02

 小学校は、楽しいか楽しくないかで聞かれると、ちょっと困る。

 僕は外で遊ぶのが苦手。ドッヂボールはすぐ的にされるし、なわとびの技もみんなより遅れていた。

 仲間外れにされたくなかったから、今まで参加していたけど、受験勉強を始めた、というのを大っぴらにして、休み時間は塾の宿題をすることにした。

 波が引くように。さあっとみんなが距離を置いたような気がする。

 一人になってみると、これはこれで悪くない。流行っているゲームだとか、動画だとか、そういうものが耳に入らなくなった。


「福原くん」


 宿題をしていると、担任の先生が声をかけてきた。五十歳くらいのオジサンの先生だ。


「……はい」

「休み時間も勉強?」

「受験があるから」

「たまには外に遊びに行って、身体を動かすのもいいと思うよ」

「たまには、そうする」


 窓の外からは、やかましい叫び声。今からあの場には戻れない。戻りたくない。僕はもう、みんなとは別の道を歩き出してしまった。

 もし、合格できなかったら、どうなるんだろう。

 その不安は今からあった。

 父さんが決めた志望校があって、滑り止めも受けるけれど、それもダメなら公立の中学校。

 そうなったら、周りからは「受験に落ちた負け犬」扱いをされるかもしれない。

 僕はなんとしてでも受からなくちゃいけない。

 そんなことを考えていると、かえって勉強に身が入らなくなってしまった。無理矢理解答欄を埋めて、あとは校庭を見てぼおっとしていた。

 家に帰って、すぐに身支度。ランドセルから筆記用具だけを取り出して塾のリュックに入れる。母さんがお弁当を渡してくる。


「瞬、行こうか」

「見送りはいいよ。僕一人で行ける」

「……そう?」


 のろのろとバスに乗り込んだ。行きたくない。行きたくない。そればかり唱えてしまった。

 きっと、塾に行く、ということ自体が身体に染みついていない。父さんも言っていた。まずは慣れるところから、と。

 回数を重ねれば、きっと大丈夫になると思っていた。

 でも、四月が過ぎて、五月の連休が明けて、六月になって。

 梅雨入りしてもまだ、塾は自分の居場所だとはとても思えなかった。

 そして、朝からしとしとと雨が降り、どんよりとした雨雲が広がっていた日のことだ。

 バスが塾に着いて、まっすぐ入口に行かないといけないのに、僕は泥棒のようにコソコソと塾のある建物を離れた。


 ――今日くらい、いいよね。


 僕は傘をさし、あてもなく歩いた。どこか、雨をしのげるところを探して。

 たどり着いたのは、公園だった。遊具は雨に濡れて誰も遊んでいなかったが、屋根のあるベンチを見つけた。

 僕はベンチに座り、母さんに持たされていたペットボトルのお茶を飲んだ。

 ざぁぁ、ざぁぁ、雨が強くなってきた。構いやしない。むしろ公園に誰も来なくなるだろう。

 屋根からは雨水がぽたぽた落ちて、石だたみに跳ね返っていた。今日は、僕が起こした精一杯の反抗だ。バレて何と言われても謝らないつもりでいた。

 僕はキッズケータイを持たされていた。父さんと母さんにしか連絡ができない物だ。ただ、時計代わりにもなった。もうすぐ講義の始まる時間。それを今か今かと見守った。

 時間になった。僕は指を組み合わせて両腕を屋根に突き出し、伸びをした。サボりがこんなにも清々しいものだったなんて。


 ――そうだ。お弁当、もう食べちゃおう。


 膝の上でお弁当を広げるのは難しかった。二段あるのだ。僕はベンチに弁当箱を置いて、ごはんととおかずを交互に食べた。

 今日も僕の大好きな玉子焼きが入っていた。甘くて、ダシのきいた、濃い味の玉子焼き。

 残り時間を気にする必要はないから、ゆっくりと味わった。母さんが迎えに来るまで、ここに立てこもることを考えて、お茶は残しておいた。


 ――それにしても、暇だなぁ。本の一冊でも持ってくればよかった。


 受験勉強を始めてから、新しい本を一冊も読んでいなかった。探せば本屋があるかもしれないが、僕に持たされたお金はもしもの時のためのもの。

 仕方がないから、僕は空想の世界に羽根を広げた。いつか、自分でも物語が書けたらいいな、なんて、こっそり思っていたのだ。

 まだ誰も到達したことのない、銀河系の果ての話。一人旅をする青年。立ち寄った星には、心を通わせることのできる生命体がいた……。

 その、生命体のイメージが僕には湧かなかった。人型ではなく、そして地球にいるどんな生き物ともかけ離れていて。そこまでだ。

 僕の頭の中では、ぼんやりとした光でそれが仮に表されていて、形作ろうと空を見つめていたら、雨がやんだ。


「お前、こんなとこで何してんの?」

「……えっ」


 後ろから声をかけられた。驚いて振り向くと、そこには僕と同じくらいの年の男の子が立っていた。

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