Episode10 【泡沫の記憶】
Episode10 【泡沫の記憶】
――――――――――――――
―――――――――
―――――
*────*─────*─────*────*
―ザザーーーーーン───
―ザザーーーーーーン────
波の音が
聞こえる
浜辺を歩く音がする
“音が”……――――――
* ────*─────*────*────*
――――――――――――
――――――――
―――――
━━━【〝
瞳を開くと、部屋に光が差し込んでいた。
外からは賑やかな声や、忙しそうな世間の音が聞こえてきた。
時計を見るともうPM1:00を回っている。
眠っているか、起きているかの、夢と現実の狭間で、海の音が聞こえた……――
夢だったのか、自分で記憶を辿ったのか、 どちらなのかは分からない 。
――ただ、懐かしい音が聞こえた気がした。
それは、触れれば乱れて、 触れたが為に、壊れる、そして見失う。
――〝瞳をとじて・記憶を辿る。出来るだけ、鮮明に。出来るだけ、鮮やかに〟……――
──────────────────――――
―――――――――――――
―――――――
それはちょうど、一年前の夏の記憶。
自分で言うのも可笑しな感じはするけれど、私は内気な人間だ。
友達はいたけど、何でも話せたのも、素の自分を出せるのも、お姉ちゃんだけだった。
そして、この内気な性格のせいなのか、私はいつも、冷めた目で世間を見ていた。――そんなのだから、時々この世間を息苦しく感じるんだろうけどね。
その日は、その息苦しさが派手に出ていて、もう、人混みとか、楽しそうにしている奴らとかを見るだけで、この世間にうんざりとした気分になった。
……――息苦しい。……何がそんなに楽しいわけ? 人ばっかり集まって…………馬鹿みたい。息苦しい。……息が詰まる――
私を理解してくれる人のところへ、今すぐに、行きたい。
私、息苦しいの。何だか、胸の中が、空っぽの気分。だから、この空っぽの気分をどうにかして?――〝会いに行くからさ〟。
私は、当時付き合っていた彼氏の元へと行った。
連絡は入れなかった。何の連絡もなしに会いに行く事なんて、私たちにとっての“当たり前”だったから。
彼氏の家に行くと、私は勝手に家へと入っていく。これも“当たり前”。
彼氏の部屋の扉を開いた。
私が来た事に気が付いて、私の彼氏が、一気に慌て出す。 その腕は、髪をコテで上手に巻いた、上半身裸の女の背に回されていた。
女も私に気が付き、私の事を見ている。年上の女だった。その女は私を見るなり、悪魔のような笑みを作って、言った。
――「〝ア・メス猫ガイル〟」 ――
――……何だ、世の中って、ホント、馬鹿みたい……
苦しい。苦しい。クル・シイ……――
あぁ……どうして? どうして・私の瞳に映るものは……こんなにも、〝下らない〟――
〝涙なんて、出なかった〟。何でだか、分かる?
人間って、冷めれば冷める程、表情のない、感情を殺したような生き物に、なるから ……――
私はとっさに、感情を殺した。世間も何も、関係ない。他人は他人、その言動にいちいち、惑わされたりしない。感情を無に近い段階まで追いやって、ひっそり息を殺して生きる。それが、どれだけ楽か……――――
冷めて冷めて、“馬鹿みたい”って、違う空間から、世間を見ればいいや……
世間と一体化しようとして、笑ったり、喋ったり、少し、疲れたみたい……――世間と合わせて生活する事を、休んでもいいでしょう?
―――“瞳をとじて・自分を切り替える”―――
****
そのあと私は、フラフラと歩き出した。
街角の煉瓦造りの建物を背にして、へたり込む。
そこでただ、ずっとボーっとしている。 移り変わる街並みを、眺めている。
――理由は、〝そうしていたいから〟。それ以外に何か、あるだろうか?眺めていたいから、眺めている。“いつまでも”……
〝いつまでも〟………―――――──────
────
────────
ザーーーーーー―――――――――…
滝のような雨、夏の、夕立…………
一気にずぶ濡れになった。長い髪が、雨で体に張り付く。濡れた前髪が、顔に張り付く。
ザーーーーーーー―――――――――――――……
────────
────
〝雨は、降り続ける〟……─────
―ピシャ
濡れたアスファルトを踏み締める音が、微かに聞こえた………――
―ピシャン……
誰かが、私の前に、しゃがみ込む……───
ザーーーーーー――――――――――……
顔を上げると、赤みがかった茶色の髪の男が、私を見ていた。
張り付いた前髪が、邪魔……瞬きをしたら、まつ毛に付いていた水滴が目に入って、視界が霞んだ……
その男は私に触れて、私の濡れた前髪をかきあげた……
ザーーーーーーー―――――――――――……
男の口が動いたけれど、雨の音で消されて、何て言っているかは、分からなかった。
私はただ、光が篭っていない自らの瞳を開いて、その男を見ていた。
私の髪をかき上げて、そのまま、私の頭を支えている、その男の手……――私は無意識に、その手に・〝触れた〟。雨の中でも、微かに、温かく感じた……その手に安心したのか、私はその手を、離そうとしなかった。
私が離そうとしなかったからなのかは分からないが、その男はそっと、私の事を抱き抱える。男は私を抱えたまま、歩き出した。
目頭が熱くなった気がした。 さっきは泣きもしなかったのに、私は今、泣いているのだろうか……――滝のような雨が全てを隠して、よくは分からない。
人肌が恋しかったのか、私は抱き抱えられながら、必死にその男に、しがみついていた。
――夏の日の滝のような夕立の中で、赤みがかった茶色の髪をした見知らぬ男が、私を抱き抱えて歩く。
もう二人で……全身、ずぶ濡れ………――これが、“雪哉と私が、初めて逢った日”のこと。
*****
抱えられながら連れて来られたのは、ある路地だった。その路地に面しているある建物に、階段が付いていた。
――そこを下って行くと、広く巨大な空間に出る。ビリヤードがあったり、オシャレなバーみたいに、カウンターがあったりする場所。大音量で音楽がかかっていて、薄暗い部屋にカラフルなライトが、キラキラと光っている。
人も沢山いて、皆お酒を飲んだり、ダンスをしたりしていた。クラブみたいな場所だ。
人を上手く避けて、進んでいく……――ずぶ濡れの体……歩くだけでピシャピシャと音をたてていた。
初めは人と人の間を縫うように進んでいたけれど、だんだんにその必要もなくなった。周りが避けて、勝手に道が開けたから。――それは滝に打たれたように濡れている私たちが、異様だからだろうか……?それとも、 何も気にすることなく進み続ける、
――そうして進んで行った先、その部屋の、ある扉を男が開いた。
―バタン
扉を閉める……―――
一気に、音のない世界に変わった。 さっきまでの大音量で音楽がかかっていた空間とは、まるで違う、静かな部屋。
私は男に抱き抱えられたまま、部屋へと視線を向け、見渡した。――そこには三人の男と、一人の女の人がいた。そしてその全員が、ポカンとしながら私たちを見ている。
すると直ぐに、三人の中の、オレンジの髪をした男が駆け寄ってきた。
「ユキ! おっかえり~ー! ずぶ濡れだな!だから“夕立来る”って言っただろ! オレの忠告を無視するからだぞ!」
やたらに高いテンションで、ニコニコと話す男。……―――けれどすぐに、驚いたような顔に変わった。
「あ!!? 誰だ、ソノ子……!?」
すると他の男二人も此方とへ来て、私の事を眺める……――
「この子、どうしたんだよ?」
「……拾った」
「は?!」
男たちが私の前で話していると、次に女の人も此方へとやって来る。
「コラ! そんな全員で、ジロジロ見るんじゃないよ!」
女の人も近くまで来て、私の目の前で足を止めた。
その女の人は両手で私の頬に触れて、表情を歪ませながら言う。
「どうしたんだい? ずぶ濡れじゃないか……可哀相に……」
優しくて、強くて、美しい……――その女の人は、キラキラとした雰囲気を持っている人だった……
――〝聖に純、陽介、そして、百合乃さんとの出会い〟。
百「アンタ、名前は?」
女の人が私に問い掛けた。
絵「…………」
……――私は感情のない目をしたまま、 何も答えなかった。
百「喋れないのかい?………聞いて悪かったね……無理して、喋らなくてもいい」
――〝あ・この人たち……他の奴らとは違う……かも……〟――
世間を拒絶する冷めた頭の中で、小さく、そう思った。
すると、その女の人は……――
百「雪哉! その手を離しな?」
雪「あ?」
―ドンッッ!!!
雪「いってぇー!!」
「「「ゆっ雪哉! ……」」」
――私を抱き抱えていた男の事を思いっ切り突き飛ばして、私の事を男から引ったくった。そして……――
百「辛い事が、あったんだね……?」
――そう言って、私の事を抱きしめてくれた。
なんて、素敵な女性だろう……憧れちゃう………――
百「……風邪ひくよ。体ふきな」
女の人はすぐに、私にフカフカのタオルを貸してくれた。
――…嬉しい。………――とても不思議な事。
知人たちの目が嫌い。冷たい目で私を見るから。……――さっき、彼氏にさえも裏切られた。嫌い。けれど不思議……なのにどうして、たった今出会ったばかりのこの人たちは、見ず知らずの私に、こんなに優しくしてくれるのだろうか?
――世界って分からない。けれどここで見つけた“分からない事”は、優しい“分からない事”だ。
……――そんな事を考えながら、その女の人に見とれていると……
雪「寒いぃ……」
私を連れてきた男がそう呟いて、どこかへと向かおうと足を動かした……――
百「雪哉待ちな」
すると男を呼び止める、女の人。
――“雪哉”……――そう言う名前なんだね。
女の人へと、雪哉が向き直る。
雪「……なんだよ」
百「アンタ、どこへ行くつもり?」
雪「風呂に決まってるだろう?風邪ひく」
百「アンタは後に決まってるでしょう! この子が風邪ひいちゃうわ!!!」
雪「……そうだな」
百「うん! そうよ! ……――この子が優先!」
そして雪哉は当たり前のような顔をしながら向き直り、私に言った。……――
雪「お前も風邪ひいちまうな……悪かった。風呂、入るか」
……――そして、私の手を引いた。
―バコンッッ!!
雪「いてっ! ……」
百「アンタと一緒に入る訳ないでしょ!!!」
女の人が雪哉の頭を雑誌で叩いた。
純「お前、当たり前みたいに言いやがったな……」
聖「コイツ絶対慣れてやがる」
陽「ユキずりぃーー!!! 〝オレも入る!!!〞」
―バコンッ!!
オレンジも、すぐに叩かれた。
*****
お風呂から出ると、百合乃さんというさっきの女の人が貸してくれた服を着た。
皆がいた部屋に戻ると、私を連れてきた雪哉っていう男は、ジャージになっていた。
私が来た事に気が付き、雪哉が私の方を見る。雪哉は何も言わずに私の横を通り過ぎて、お風呂へと向かって行った。
…………―――〝妙な違和感。何? これ〟……――
私はさっきから、雪哉にも百合乃さんにも、何も、言っていない。――…タイミングを、見失っている? 何か……―――違う気がする。私は喋らないの…? それとも、喋れない……?――…
百「……疲れてるんじゃない? ソファーで良ければ、眠りな」
百合乃さんは、本当に優しい人……
百合乃さんは私をソファーに座らせてくれた。
私は申し訳なく感じて、百合乃さんの事を見る。
百「そんな顔しなくていいのよ? 大丈夫だから、眠りな。……早く、喋れるようになればいいわね」
何も話さなくても、百合乃さんは私の気持ちを感じ取ってくれた。……―――それに安心すると、瞼が急激に重くなっていく……――――私の意識は、徐々にかすれていく……
(雪哉……何も喋れなくて……ごめんね……“ありがとう”……)
雪哉が戻って来るのを待とうかとも思ったけれど、私は瞳をとじて、眠りについた。
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――――――――――――――――
――目が冷めると、部屋は真っ暗だった。時刻は深夜1時。部屋には、誰もいない。
私は起き上がると、部屋を出る。――するとやはり、あのクラブの様な広い空間に出た。
………――その空間にも、誰もいなかった。てっきり、深夜の方が盛り上がるものと思っていたのに、不思議だった。みんな何処へ行ったんだろう?……
その空間も通り過ぎる……――辺りを見渡しながら歩いているうちに、私は外へと出た。
星が綺麗……月が、欠けている ……
どうしたら良いだろう? どうして誰もいないの? お礼すら、言えていないけれど……流石に家へと帰らないとって……――そう感じる。……
待っていても、雪哉たちがすぐに帰ってくる保証もない。お礼すら言えていない事を不甲斐なく感じながらも、私は夜道を歩き出して、家へと帰った――
――相変わらずの虚ろな瞳……――フラフラとおぼつかない足取り……フワフワとする頭……私はどうした事か……――どうやら、喋れないらしい……情けないも何も……――どこまで私は……〝世界を拒絶し続ける……?〟 …―――
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*****
――行き交う車。人……――移りゆく街並み。
街を眺めていると、落ち着いた。世界を拒絶している筈なのに、可笑しな話…――
どうして街を眺めるのか……? ――それは死んだ瞳の奥で、こんな自分を助けてくれる人がいるかもしれないって、僅かな光を、探しているから……――
今日も私は同じ場所でへたり込みながら、街を見ている。
―ジャリ……
私の前で、止まる足音。私はそっと、顔を上げる……――
雪哉? ……――
顔を上げた先には、雪哉が立っていた。
雪哉が昨日みたいに、私の前にしゃがみ込む。――私の目を見ながら、雪哉は言った。
「夕立が来る前に、迎えに来た……」
すると雪哉は私の手を握って、私を立たせた。
「行くぞ?」
雪哉が先に歩き出して、私もついて行こうと、フラフラと歩き出す……――
けれどそんな私が、雪哉のスピードに付いて行ける筈がなく……――暫くすると、雪哉が私の所まで引き返して来た。
「お前はどうしてそんなに千鳥足なんだよ!? 危ねぇだろ!!」
雪哉の目を見て、首を傾げる……
「行くぞ……」
雪哉が私の手を引いて、歩き出した……――
******
――手を引かれて連れて来られたのは、昨日と同じ場所だった。
陽「ユッキーお帰りーー!! 夕立が来る前に出かけて正解だろ? オレの言う通りだったな!」
また高いテンションで、一番に陽介が駆けて来た。
そして陽介は、雪哉の後ろにいる私の存在に気が付く。
陽「あ! 昨日の子じゃん!……――名前なんて言うの?」
雪「…………知らねぇ」
陽「へ?!」
聖「“知らねぇ”ってなんだよ?」
純「喋れないんだろう? 昨日、百合乃が言ってた」
陽「何でだ??」
雪「さぁな、百合乃は“ショックだったんだろう”って言ってた」
すると聖と純と陽介が目を見開きながら、雪哉を見る。
聖「“ショックだった!? ”そのせいで喋れないのかよ!? どっどうするんだよ雪哉!!」
純「この子、年下だし! お前っ……――! どんな刺激的な事を……っ?!」
陽「ユッキーダメーー!! アウトーー!! こんな純粋そうな子を……ユキ! どんな風に食べちゃったんだ!!」
雪「………………は?!」
聖「は?! 違げぇのか?」
雪「当たり前だろ!!」
純「何だよ、違ぇのか。安心しだぜ……」
陽「ま! 当たり前ではないけどな! ……だって“ユキだし”……!」
*******
それから何故か、雪哉は毎日私を迎えに来た。いつも雪哉に手を引かれながら歩いて、皆がいる、あの部屋へと行った。
私はただ、雪哉の隣にいたり、皆の話を聞いていたり、 百合乃さんが、優しく話しかけてくれたり…――そんな風に過ごしていた。
隣にいる雪哉が、どうして私を毎日迎えに来るのかも、分からなかった。――ただ、雪哉の隣は落ち着いた。私は雪哉の事を、嫌いじゃない。
いつも手を引いてくれる、 その手の温かさ……――好きだ。
私は隣にいる雪哉の手を、そっと握ってみた。
雪哉は私を見る……――私も、雪哉を見た。“見つめた”。――そして、心の中で雪哉に言った。
(私ね? この世界が下らなく見えたの。
……自分の中で、大きな大きな壁を作って、その壁の向こう側の世界が、遠くて遠くて……壁の向こう側の住人や世界を、拒絶している。
でもね、本当は寂しいの……悲しいの……誰か“助けて”って、心の中の自分はいつだって、泣き叫んでいる。辛い。息が詰まるの……
――けどね? 最近は何だか、気持ちがスッと、軽くなった気がする。
私、雪哉のこと、結構好きだよ。ありがとう雪哉……ありがとう……――)
――――――――
―――――
あぁ、声に出して伝えたいのに……肝心な時に、私の声帯は何処に行った………――?
――――
――――――――
――そうやって手を握りながら雪哉を見つめていると、雪哉は少しだけ、目を泳がせた。顔が、赤くなった気がする。
――あれ? この人、照れた……?
あっ?いきなり、視界が真っ暗に……。
雪哉に目を、片手で隠された。なぜ…!?
「そっそんな目で! オレを見るなよっ!!」
何だか私、怒られた。
聖「おい見ろ! 雪哉が照れてるぞ!」
純「雪哉が!? …たらしの雪哉が、明らかに照れている!!」
陽「ユキが女で取り乱してるぞ! しかも年下!」
雪「うっうるせぇ! …いつも通りだ!!」
………―――そして数秒後……
――パッ
雪哉が手を退かして、再び視界が明るくなる。
そこには、冷静な顔をした、いつも通りの雪哉がいた。
あまりの変わりように、私は首を傾げる。――すると、聖が言った。
「……コイツさっき、必死になって冷静な顔、作ったらしいんだけど……出来栄えどう思う?」
そして、笑いをこらえていた純と陽介が、爆笑し始める。純と陽介が、笑ながら言う。
純「ヤベェ……傑作だなっ雪哉!! …ハァヤベェ…笑いが止まらねぇっ……ハハハ…!――」
陽「ギャハハハハッ!!! ひっ聖! それを聞いたらユキの努力の意味がねぇ!!! ギャハハハハハハハ!!!」
雪「うるせぇーよ!! オレがっ年下の女相手に、取り乱す訳ないだろ!?」
何だかその光景がすごく可笑しくて、私は笑った。声は、出ないけれど…――
すると四人が、驚いたような表情で、私を見る。
聖「笑った!」
純「笑ってるぞ!」
陽「笑ったぞ! 良かったなユキ!」
雪「…………」
私の表情が変わった事が、珍しかったのだろう。聖、純、陽介はそう言っていたけれど、雪哉だけは違う。雪哉は何も言わずに、そこには表情さえなかった。
――雪哉からの返答がない事を不思議に思った三人が、雪哉を見る。
聖「……ダメだな、コイツ」
純「まさか雪哉がな……」
陽「ユキ……何見とれてんだよ?」
雪哉はただ、笑った私を見ていた。
………――その時の雪哉の心情に、 その時の私の心では、気が付けなかった…――
そしてそんな光景を、少し離れた場所から見ていたのは百合乃さん。 彼女は優しく微笑みながら、こう呟いた――
「そんなに綺麗に笑うのに、声が出ないなんて。まるで、“人魚姫”ね――」
―――“人魚姫”―――
―――“彼女は、自分の声と引き換えに、人間の脚をもらったのだ。そして……”――――――
―――――
――――――――――
―――――――――――――――――
――ある日の事、私の瞳をじっと見る百合乃さん。
百「……随分目に光が戻ってきた……けど、瞳の奥が哀しそうね……」
聖「百合乃、よく分かるよな」
百「いろんな奴を見てきた。だから、何となく分かる。……」
そう百合乃さんは、人をよく見る事の出来る人だ。それは彼女の魅力の一つであり、そして、総長としての格のようにも思えた。
――そしてその日、百合乃さんは雪哉に言ったのだ。
「この子を何処かに連れ出してやりな? アンタの仕事だ。雪哉」
すると雪哉は、何も言わずに私の手を引き始める……――――
手を引かれながら見る、雪哉の背中、何故か印象的で、よく覚えている……――
*****
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ザザーーーーーン………────
ザザーーーーーーーーン……………────
波の音が聞こえる……――
浜辺を歩く音が聞こえる…――
二人の足音、私と雪哉。
――海の音、優しいメロディみたい……
――“心を癒す”――
キラキラと輝く海と浜辺……
脚に跳ねる海水が、気持ちいい。
――瞳に映る“美しい世界”………────
手を引かれながら、瞳をしっかりとひらき、海を見ていた。
雪哉が足を止めて、私の方を振り返る――
海を見ながら歩いていた私は、軽く雪哉にぶつかってしまう。
体勢を崩しそうになった私を、すぐに雪哉が支えた。
支えられた私の視界には、雪哉が首から下げたシルバーアクセサリーのネックレスがあった。“鳥の羽根のモチーフ”の付いた、ネックレス…――
「海、好きか?」
私はもう一度海を見る。そしてまた雪哉に視線を戻すと、笑顔で大きく頷いた。
無いのは声だけ、音声のないまま、私ははしゃいでいた。雪哉の腕に両腕を絡ませて、その腕をブンブンと振って、ニコニコとしながら、“キレイだね、キレイだね”ってはしゃいでいた。声が出ない分、自然と体で表現している。――嬉しくて楽しくて、ワクワクとして………――雪哉の腕にピッタリとくっついて、離れなかった。
雪哉も離れない私の事を、拒んだりはしなかった。雪哉はすごく、穏やかな表情をしていた。
私が雪哉の事を見ていると、何故かまた、両目を隠される……――――
「お前の目、綺麗だ」
真っ暗な視界の中で、雪哉の声がした。
〝なら、隠さないでよ……〟
私は雪哉の腕から両腕を離して、私の目を覆っているその手を退かした。するとすんなりと……――その手は私の顔から離れた。
「……綺麗だ」
雪哉は私を見ながら言ったけれど、私に言ったというよりは、一人で呟いたような話し方だった。
私は少し恥ずかしくなって、雪哉から離れると、一人で海を眺める……――
――すると、海を眺めていた私を、雪哉が後ろから抱き締めた。
私の鼓動が、早くなる。雪哉の表情が見えないから、余計にドキドキとして、仕方がない。
「 お前の事が知りてぇ」
その雪哉の声は、押し殺したような声だった。
すぐ耳元で囁かれる低い声に、私の心臓はまた、跳びはねた。
「意味が分からねぇ……オレが……」
雪哉はまた、自分だけの呟きのように言っていた。
私もよく分からない。自分の、気持ちの意味が……―――けれど、抱き締められる事、嫌じゃなかった……
――何でこんなにも、心が癒される………――?
けれどその時……――
―♪………
雪哉のスマートフォンが鳴った。
雪哉はスッと私から離れる。その切り替えがあまりにも早くて、何故だか少しだけ、落ち込んだ。
「純か? 何だよ? ………――は? 今からかよ……」
何の話しかな?
「………―――なら、仕方ねぇな………帰って来ればいいんだろう?………」
え?帰るの……? 私もっと、ここにいたい……
「………あぁ。分かった」
何だか嫌……もっと一緒にいようよ…? ………――ねぇ雪哉、あっちの方も行ってみよう……?
「……―――じゃあ、今からそっち行く。……」
私もっと、雪哉といたい………――――
ねぇ雪哉?
雪哉……
雪哉!
雪哉!!
「“雪哉”っ……私っ…!」
――瞬間、雪哉がスマホを片手に、私を見た。その表情は、驚きでいっぱいだった。
私も自分で、驚いた表情をしていたと思う。〝声が………〟――
すると雪哉がその表情のまま、電話の相手に言う――
「悪りぃ………“今忙しい”って、伝えとけ……」
そしてスマホをしまった雪哉が、私へと向き直る。
「私………えっと……」
雪哉は嬉しそうに少し笑っていたように見える。――そして私に、問い掛ける……――
「お前、名前は?」
私は唖然としたまま、答える。
「絵梨……」
声が出た……
雪哉と話せた……
やっと名前、知ってもらえた……
――〝一気に、世界が……色付き始めた……〟――
ずっと、貴方と言葉を交わしたかったの……――
「絵梨」
名前を呼んでもらえて、すごく嬉しかったのを、覚えている……
「こっち来い」
私は呼ばれるままに、歩き始める……――
私は“絵梨”……名前を伝えられなくて辛かった。悔しかった……。――もっと、私の名前を呼んで…?
「ずっと名前で呼びたかったんだ……」
私は少し上を向いて、雪哉は少し首を傾けて、私たちは初めて、唇を重ねた。
――吹く風が髪を撫でた。海が優しい音をたてた。
寄せては返すあの水は、何処へ行く……?
今はただ、その体温を感じたい………――――
始めは唇を重ねるだけの、シンプルなキスだったけれど、 だんだんに私たちは、舌を絡ませた。
絡まる舌が熱い……――
「んっ………」
舌と舌が絡まる感覚って不思議。舌から熱を帯びて、甘い感覚が、私の体までを熱くさせる。
少し舌が離れた一瞬に吐息を吐くけれど、すぐにまた舌が入ってきて、甘い感覚が私を襲う。
きっと私は、雪哉だから嫌じゃない。
脚と脚が絡まりそうになって、またドキっとする。
絡めていた舌を離して、見つめた…――
雪哉は私を抱きしめた。私も雪哉を抱きしめる――
――優しい海が、私たちをしっかりと見守っていた…――
****
──────
───────────
────────────────
開いた窓から、風が入ってきた。白いカーテンが、風で静かになびいている。カーテンの隙間から、星空が覗いた――
窓へと近づき、そっとカーテンを開く。
私は窓から頭を出して、星を眺めた。
「星って夏よりも、冬の方がよく見えるよね」
「……そうなのか?」
「冬の方が、空気が澄んでいるから」
夏の夜、雪哉と二人で星空を見ていた。ぼんやりと霞んだ、“夏の星”を。“しっかりと見えない、霞んだ星”を…――。“真実なのか分からない、あの光”を……──────
――霞んだ星から視線を離し、雪哉が問い掛ける。
「……なぁ、絵梨の事を百合乃が、“人魚姫”って言ってた」
「私が?」
「あぁ。“喋れないから人魚姫”って言ってた。意味分からねー……」
私も星から視線を離し、振り返って言う。
「人魚姫は声を無くすんだよ」
「……は?」
雪哉は、更に不思議そうな顔をしながら私を見た。
――私は窓から離れる。二人で隣同士に座った。
「人間の脚を貰うのと引き換えに、声を失った」
隣にいる雪哉に寄り掛かりながら、私は話した。
雪哉は寄り掛かる私の金色の髪を、撫でていた。
「人魚姫は人間になりたかった」
私の手はゆっくりと、しなやかに雪哉に触れる…――その手はネックレスのチェーンに沿って動いた。
「どうしてだ? ……」
雪哉は髪を撫でていた手で、私を自分の胸板へと引き寄せる。
私は引き寄せられたまま、雪哉の腰の辺りに腕を回した。
「人間に恋をしたから」
……――――私の身体はゆっくりと、座っていたベットに押し倒されていく。
「可哀相だな」
首筋に落とされたキスが、私の心を高鳴らせる…――
「だから、魔女に声をあげた。人魚姫は人間になった」
「へぇー、幸せになれたのか?」
話しながら雪哉は片手で、器用に私の服を脱がせていく。
私はベットの上で腕の力を抜いたまま、抵抗する素振りもない。少しずつ、肌を覗かせる私の身体……―――
「声が出ないから、彼女は何も伝える事が出来なかった」
あらわになる、自分の身体。心にも身体にも、飾るモノなどいらなかった――
雪哉が自分のシャツのボタンを外し始める。それを今度は私が手を伸ばして、そのボタンを外した。
私を見つめる瞳は、穏やかで優しい。
「ならどうした……――体からか?」
倒された身体に、あらわになった肌。
“分かってる”。私はこの人に、身体を許すだろう―――
胸に触れられ、身体に舌がはった。
鼓動がドキドキと騒がしい…――
「……ちがう……―――」
「じゃあ、何をした?」
「……姫はね―――……」
胸の飾りを口で遊ばれて、説明どころではなくなってくる。反射的に動かした腕は、すぐに自由を奪われた。
唇を塞がれて声が途切れる。舌が入って来る。濃厚で、深いキス――
私は首に両腕を絡めて、彼に抱き着く。
〝アナタの体温を感じる〟。
〝アナタも私の体温を感じている〟。
二人の体温が混ざり合って、そうして生まれる熱が心地いい――
――全てを、許してしまいたくなるのは何故?……
触れる身体は熱い。濃厚な口づけに、酔いしれる―――
腕の力を強めて抱き締める。離したくない―――
〝乱れる心と身体〟
〝互いに互いを求める〟
――心の隙間を埋めるように……――
呼吸が乱れる――
身体を撫でる手が、膝の辺りから、脚の付け根の方へと滑った。
――私はこの人を、求めている――
私は雪哉へと、この身を委ねきる――
──“人魚姫は王子様と、結ばれたりはしない”──
──“王子様は、別の誰かと結ばれる”──
「あ…――」
「………絵梨──……」
「…ユキ───……」
貴方の頬に手を伸ばす……――
そっと瞳をひらく。
貴方を見て、貴方に触れて、私は安心する―――
それは愛しさに変わる。愛しさが渦巻く……――
「……絵梨が欲しい……最高だ─……──」
――貴方は私の上で、その快感に表情を歪ませている。…――少しだけ口角を吊り上げて、乱れた呼吸のまま、私へと語り掛けるの――
――〝良く見えずに霞んだ夏の星・今は霞んで見えるけれど、いつか一番強く、光り輝いてくれるだろうか? ……〟……──
…――私は貴方にはまりそう。あの星が輝く保証なんて、無いというのに。〝無かったと言うのに〟…――
――きっともう、“抜け出せない”。私もそっと、口元に笑みを浮かべる…――
――愛しい 。〝愛しい〟…――――
貴方との、果てが見える……──────
─────
────―――――
─―――――――――――――――
〝王子様を殺す事の出来なかった人魚姫は、海へと身を投げる…――そして、泡になるの…────〟
─────────―――――――
─────―――――
──―――
――瞳をひらく。
長く、自分の回想に浸っていた気がする……
座り込んだ、自分の膝を見つめる。
思い返せば私は、一番最初から……雪哉を好きだったのかもしれない。
――私は自分の気持ちを、何だと間違えた……?
――“世間を拒絶していた”――
どこかで私は、自分が“本気で誰かを愛せる訳がない”と、そう、決め付けていたのかもしれない。
ただの寂しさからの愛欲なのか、 本当の愛情なのか……今まで自分の気持ちを探る事を、私は恐れていた――
気付いていれば良かったと思う……もっともっと、早く……
初めから、“雪哉が好きだった”……────
今はもう、私の記憶は悲しく渦巻くだけだ。この泡沫のような…――私の記憶───
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