04

 塾をサボったことは、父さんにも母さんにもバレなかった。僕はあの日を上塗りするかのように勉強した。

 サボっている最中は、そうでもなかったのに。後から後から吹き出してくる。これは、罪悪感というやつだ。

 苦手な算数をとにかくこなした。ここで点数が取れないと、志望校の合格ラインに乗れないのだ。

 七月になり、梅雨が明け、一気に気持ちがいい空が広がるようになり。

 僕はイオリのことを考えた。僕が会いたくなれば来てくれるという。あれは、本当だろうか。

 塾のテストがない日を狙った。僕はまた、サボったのだ。また罪を重ねることにはなるけれど、好奇心の方が勝ってしまった。

 公園に行き、ベンチに座る。やわらかで乾いた風が僕の髪を揺らす。そして、いつの間にかイオリが後ろに立っていたのだ。


「よう、瞬」

「イオリ……どうやって来たの? 足音しなかったけど」

「まあいいじゃねぇか。今日もサボったってことだろ?」

「そうだよ……本当はいけないのにね」


 僕が話したのは、父さんと母さんが敷いていたレールのことだ。僕はいい中学に入って、エスカレーター式に高校に上がって、さらにいい大学を目指さなければならない。

 振り返れば、幼稚園時代に家で母さんにワークを解かされて、小学校に入る前に読み書きができるようにさせられたのは、それを見越してのことだった。


「ふぅん。瞬はそれでいいのか?」

「仕方ないよ。子供は親の言う事聞くしかないんだから」

「でもこうしてサボってるじゃん」

「うっ……」


 話をそらしたくなった。僕はイオリに尋ねた。


「晩ごはん、食べたの? 僕はお弁当あるけど」

「いや、特にそういうのは食べない」

「そうなんだ……僕、今から食べるけど」

「自由にしろよ」


 僕はお弁当を広げたのだが、さすがに自分だけ食べる、というのは居心地が悪かった。


「何か食べる? 玉子焼き、オススメだけど」

「おっ、くれるの? あーんしてくれよ」

「はい、あーん」


 箸で玉子焼きをつかんでイオリの口に放り込んだ。


「……んん! うめぇ、うめぇ!」

「もっといる?」

「いるー!」


 結局、入っていたおかずの半分くらいをイオリにあげた。晩ごはんも食べられないなんて、イオリは可哀想だ。

 すっかり日が落ちるまで長くなったけど、それでも必ず夕焼けになる。暮れていく空をイオリと並び、見上げた。


「僕さ。本当は、物語を書きたいんだよね」


 父さんにも母さんにも秘密にしていたことを、僕は打ち明けてしまった。


「へぇ、どんな物語?」

「えっとね……」


 宇宙と青年と生命体。頭の中にだけ広げていた妄想を、他人にもわかるように説明しようとすると、けっこう難しいということがわかった。


「その、生命体の姿が決められなくて」

「心を通わせられるんだよな?」

「そうだよ」

「だったら、何にでも姿を変えられる設定は? 青年と初めて話す時は、その青年と似た姿にするとか」


 僕はぱちくりとまばたきをした。学校に通っていない、傘や晩ごはんすら買ってもらえない、そんなイオリが最高のアイデアをくれたのだ。


「それ、いい!」

「だろ? きっとその生命体って、相手が話しやすい姿を取ると思うんだ」

「うん、うん! それで、海を泳ぐ時はイルカになって……」

「忘れないようにメモしといたら?」

「そうする!」


 僕は塾用のノートの最後のページに、設定を書き込んでいった。ベンチの側には照明があって、暗くても手元が見えたのだ。

 まだ話の筋まではない。設定だけ。それでも、紙に書いてみることで、僕のキャラクターたちに心が生まれたような気がした。

 真っ暗になった空。都会では星があまり見えない。それでも、いくつかは見つけることができた。イオリが言った。


「あの空のどれかの星に、生命体はいるってこと?」

「僕の設定では、地球からは見えない星だよ。ずっとずっと、遠くにあるの」


 七月。もう見える頃だ。僕は強く光る三つの星がないか探した。


「うーん、わかんないな。夏の大三角」

「あっ、星座ってやつ?」

「ううん、アステリズムだね。星の並びのこと。星座は国際天文学連合が決めたやつ」

「難しいことよく知ってるなぁ」

「図鑑で読んだんだ」


 イオリは指で空をなぞりながら言った。


「なぁ、二人で新しく作らない? そのアステなんとか」

「アステリズムね。いいよ、やってみよう」


 僕は物語の設定を書いた裏のページを使った。イオリが指したであろう星を点で描いて、線で繋いだのだが、ボールがひしゃげたような形になった。


「イオリ、何これ?」

「俺と瞬を表す形」

「なんだか、ゆがんでるね」


 そんなことをしていると、そろそろ九時だ。


「僕……行かないと。イオリはまた来てくれるの?」

「もちろん」

「どうして僕が来ることわかるの?」

「あはっ、秘密だよ」


 イオリが白い歯を見せてにかっと笑うので、僕もつられて頬をゆるめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る