05

 また、サボったことはバレなかった。父さんも母さんも、僕が真面目に塾に行っているとばかり思っていた。

 だから僕は、その後もちょくちょくイオリに会いに行った。イオリは毎回、突然僕の後ろに現れる、という登場の仕方だった。

 僕とイオリが話したのは、宇宙のこと。今は地球外生命体と現実に交流を持てていないけど、この世界は広いのだ。いつか必ず、会える日が来るはず。

 僕のノートには書き込みが増えていった。青年と生命体がどんな冒険を繰り広げるのか。ほんの少しの短いエピソードだけど、それを重ねていけば大きな物語になるはずなのだ。

 そして、夜になれば二人のアステリズムを見上げた。


「なぁ瞬。物語、必ず書けよな。今は無理でも、いつか書けるから」

「そうだね。僕、できたら真っ先にイオリに見せるからね」


 そう約束した日。イオリと別れ、駐車場に行くと、母さんが車の前に立っていて、唇をきゅっと結んでいた。


「母さん……」

「話があります。帰ったら父さんと三人で話しましょう」


 ――ついにバレた。母さんのこの言い方は、僕を叱る時のやつだ。


 何も言えないまま、助手席に座り、警察署にでも行くような気持ちで家に帰った。父さんはビールを飲んでおらず、腕を組んで椅子に座っていた。


「瞬。座れ」

「はい……」


 僕は父さんの正面。母さんは父さんの隣に座った。父さんが言った。


「母さんが今日、塾の先生に聞いたんだ。出席記録を見せてもらった。瞬、最近よくサボってるみたいだな」

「……ごめんなさい」


 そう言うしかなかった。


「塾に行かずに何してたんだ」

「公園にいた……」

「一人で?」

「うん……」


 イオリを巻き込むわけにはいかない。そこだけは嘘をついた。


「あのなぁ瞬。勉強がしんどいのはよくわかった。でも、子供が一人だけで夜まで公園にいるのは危険なんだ。父さんも母さんもヒヤヒヤしたぞ」

「そう、なんだ……」

「安全だから塾に夜まで居させてるんだ。行きたくない日は家にいろ。父さんも母さんも怒らないから」

「うん……」


 その夜、僕はノートをめくった。物語の設定と、イオリと作ったアステリズム。もっと、ずっと、続けていたかった。イオリがいてくれたからこそ、僕の世界は色鮮やかになったのに。

 ベッドに入り、すぐに眠ったが、遠くで僕を呼ぶ声が頭の中に響いて目が覚めた。


 ――瞬。ちょっと家の前まで出てこいよ。


 イオリだ。僕の意識に直接話しかけてきている。

 薄々感じていた。イオリはきっと、普通の人間ではないのだ。

 時計を見ると深夜の二時。こっそり出れば、大丈夫。僕はそっと玄関から外に出た。


「よう」


 イオリは眉を下げて、僕を見つめた。


「イオリは……何者なの」

「それ話すから。まあ、少し歩きながらな」


 僕の家は静かな住宅地にあった。イオリと二人、街灯に照らされて歩いた。


「俺さ、生きてる人間じゃないんだ。正確に言うと、生まれることができなかった人間」

「えっ……?」


 イオリはつらつらと話した。僕の父さんが、昔付き合っていた女の人が妊娠したらしい。その子供がイオリ。でも、お腹の中で死んだ、つまり流産したとのことだった。


「だから俺は瞬の兄さん」

「兄さん……」


 イオリは自動販売機のところで立ち止まった。


「何飲む? 特別に小遣いもらった」

「じゃあ……オレンジジュース」

「俺もそうしようっと」


 自動販売機の側には腰掛けられるコンクリートの出っ張りがあって、そこにイオリと座った。イオリは説明を続けた。


「色んな可能性の世界が存在しててさ。この俺の姿は、もし生まれることができてたらこうなってた、ってやつ」

「それで……どうやって僕に会いにこれたの?」

「俺も瞬と同じ。ずるい手使った。けど、いよいよバレちゃってさ。こうして会えるのはこれで最後な」


 最後、という言葉がずしんと心に沈んだ。


「やだ……嫌だよ。兄さんなんでしょ。せっかく会えたのに」

「本当はダメだからさぁ。ごめんな。でもさ、俺、これからも瞬のことは見守ってるから」

「兄さん……」


 ぽたり。ぽたり。あふれて止まらない。イオリは僕の肩に腕を回して抱き寄せてくれた。


「なぁ、瞬。約束、忘れてないよな。物語を書くって」

「うん……うん……」

「不安になったら空を見ろよ。ほら、アステリズム。作ったろ」


 涙をぬぐい、空を見上げた。都会の光に負けてはいたけれど、それでも星は輝いていた。


「ねぇ、生命体の名前、イオリにしていい? 残したい」

「いいよ。さっ、ジュース飲んだら送る。それで本当に最後な」


 飲み干してしまえば、この時間は終わる。でも、長引かせたところで辛くなるだけだ。僕は一気にジュースの缶を傾けた。


「行こうか、瞬」

「うん……」


 せめてものお願いを僕はした。


「手、繋いでいい?」

「いいよ」


 温かくて僕より大きな手のひら。ここに今生きているとしか思えないのに。帰り道は二人とも、何も話さなかった。繋いだ手の感触を忘れないよう、僕は深く深く心に刻みつけた。


「じゃあな。おやすみ、瞬」

「おやすみ、兄さん」


 こうして、僕は兄との別れを経験した。

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