3)「聞く」ことの有用性~『モモ』をめぐって

3-1)少女モモの力とは


 ミヒャエル・エンデの『モモ』は、児童文学の傑作として広く親しまれてきました。この作品は後半で、街の人びとから活き活きとした時間を言葉巧みに盗み取る灰色の男たちとの戦いを描きます。そこでは、時間と「いのち」の源泉が美しく描かれていますが、前半もそれに劣らず重要な場面があります。

 少女のモモは、大きな街の外れにある円形劇場の廃墟に独りで住みついていました。はじめ街の人びとは、モモを世話することを申し出ますが、モモは独りで住むことを主張し、それが受け入れられます。双方が互いを受け入れるようになり、「ときがたてばたつほど、この小さな女の子はみんなにとって、なくてはならない存在になり、この子がいつかまたどこかに行ってしまいはしないかと心配したほどです」(エンデ『モモ』)。

 さらにモモには、ある不思議な力が宿っていました。「それはほかでもありません。あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。でも、それはまちがいです。ほんとうに聞くことができる人はめったにいないものです」(エンデ、前掲著)。

 ただじっとすわって注意深く人の話を聞いている「だけ」のモモですが、モモに話をきいてもらった人たちは、自分の意志がはっきりしたり、急に目の前が開けて勇気が湧いたり、「世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな者なんだ」(エンデ、前掲書)とまで思い至るようになっていきました。

 このモモが発揮する「聞く」力とは、私たちが知っているところだと、カウンセリングでのそれが似ているかもしれません。カウンセリングで発揮される「力」とは、クライアント(=来談者)が有する自己治癒力や問題解決能力と、それをカウンセラーが信頼して待つ力だと考えます。対話においてこの「聞く」力は、語りを促し、引き出す力としても作用します。つまり、「聞く」とは、語りを支援し、促す作用があるのです。


3-2)なぜ「聞けない」のか


 たった今、「聞く」ことの有用性について見てきました。聞くことは、語りを支援し、促す力があったのです。そうであるならば、対話が不調の原因としては、まず「聞く」ことの不調を疑ってかかるべきではないでしょうか。つまり、この「私」の語りが不調なのは、「私」の語りが支援されていない=聞かれていないのだと想定できるのだと思うのです。つまり、なぜ人びとは話を聞けなくなったのか。これこそが、立てられるべき問いであったと思うのです。 カウンセラーの東畑開人氏は著書『聞く技術 聞いてもらう技術』において「あなたが話を聞けないのは、あなたの話を聞いてもらっていないからです。心が追い詰められ、脅かされているときには、僕らは人の話を聞けません」と書いています。ここで示唆されているのは、聞くことと聞かれることとが、循環している必要がある点だと思うのです。「私」が誰かの話を聞くためには、他の誰かに話を聞いてもらってないといけないということです。

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対話とサンクチュアリをめぐって しょうじ @showgy0717

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