込んで、動けずにいた。


絵「雪哉っ……ゆ……雪哉!! ……ユキがッ……」


 恐怖で歪んだ表情のまま、雪哉の名前を呼び続ける……


 ──痛みで雪哉の手が、カタカタと揺れる。

 パイプがだんだんと、顔へと近づいてくる……──手首に血が滲む……――


絵「やめてっ!! ……」


 するとその時、絵梨がヨロヨロと駆け寄った。

 そうして絵梨が、鉄のパイプを掴んだ。掴んだパイプに、花巻と逆方向の力を加える。


花「あれ? カワイコちゃん……ダメじゃないか? 危ないから、下がっててくれ」


絵「嫌よ! ……下がらないっ……」


 パイプを支える絵梨の腕が、プルプルと震るえている。


雪「絵梨! ……放せ!」


絵「ヤダッ! だって雪哉がっ……!」


 絵梨はパイプを掴んだまま、離れない。

 ──するとその絵梨を、東藤が腕を引っ張って、引ったくった。


絵「イヤッ! 放してよ! ……」


雪「絵梨っ!!」


****


 依然、キャットは違う部屋から、渡り廊下を見ていた。

 計画は上手くいっている筈なのに、キャットは浮かない表情だ。


「…………」


 ──絵梨の事を庇う雪哉を、見たくなかった。

 雪哉のスマートフォンを取り出して、東藤の番号を押した。そしてその番号へ、電話をかけようとした。その時──


―「こんな場所にいたのですか?」


 部屋へアクアがやって来た。キャットは振り返る。……――結局、電話を掛けようとしたタイミングを見失った。


「アクア……」


「そんな浮かない顔をして、何を見ているのですか?」


 キャットが渡り廊下を指差す。

 アクアも窓際へ行き、渡り廊下を眺めた。


「白谷と人魚姫……東藤に花巻。へー、その浮かない表情は、白谷がやられているからって訳ですか」


「……どうだかね? 私が東藤に頼んだ事よ……」


 キャットの思惑を探るように、アクアがキャットを見る。 キャットはどこか不甲斐なさそうに、俯き加減だ。


「……でも、雪哉が来たのは計算外だった。『あの女を泣かして』って、東藤に頼んだの……」


「東藤に? ……よく、あの男を従わせられましたね……」


「ただじゃないもの」


「交換条件か……アイツは何に乗ったんですか?」


「決めさせてあげた。『今夜俺のところに来い』だって。妥当よね?」


 すると言葉を失い、アクアの表情が固まる……──


「それに承諾したのですか?」


「うん。安い方よ」


「何故そういう約束を簡単にするのですか!」


「……なに怒ってるの? いきなり……面倒……」


「簡単にそんな事をするなって言っているんですよ!!」


「……相変わらずうるさい。 アクアに言えた事じゃないでしょう? 私と寝たばっかしじゃない?」


 最もな事を言うキャットに、アクアが口ごもる。


「キャットは何も分かっていません!」


 そうして結局アクアは、怒ったまま部屋を出て行ってしまう……―─

 アクアが出て行った扉を眺めながら、キャットは首を傾げた。


「なにアイツ?」


 いつもはダラダラと口喧嘩になるところだが、今回はやけにアッサリと出て行った。 キャットは口喧嘩に勝った気分だ。清々しい──

 そうして再びキャットは、渡り廊下へと目を向ける。


****


東「花巻、さっさとソイツを片付けろ。そしたら、この女を連れて引く」


花「あ~い、了解ッス」


雪「……させるかッ!!」


 雪哉がパイプを押し付けられたまま、下から両足で花巻の腹を蹴った。

 花巻が体勢を崩した隙に、雪哉は起き上がる。

 花巻は腹を押さえながら、床に手を突いている。


 雪哉は、絵梨を掴んでいる東藤へと蹴りかかった。

 ──その蹴りをかわすように、東藤がサッと頭を後ろへと引く。雪哉の片足が東藤の額をかする……──

 その拍子に東藤が絵梨を放す。すかさず絵梨は、東藤から離れて距離を取った。


絵「雪哉ッ後ろ!! ……」


 絵梨は顔を真っ青にしながら、咄嗟に思い切り叫んだ。


 花巻が後ろから、鉄パイプを雪哉に向かって振り下ろす…──


 絵梨の叫び声で、雪哉が後ろを振り向く。


 ──振り下ろされる凶器……


 一瞬の瞬間に、じっとそれを見ていた。


 絵梨は反射的に目を覆う。


 この数秒間を、絵梨は果てしなく長く感じた。果てしなく長い、悪夢の時間。何分、何時間にも感じるこの一瞬に、絵梨の頭の中に思考が駆け巡る……──



( 悪夢の一瞬……けれどきっと、瞳をひらいたら、この一瞬よりも残酷な光景が待っている……一瞬では終わらない、長い長い悪夢のような、光景が……―― )



 ──だが、振り下ろされた凶器が、直前で、動きを止めた……――


 瞳をひらいた絵梨が見た光景。


 鉄のパイプは、動きを止めた訳ではない。動きを。第三者の、手によって──

 一人の男が、雪哉に振り下ろされたパイプを、片手で受け止めている。


 ──振りかざしたパイプを受け止められながら、花巻は表情をしかめた。


花「……――どういうつもりですか?」


 力を加える花巻と、それを受け止める力がぶつかり合って、パイプがプルプルと揺れる……


「見れば分かるだろ? ……お前たちを止めに来た」


花「そういう事じゃないっスッよ! オーシャンを狩るチャンスじゃないですか! “”!!」


 花巻を止めたのはアクアだ。


A「黙れ。“事情が変わった”」


 アクアは鬼の形相だ。鋭い眼光を、花巻へと向けている。


 そして〝何なんだ……〟と、舌を打ちつつも、花巻はパイプを掴む手から、力を抜いた──


 雪哉と絵梨は何が起こったのか、それをまだよく理解出来ずにいる。だがそれを、理解出来ていないのは、花巻と東藤も同じだろう……──


東「アクアさんが止めるつもりでも、それは出来ません。これは幹部キャットから、直々に頼まれた別件ですから」


 すると、アクアが東藤を睨みつける。酷く、冷淡な顔つきで──


A「誰からの命令なのかは分かっている。アイツキャットと俺、どちらが上なのか、知らない筈はないだろうが? ──」


 アクアの言葉は最もだ。……──東藤が悔しそうに、下唇を噛んだ。……そうして下唇を噛むけれど、その目はうとましそうに、アクアの事を睨み付けているのだけれど……──


A「一度引け」


 レッド エンジェルに雇われブラック オーシャンを襲っている黄凰メンバーが、アクアに逆らう事は叶わない。アクアの命令に、東藤や花巻たちは、渋々と引き上げていった──


 東藤たちが去った後、アクアは雪哉と絵梨へと振り返る。


A「運が良かったな……──」


 雪哉と絵梨に吐き捨てて、アクアも二人の前から立ち去って行く……──

 遠ざかる足音を、呆然としながら雪哉と絵梨は聞いていた──


 そうしてアクアは早足で歩を進める。先に立ち去った東藤の背を目指して、他の黄凰メンバーたちの間と間を、縫うように進んで行った。


「おい、東藤……」


 渡り廊下を過ぎたところで、追い付いたアクアが東藤を呼び止める。

 花巻は先の通路の少し離れた位置から、東藤とアクアを見ていた。

 相変わらず、アクアは鬼の形相だ。──そうしてアクアは、東藤の胸倉を掴んで睨みつけた──


「あの女に手ェ出したら、俺が許さねぇからな……」


 この言葉を聞き、東藤はアクアが止めに来た理由を理解した。

 ──そう一言釘を刺し、アクアは東藤の胸倉を突き放す。


「分かればさっさと行け」


 東藤は不機嫌に表情を歪めたが、反論はしなかった。相変わらず、白い目でアクアの事を見てはいるのだが。──東藤はその目でアクアを眺め返してから、澄ました面持ちで、先にいる花巻の方へと向かって行った。


 ……――そしてその直後、こちらに向かって来るヒールの音が響いて、アクアの耳へと届いた。


 そして、ヒールの音を響かせた人物が、アクアの目の前で足を止める。──その人物が、アクアの胸倉を両手で掴んだ。


「……何か用ですか?」


 そうして胸ぐらを掴まれながら、気まずそうに、アクアは視線を反らす。


「『何か用ですか?』……じゃないわよ!! 勝手な事してくれたじゃない!!」


 そうずっと、別室から渡り廊下を見ていたキャットが、アクアの元へとやって来たのだ。

 キャットは当然、アクアが東藤と花巻を止めた事も知っている。


「その事ですか?」


「惚けないで! ひねくれ眼鏡!!」


「……ひねくれ眼鏡? ……」


「もう!! 否定するし邪魔するし! ムカつく男なんだからぁ~!!」


 胸倉を掴んだまま、キャットはアクアを壁に押し当てた。

 アクアはされるがまま、やはりキャットから視線を反らしている。


「そんなに怒る事ですか?」


「“怒る”!! 何を企んでいるわけ? 白状しなさい!!」


 東藤に電話をかけようとした時、結局はキャットも、東藤を止めさせようかと迷っていた。──けれど、第三者に勝手な事をされたのは気に入らなかった。


「何も企んでいませんけど?」


 ──パシッ!


「いたッ……!」


 キャットは軽く、アクアの頬を叩いた。


「拷問するわよ?! 白状しなさい!!」


「キャットの計画を壊したかっただけですけど?」


「最悪ぅ~~!!」


 苛立ったキャットは、アクアの眼鏡をサッと取り上げて、じっと彼の瞳を睨み付ける。──そして、奪った眼鏡を投げ捨てた。


 ──カシャン……


 投げ捨てられた眼鏡が、床へと転がる。


 視界が霞んで、アクアは目を細める。


「……?! キャット……〝眼鏡!〞 視界がぼやけるじゃないですか!!」


「うるさい! いい気味だわ! ぼやける視界で反省しなさい!!」


 相当腹が立っているのか、キャットは終いに、アクアの額を指を打った。──そうして、ようやく胸倉を放す。

 最後に一睨み、キャットはアクアへと冷たい眼差しを向けた。


「じゃあね!」


 やりたい放題にやってから、キャットは立ち去って行く──


 ──ヒールの音が、遠ざかる。

 アクアは霞む視界のまま、キャットの後ろ姿を、ずっと見眺めていた……


***


━━━━【〝CATキャット〟Point of v視点iew 】━━━━



 頭の中で鳴り響く、残酷なメロディ……


 ドロドロとした感情が悲鳴をあげて、嫌な女へと身を堕とす。


 どこかの闇の中に、人生を落としてきたの。


 無くしたの……綺麗な心も輝く思いも、泥に呑まれて美しさを無くした。


 この気持ちから、解き放たれない。


 今を生きるのに精一杯なの……


 誰なら私を救ってくれる?


 誰なら慰めてくれる?


 分からないのよ……


 叫んで叫んで……感情任せに生きる私を、誰なら愛してくれるだろうか? ……


 愛して愛して……この心がもう一度、澄み渡るまで、愛して……


 求める心が、また悲鳴をあげる


 泥まみれのハート


 せめて、涙で洗い流せたら……


 けれど、涙は出なかった。


 愛していた人は誰だったっけ?


 慰めをくれる人は誰?


 愛してくれてた人は……誰? ──



******

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