1)対話が不調な社会

1-1)炎上するSNS


 今日では電車やバスなどの交通機関を利用中の人々の多くがスマートフォンを使っています。多くの場合はSNSを見ているのではないでしょうか。SNSでは気軽に情報が発信できるゆえ、洪水のように言葉があふれています。しかしその言葉は届けたい相手に届いていない場合もあるでしょう。炎上や「SNS疲れ」と言われることもあります。言葉は人と人とを結び、あるいは癒やすこともありますが、刃となって人を傷つけ、反目、離反させることもあります。言葉には、正と負の両方の側面があるのですが、SNSは、それを可視化しただけでなく、どちらの側面も強めているのだと思います。

 SNSが強めた正の側面とは、例えば音声SNSを使った地域・年齢・性別等の距離を超えた、偶発的なコミュニティへとつながり得ることが挙げられます。一方の負の側面は、ヘイトスピーチやフェイクニュース等の温床にもなる点を挙げておこうと思います。

 

1-2)政治の/に言葉は届くのか


 もう一つ、対話が「不調」であるだろうと思われる点について考えます。それは政治をめぐるコミュニケーションに関してです。元々政治とは、合意の形成を目指す説得の技術と言うことができます。つまり、人と人とを結びつけるものです。しかし、政治的課題をめぐるコミュニケーションは「不調」であり、対立と分断とを生んでいると言わざるを得ません。近年だけでも、安保法制やマイナンバーカード、沖縄の基地問題等、山積する問題の指摘があるにも関わらず、その決定が覆ることがないばかりか、検討さえされずに「ていねいな説明を」したとして、半ば以上強引に物事が進んでしまう。政治「に」言葉は届かないのと同時に、政治「の」言葉が届かないのです。


 以上述べ来たった点については、どちらかと言えば「公的」領域における対話の不調について言えることでした。もちろん、私的領域、例えば家族間や職場等においても対話が有効に機能していないことを検討すべきかと思っていますが、今回についてはここまでの記述に留めておこうと思っています(もちろん、機能している場合も多いですが)。

 なぜ「不調」が生じるかについての素描だけしておくと、当事者間の力関係の非対称性があることを指摘しておきたいと思います。つまり、強者と弱者という関係性が固定され、再生産されている。関係の「暴力性」が生じているということです。対話の不調を解きほぐすということは、この関係の暴力性を解除するということかもしれませんが、いささか結論を出そうとするのを急ぎすぎている感じがしますし、当初の執筆意図を越えていることなので、この「逸脱」はここまでとしたいと思います。

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