Episode 3【妹】
Episode 3【妹】
あの夏祭の日から、二日が経つ。
私は今日も仕事を終えて、家へと帰宅した。――時刻は夜の九時。
「
「……来ちゃった」
一人暮らしの私の家に、妹の絵梨がやって来たのだ。
絵梨は高校二年生。髪型は私とほぼ同じだが、徹底的に違うのは髪色。絵梨の髪はブロンドだ。
何の連絡も無しに、突然会いに来た絵梨に驚いた。 最近では絵梨に、ぜんぜん会っていなかった。最後に会ったのは、一年くらい前かもしれない。
髪型も髪色も、絵梨は一年前と変わっていなかった。なのに、目の前にいる絵梨は一年前よりも、明らかに疲れ切ったような顔をしている……
目の下には濃い隈が出来ていて、その目はただボンヤリと開かれている。焦点が合っていない様に見えた……
「絵梨……何か、あったのね……」
絵梨を苦しめている原因は分からない。けれど絵梨がその事で、連絡もせずに私を訪ねて来たという事には、察しが付いた。
そして絵梨は私の言葉にただ、虚ろな目をしながら頷いた。
私は絵梨を家の中へ入れると、ソファーに座る様に促し、ジュースを差し出した。
私も絵梨の隣に腰を下ろす。
「絵梨、久しぶりだね」
「うん。……」
「ご飯は? …食べてる?」
「……うん」
「……本当?」
「……ううん。……食べない日、増えた……」
「……ちょっと待ってな? ……」
そう言って私は、冷蔵庫の方へ――。何か、食べさせてあげないと……
仕事から帰ってきたばかりだったから、何も作っていない。けれど、昨日作った余りのミネストローネならある。
鍋を冷蔵庫から取り出して、火にかけて温める。それをゆっくりと混ぜた――
*****
「はい。食べな」
温め直したミネストローネを渡すと、少しの間を置いてから、絵梨はゆっくりと少しだけ食べた。
少し食べると絵梨の目に、かすかに光が入り始めた気がした。
そして、無表情だった表情が次第に崩れていく……――すると絵梨はポロポロと、涙を流し始めた……
「うぅ……ひっく! ひく……もぅ、駄目なんだ……ヤダ、ヤダ、ヤダ……」
絵梨は泣き始めると、うずくまる様に両手で頭を抱えて、“ヤダ”と繰り返した。
それは自分の中の、嫌な記憶に対して呟いている様な言葉だった。
「絵梨?! ……」
何かを恐れるように、ただただ泣く絵梨を、私は落ち着かせるように抱きしめた。……――抱きしめる事しか、出来なかった。
泣きじゃくる絵梨を見て、絵梨を置いて一人暮らしを始めた事を後悔した。
小さい時から、絵梨は何かと私の後ろをチョコチョコとついて歩いていた。――そう、思い返せば昔は、絵梨はいつも、私について歩いていたのだ。
けれど、中学三年生くらいの時から、絵梨は友達の家や彼氏の家などを渡り歩いて、ほとんど家へ帰って来なくなった。それは高校に入ってからは、特にそうだった。
そして私は就職をして少し経った頃に、“出来るだけ職場の近く”にと、そう思い一人暮らしを始めた。
例え絵梨がほとんど家へと帰って来なくても、絵梨が久しぶりに帰った時に、私が家にいてあげれば良かったと、そう思った。
“家に帰って来ない絵梨。高校生なのに、髪を金髪にしている絵梨。だんだんと家族に対しても、ツンツンとしていた絵梨”……――けれど本当の絵梨は、内気で人付き合いも苦手で、いろいろな事を抱え込みやすい性格だという事を、私は知っていた。
“私が実家にいて、絵梨が帰ってきた時は、二人でくだらない話でもして、笑ってみたり”……――もしもそうだったなら? そうだったなら、少しは絵梨の支えになれたのだろうか?
「ねぇ……助けて」
ポロッと涙を流しながら、うわ言のように絵梨はそう呟いた。
〝絵梨……――貴女は一体、何に苦しんでいるの? 私に出来る事はある? ……“ない”だなんて、言わせたくない〟
「……お姉ちゃんに任せて」
「あぁ……やっぱり、お姉ちゃんのところに来て、……良かったぁ……」
そう言うと絵梨は、安心したように泣き顔に一瞬笑みを帯びてから、私の腕の中で小さい頃みたいに、眠りについた。
安心した表情で眠る絵梨を見て、昔の事を、少しだけ思い返していた――……
“私と同じ髪型の絵梨”
小さい頃、よく私が絵梨の髪を結んであげていた。私が二つに結べば、絵梨も二つにした。高い位置に一つに結べば、絵梨も同じにした。みつあみなら、みつあみ。リボンにすれば、リボン……――
私は絵梨と“お揃い”になるのが嬉しくて、『お姉ちゃん、髪の毛結んで』と、そう言いながら寄ってくる絵梨の髪型を、いつも自分と同じにしていた。
けれどある時、私は幼いながらに思ったのを覚えている。“私は自分勝手”だと。“髪を結んで”って寄ってくる絵梨を良い事に、“お揃いがいい”、そのエゴを絵梨に向けている気がしたのだ。幼いながらに、私は自分のエゴに吐き気がした。――だからその日、絵梨の髪を自分とは違く結んだ。
“私がポニーテール、絵梨がツインテール”。
けれどそしたら絵梨は、『お姉ちゃんと違う』と言って、大声で泣いた。
私が同じポニーテールに結び直してあげると、すぐに泣き止んで、絵梨はニコニコと笑った。
絵梨も“同じがいい”と、そう思っていてくれたと思うと、すごく嬉しかった。そして、今までよりも増して、私のたった一人の妹が、可愛くて、可愛くて、仕方がなくなったのを覚えている。
けれど絵梨が小学六年生くらいになると、髪を結んであげる事は、目に見えて減っていった。当然、同じ髪型の日も減った。 絵梨が中学生になったのを境に、髪を結んであげもしないし、頼まれもしなくなった。それが、普通であり、自然だった。
けれど、絵梨が中学二年生だったある日、私が絵梨の部屋に行った時のこと……――
絵梨の部屋へと行った理由は単純なものだった。“お昼ご飯が出来たから、絵梨を呼びに来た”。『絵梨、お昼できたって!』と、そう言って私は、ノックもせずに絵梨の部屋のドアを開けた。
その時、絵梨は鏡の前で髪型のセットをちょうど終えたところだった。
そうしたら、絵梨はいきなり焦りながら、恥ずかしそうに『お姉ちゃんのマネなんかじゃないからね!』と、ムキになって言った。
当時の私は、毎日長い髪を斜め上の位置にシュシュで結んで、結んでいる髪の毛をコテでクルクルと巻いていた。そして目の前の絵梨も、全く同じ髪型をしていた。
恥ずかしそうに否定をするから、余計に私と同じ髪型をした事がバレバレで、そんなところも可愛らしく思っていた――
――色こそは違うけれど、今も私と同じ髪型の絵梨……
きっと絵梨の心の根本は、私について歩いていたあの頃と、一つも変わっていないのだろう。
絵梨の抱えている問題が、何なのかは分からない。言えないなら、それでいい。 ただ、安心して私のところで休めばいい。
大切な私の妹、お姉ちゃんが、傍にいるからね……――
*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*
ここから私の人生が、大きく左右されていく事になるなんて……
私はまだ、気が付いていなかった……――
*―* ―*―*―*―*―*―*―*―*―*
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