二人のアステリズム

惣山沙樹

01

 子供は親を選んで生まれてくるという話がある。

 僕は父さんと母さんを自分で選んだのだろうか。

 夫婦仲はいいし、好きな物は大体買ってくれるし、食べ物のワガママだって聞いてくれる。

 選ぶ親としては文句のない二人かもしれない。

 でも、僕に中学受験を押しつけてきたのはどうなんだろう。

 小学四年生になった僕は、他のみんなが遊んでいる時間に、塾に行かなくてはならなくなった。

 そういう窮屈な星の下に、神様の気まぐれで生まれてしまった、という方が僕としては納得できる。


「じゃあ、しゅん。気をつけて行ってらっしゃい」

「……行ってきます」


 母さんがにこやかに手を振った。塾に行く時はバスが出ているから、それに乗るのだ。

 帰りは母さんが車で迎えにきてくれる予定だ。終わるのは夜の九時。休憩中に食べるお弁当も塾のリュックの中には入っていた。

 バスの中は静かだった。ここにいる小学生たちがみんな、受験勉強を強いられた仲間だと思えば少しは気楽かもしれない。

 けれど、受験勉強は合格枠の奪い合い。本当はライバルなのだ。周りより一点でも多く点数が取れるようにみんな必死。

 窓の外を見る。僕の住む湊市みなとしは政令指定都市であり、そこそこ都会だ。国道沿いには飲食店やマンションがぎゅうぎゅうに詰め込まれて建てられていた。

 塾に着き、みんな模範囚のようにぞろぞろと教室に向かう。僕にとってこの場所は牢獄だ。その日の勉強が終わるまで出られない牢獄。

 決められた席に座り、時間キッチリの講義を受け、お弁当を食べて、また講義、やっと九時。


「お疲れさま! どうだった?」

「うん……なんとかできた」


 塾から少し離れたところに駐車場があり、母さんがそこで待っていた。水色のワゴンRは母さんの趣味。

 助手席に乗ってシートベルトを締めた。母さんの膝の上にはカバーつきの文庫本があって、それで暇をつぶしていたらしい。

 僕の読書好きは明らかに母さんの影響だ。小さい頃から絵本を読み聞かせされていたし、自分で読める本も教えてもらった。

 けど……それは結局、中学受験に向けて僕の読解力を鍛えるためだったらしい。

 確かにそのおかげで国語は得意。問題なのは算数だ。僕の入ったクラスは初級で、学校の復習から始まったが、早くもつまづいていた。


「瞬、お弁当あれで足りた? まだお腹空いてるならコンビニ寄るけど」

「大丈夫だよ。早く帰りたい」


 母さんは文庫本をカバンに入れて、そのカバンを後部座席に移してから車を発進させた。母さんは言った。


「駐車、しにくいねここ。何回もやり直しちゃった」

「そっか」


 僕の迎えのために、母さんは車の免許を取った。初心者マークはまだ外れない。

 そこまでして一人息子に手を尽くしているということ。つまりはお金があるということだし、贅沢なことだけど。 

 僕は……のんびりと本でも読んで、子供時代を過ごしたかった。他人との競争なんて、僕がこの世で一番嫌いなものだ。

 帰宅すると、父さんが風呂上がりのビールを飲んでいた。


「おう、お帰り瞬。塾、どうだった」

「まあまあ……」

「まずは慣れるところからだな。ほら、早く風呂入れ」


 父さんに言われた通り、すぐに脱衣場に行って服を脱いだ。四月になったばかり。夜は肌寒いので薄手のパーカーを着ていた。それを洗濯機に放り込んだ。

 熱いシャワーで全身を濡らし、ゆっくりと髪と身体を洗った後、湯につかった。

 父さんはまだ晩酌中なのだろうか。お酒臭いのは苦手だから、先に寝ておいてほしいのだが。

 お酒と、あとタバコさえなければ、父さんのことは好きだ。年がいってからできた子供だから、と僕はずいぶん可愛がられている自覚はあった。

 母さんとは年の差婚で、僕は母さんが二十歳の時の子供。結婚してからはずっと専業主婦。父さんは銀行員で、稼ぎが安定しているから、という事情も、さすがに僕にもわかってきた。

 風呂からあがってリビングに行くと、まだ父さんは椅子に座って缶ビールを握っていた。母さんに声をかけられた。


「瞬、ジュースいる? オレンジかグレープ」

「オレンジ」


 僕はまだ炭酸が飲めない。何度か挑戦したけど無理だった。父さんのように、あんなにぐびぐびビールを飲める日はくるのだろうか。

 父さんの向かいの席に座り、オレンジジュースを少しずつ飲んだ。父さんが言った。


「早く寝ろよ。睡眠不足だと勉強の効率が悪くなるからな」

「うん、わかってる」


 言われなくてもそうするつもり。初めての塾で緊張してぐったりだ。

 けれど、そこまで父さんに言うつもりはなかった。どうせ酔っているだろうし。

 僕の家は戸建てだ。僕の部屋は二階にある。リビングを出て階段を上り、「しゅん」のネームプレートがある扉を開けた。

 部屋の中はスッキリとしていた。受験勉強が始まって余計な物が目につくといけないからと、玩具は母さんが養護施設に寄付したのだ。

 残されたのは本と図鑑。お気に入りの宇宙の図鑑だけ、机の上に置きっぱなしだった。でも、これからあまり読むことはないだろう。

 僕は宇宙の図鑑を本棚に片付けて、ベッドに入った。

 明日もまた、学校と塾だ。

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