第2話 貴女に出会えて、私は幸せです
それからまた冬の始まり。
ここに来てから一年が経った。
ウザかったシエラ様はあれからかなり、なりをひそめている。
よほどキスが効果的だったらしい。
そして私達の関係は良好だ。
でも少しだけ、勿体ない事をしてしまった気がする。
悪戯でするようなものじゃなかった。
――――――ボォ〜〜〜ン
奇妙な音が鳴り響いた。
これはシエラ様が張った広域結界に、誰かが触れた時になる音。
来客が来たという知らせだ。
いつもはシエラ様が音を聞いて、結界の外まで確認しに行ってるけど、今の時期は冬なので、おそらくまだベッドの中である。
もう朝なのだから、早起きして欲しいとは思うけど、寒いのがかなり苦手らしいから仕方ない。
私が外に出て来客の人の様子を見に行くのは、禁止されているので、まずシエラ様を起こしに行く事にした。
---
静かに眠る彼女の耳が、ふわふわと揺れている。
柔らかな毛並みが日の光を受けてほのかに輝き、吸い寄せられるように視線が固定された。
「お客様がおいでになっています。早く起きてください」
体を揺すりながら言った。
「…………あと1時間待たせておいて……」
「それは流石に遅すぎです……」
分かってはいたけど起きない。
でも大丈夫。
きっとあれをすれば起きてくれる。
「シエラ様。起きないと――キス、しちゃいますけど、よろしいですか?」
フサフサした耳に口を近づけて言った。
「…………うるさい……」
どうやらして良いらしい。
いつもは唇を肌に近づけるだけで、逃げてしまうからやらないけど、今は状況的にも仕方ない。
お客様を待たせているのだから。
……う〜ん。やっぱり2回目のキスを、寝ている主の唇にするのも何か違う。
どうしようかな……
思案しながら、私は一つしかない獣耳にそっと手を伸ばした。
毛並みの温かさと柔らかさが指先に伝わると、自分の胸がわずかに高鳴るのを感じる。
だけど、それだけでは足りない。
悪戯心が頭をもたげ、唇をシエラ様の耳へと近づけた。
「はむっ」
やってしまった……
口いっぱいに広がるふわふわの毛の感触。
その瞬間、シエラ様の耳が私の口の中で、ぴくりと動いた。
小さな動きに息を呑むが、彼女はそのまま規則的な寝息を立て続けている。
「
――――――ボォ〜〜〜ン
――――――ボォ〜〜〜ン
――――――ボォ〜〜〜ン
お客様が痺れを切らしているようだ。
いつもとは違い、連続で音が鳴っている。
しょうがないので次は、耳に口を当てたままそっと噛むように力を込めた。
微かな弾力と温もりが心地よく、ついもう少し触れていたくなる。
「ひっ――な、何?!」
が、その願いは叶わず。
シエラ様は飛び起きてしまい、口の中から耳がスルっと抜けてしまった。
「ふぃ、フィオネ。何してるの……?」
すっかり顔が赤くなってしまった、うぶすぎるご主人様。
「お客様がお見えになっていますよ。すぐに着替えて下さい」
私は弁明もせず、笑顔でそう返した。
許可はもらったし、寝ていたシエラ様が悪いので、何も言うことは無い。
---
準備を早々に終わらせて玄関前。
「帰ってきたらお仕置きするから!覚悟しておいて!」
怒鳴るシエラ様。
だけど目は合わせてくれない。
「はい。次は跡が消えないように、強く首を絞めてください」
笑顔で返事をすると扉を思いっきり閉め、急いで飛び出てしまった。
あんな赤い顔で、人と会って大丈夫だろうか?
まぁ、寝坊した主が悪い。
「あっ、ご飯を作らないと……」
シエラ様は起きたばかりだから、きっとお腹が空いている。
そう思い、玄関から離れようと歩き出した瞬間。
――カランッカランッ!
これは玄関の扉が開く音。
帰ってくるのがあまりに早い。
何か忘れ物でもしたのだろうか?
全く、おっちょこちょいなご主人様だ。
「シエラ様。早く行かないとお客様が――」
そう言いながら後ろをゆっくり振り向くと、立っていたのは別の人物。
「はぁ……まさか本当に小動物を飼っていたとはな。とうとう寂しさに限界を覚えたか」
銀髪、金眼の女性が付いた雪を払いながら、とても不機嫌そうに、この家の中へあがりこんできた。
それも一人で。
初めてのケースだ。
「あの、貴女は……?」
私は一歩後退りながら質問をする。
シエラ様と入れ違いでここに来た?
いや、今までそんな状況になった事はない。
まず家の中を出入りしてるのは、一年を通して私達二人しかいないはず……
もしかしてこれ、とてもまずい事態なのでは?
銀髪の女性は怠そうに一息吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「それにしても綺麗になったな、ここも。お前が……ん?――」
女性は途中で言葉を切り、一瞬、何故か唖然とした顔になった直後、突然、目の前から姿が消えた。
私が疑問に思う間もなく、喉に冷たい圧力がかかる。
「なんだお前、よく見たら人族か」
苦しさと同時に、背中が壁に押し付けられる衝撃が走った。
「くる……しい…………はな……して……」
「知っているか? 人族は妾に反論なんて出来ないんだ」
なんでいきなり初めて会った人に、こんな事をされているんだろう。
それに首を絞めているこの人の方が、辛そうに見える。
第一印象でしかないけど、とても悪人のようには見えない……
私は人から恨まれるような事をした覚えがないから、余計にわけが分からない。
「何故シエラと一緒に暮らしている?何が目的だ?――いや、喋らなくて良い。勿体無いがこのまま記憶を覗いた後、処分する」
……喉が締め付けられる痛みと、呼吸が出来ない辛さで、頭の中がじんじんと痺れ。意識が薄れていく。
「しえらさま……たす………け…」
声にならない声が喉の奥で消える。
手足が言うことを聞かない。
死を間際にして、ほとんど反射で名前を呼んでいた。
思えばさっき、シエラ様を怒らせてしまったばかり。
あんな事を言った後で、ご主人様に助けを乞うのは、あまりに図々しすぎるかもしれない。
馬鹿な返事なんかしないで、ちゃんと謝れば……良かった。
目の前がぼんやり白く霞む中、遠くで、何か大きな音が響いた気がした。
重い衝撃音と、足音――誰かが来る?それとも幻聴?
その瞬間、扉が爆発するように壊れる音がして、冷たい空気が一気に流れ込んできた。
「ゼレシァァアア!お前!!何をしている!!!」
ぼんやりした視界の中に現れたのは、鋭い瞳と一つしかない獣耳――シエラ様だった。
---
低い唸り声が聞こえた。
まるで野生の獣のような気迫が、部屋全体を支配しているのが分かった。
シエラ様がこちらを見ている。
「……あっ、ぁぁ……」
向けられた冷たい視線。
獲物を狙うその眼光に私は思わず、村での出来事を思い出してしまい、一瞬だけ眼を背けてしまった。
「フィオネ…………ッ!……」
「ん? あぁ、なるほど。記憶を読んで理解した。シエラ、お前――」
「うるさい黙って!なんでお前がここにいる!!何しに来た!!」
この威圧感を前にしても、ゼレシアと呼ばれた女性は顔色一つ変えていない。
「何でだと? 妾は再三、使いの者を送ったはずだ。もちろん要件は何一つ変わっていない」
掴む手の力が緩み、私は咳き込みながらもすぐに息を吸った。
手は離してくれたけど、魔力を纏っている手刀を、首元に当てられている。
逃げることは許されていない。
「魔物との戦争に参加するつもりは無いって、何度も言った!今もそう……だから分かったら早く、フィオネを……私に渡せ……!」
今のシエラ様の言葉で、ゼレシア様と呼ばれた女性の雰囲気が変わった。
「馬鹿さ加減は、相変わらず変わってないらしいな! 戦争だと……?いや違う。これは星を守るための戦い――世界を守るための戦いだ!!」
声が荒々しく、疲れきった顔。
我慢の限界だというのが、顔色から見て取れる。
何か私の預かり知らない内容で、2人は言い争っているようだ。
とても口を挟める状況じゃない。
黙って話を聞くことにした。
「それをなんだお前は!召喚にも応じず、忙しい中妾が直々に様子を見に来てみれば、なんだこれは!?随分と楽しそうじゃないか、あぁ!!?」
「それでも……私には、関係ない」
シエラ様は一向に頷かない。
その様子を見て呆れたのか、ゼレシア様は体の力を抜いたように見える。
「まだ気づいてないのか阿保が。この人族の故郷を滅ぼしたのも、その魔物の軍勢だ」
「…………」
私には全く理解出来ないスケールの話を、この人達はしている。
魔物がどうとか、世界の終わりがなんだとか。
そして私がその戦いの被害者という話まで。
それで戦力だったはずのシエラ様が来ないから、わざわざこの人が森の中まで呼びに来たという。
「そこから動くなよシエラ。妾についてくるならこの人族は解放するが、そうでなければここで殺して、無理矢理にでもお前を連れていく」
「……フィオネを殺したら、例え刺し違えてでも、お前を殺す」
「育ての親に向かって「殺す」とまで言い切るとはな」
多分、私がこの家にいるから、うちのご主人様は動こうとしないんだと思う。
それで多くの人が被害に遭っている。
救えるはずの命があったはずなのに。
ただ1人、自分だけは守られ、ここでのうのうと暮らしている間にも、大勢の人が昔の私のような目に遭っているという話。
何も知らなかったとはいえ、とても……とても最低だ。
この世界で私と真剣に向き合ってくれた優しいお母さんは、きっとそれを良しとしない。
「……世界の滅びが、例えシエラにとってどうでも良いことでも、そこで膝を付いているか弱い女は、どうやら違うらしい」
魔力が纏われた手が離れていく。
もう必要ないと判断されたらしい。
「……ゼレシア様、と言いましたよね?」
「あぁ」
「すみません。少しだけ時間をください。シエラ様とお話がしたいんです」
「……良いだろう」
---
ゼレシア様はその後、すぐに立ち去ってしまった。
この場から消えたということは、残り数日ほど猶予をくれるということ……だと思いたい。
そしてシエラ様は……
「シエラ様、昼食をお持ちしました。部屋の中に入っても――」
「駄目……来ないで……」
鍵は掛かってないけど、そう言われたら入ることは出来ない。
シエラ様はあの後すぐに寝室へ行き、部屋に篭ったまま出てこなくなってしまった。
原因は私。
あの時、助けに来てくれたシエラ様を、一瞬……それも反射的とはいえ、恐れてしまった。
「……部屋の前に置いておきます。また夜に来ますので……」
深く考えずに会おうとしてしまったけど、今、顔を合わせたら、また勝手に体が反応して、シエラ様を落ち込ませてしまうかもしれない。
ゼレシア様はシエラ様が来なければ、私を殺して無理矢理連れて行くと言っていた。
シエラ様の様子だと、戦っても勝ち目が薄いのだと思う。
なのでどちらにせよ一度、お別れしなければいけないのは確定しているのだ。
どれだけの期間、ここを離れるのか分からないけど、こんな別れ方じゃいけない。
だからそれまでに、自分の気持ちに整理を付けて覚悟を決める。
私は窓の外を眺め、仕事をしながら、空がゆっくりと暗くなるのを待った。
---
空が赤く染まり、陽が西の地平線に近づく。
まだ完全には落ちきっていないけれど、その明かりが薄らいでいるのを感じる。
寝室の前に置かれた昼食に、手が付けられた様子は無い。
お腹が空いているはずなのに……これはそれほどまでに傷つけてしまったということだ。
仲が良くなったのに、いまだ魔物と同様に見られている……私にはそんな経験をしたことは無いけど、イメージは出来る。
それはきっと、とても寂しく、やるせなく、自分ではどうしようもない無力感に苛まれる……と、私は思う。
だからこっちから、歩み寄らなければいけない。
「シエラ様。中に入らせてもらいますね」
「…………来ないで……」
部屋に鍵は掛かっていない。
私は一度深呼吸をして、扉の取っ手に手をかけた。
「いえ、入ります」
---
扉を開ける。
薄暗い部屋の中のベッドの上で、シエラ様は静かに座っているのが見えた。
足を組み、うつむき加減で座っている。
肩が小刻みに震え、まるで隠すようにして手で顔を覆っているけれど、その手の隙間から溢れ出した涙が、静かに頬を伝って落ちていた。
私はその姿を見ながら、部屋の扉の前でゆっくりと口を開いた。
「シエラ様、その……まず謝らせ――」
「やめて!!」
突然の怒声に思わず息を呑んでしまった。
もう一度、話しかけようとしたが。
「違う、フィオネは悪くない。全部、全部……私が悪いから……」
顔を合わせず、目を伏せながらそう呟くご主人様。
「何が……ですか?」
悪いのは私の方なのに……
また魔物と同列に見てしまった事を謝りたいのに、それを許してくれないご主人様。
疑問に思っていると、シエラ様は少しずつ、言葉を溢し始めた。
「知ってたの……フィオネの村に魔物が侵攻していること、その村の人達が何も出来ずに、死んでいくことも……私が行けばその人達はみんな助かってた」
いつもと違って饒舌。
私は黙って声に耳を傾けることにした。
「私が助けなかったから、フィオネがそうやって、魔物に怯えるようになったのは仕方ない、それが当然……なのに……でも、分かってても傷ついた……!」
「……はい」
「今も世界の終わりも、他の人達がみんな死んでしまうのもどうでもいいって思ってる、自分とフィオネさえ助かれば……こんなことを思ってるからフィオネが酷い目にあって、魔物に怯えるようになったのに……」
「…………」
「………………フィオネに怯えられて、今も心の何処かで悲しんでいる自分。でも、助けに行かなかった私が悪いとそれを諌めて、どうにか納得しようとしている自分……」
どこから出したのか。
シエラ様はサッと取り出したナイフに、魔力を込め、自身の胸を突き刺す構えを取った。
「もう……何も考えたくない……こんなに辛いなら、フィオネと出会わなければ――」
そこから先は見過ごせない。
刃が肌に触れる直前、私はベッドに上がり、走ってシエラ様に近づき、持ってた物を叩き落とした。
「ぁぁ……」
ご主人様は遠くに飛ばしたナイフの方を、ぼ〜っと見ている。
「いっときの感情に委ねすぎです。私を絶望から救ってくれた人とは到底思えません」
私は柔らかな頬に手のひらを添え、親指でそっと涙の跡を拭いながら、シエラ様の顔をゆっくりと自分の方向に引き寄せる。
「フィオネ……」
「シエラ様、一つ質問をさせてください」
「ん……」
ご主人様は小さく頷いた。
今から聞くことは、少し雰囲気に合ってないかもしれない。
でも時間が無いのだから、ここではっきりさせておきたい。
「私のことは好きですか? 嫌いですか? それを教えてください」
そう聞くと。
「……なんで今……?」
恥ずかしそうに顔を横に向けようとした。
だけど両手で固定しているので、私の顔を見つめる以外のことは出来ない。
「とても大事な事ですよ。今、そのお口から聞きたいんです」
「……ぅぅ…………」
顔を赤くしながら目を瞑ってしまった。
言えないなら仕方ない。
「では、そのまま目を瞑っていてください」
体が震えているのを見ながら、私はゆっくりと腕を伸ばした。
戸惑いがないように、そっと背中に手を回し、そのまま静かに抱き寄せる。
ご主人様がほんの少し、体を預けるようにして力を抜いたように感じた。
柔らかな髪が頬に触れる。
私はシエラ様の背中を、ゆっくりとさすりながら言った。
「言葉、もしくは体でしっかりと気持ちを伝えるというのは、結構大事な事なんですよ」
「……フィオネの体、震えてる……」
「気づきました? 昨日の今日どころか、さっきの今ですからね。まだ体がちょっと怖がってるんです……」
そう伝えるとシエラ様は目を開け、黙って私の肩に手を置いた。
引き剥がすつもりなのだろう。
まぁ、こんな言葉を口走ったら、そうしたくなるかもしれない。
でも、そうはさせない。
私は肩に置かれた手を払い落とした。
「シエラ様が言葉に出来ないなら、私が私の気持ちを、体で伝えます――受け取ってください」
ご主人様の首に顔を近づけると、ほのかな体温と柔らかい香りが漂ってきた。
「……何を――ひゃっ!?」
そっと唇を首筋に触れさせる。
「やめ――」
「本当にやめて欲しいなら、私のことを突き飛ばしてください。シエラ様ならそれが出来るはずです」
そう耳元で低く囁いて、歯を立てた。
柔らかい肌を押しのける感覚と、微かな抵抗。
それは、温かさを直接取り込むような行為だった。
短く、小さく声を漏らす音が耳元で聞こえる。
そのまま離れず、私は歯を沈み込ませていった。
---
歯をゆっくりと引き抜く。
咬んでた時間は2分ほどくらいだろうか。
ちょっと興が乗ったのもあって、長くやり過ぎてしまったかもしれない。
シエラ様は突き飛ばすどころか、私の背中に手を回して、服をぎゅっと握っている。
シワが出来てしまいそうだ。
「フィオネ……自分が何をしているか、理解してる?」
「逆にこっちが聞きたいくらいです。なんで素直にこの行為を受け入れたんですか?」
これを受け入れたということは、上下関係が逆転したと言っても良い。
この世界だとそれくらい、重要な意味合いがあったはず。
「それは……」
「それは?」
そう聞き返すと背中から手が離れていく……
と思いきや、更に強く抱きしめられてしまった。
「私も……私も好きだから……愛してるから……!」
涙ながらに叫ぶシエラ様。
シエラ様の肩に顔をそっと乗せ、同じくそれを返す。
「はい。その言葉を聞きたかったです」
私は耳元で囁くように言葉を返した。
「だから……一緒に逃げよう? 私達だけなら……」
「そんな事をすれば、もっと自分のことを嫌いになっちゃいますよ。私も。きっとシエラ様自身も」
それにご主人様は、ゼレシア様から逃げ切れるなんて考えていないはず。
一回見ただけだけど、なんとなく分かる。
あれは人の心と形を持った、全く別の生物だ。
「……分かりますか?まだ私は怖いんです。こんな事をしておいて言うのも何ですけど……」
「…………」
「だから忘れさせてください。もう私が怯えなくて済むように」
「え?」
分かっている。
最低なことだ。
自分で出来ないからと、他人にそれを任せると言うのは、とても怠惰な話だと思う。
でも、こうしないともっと悪い流れになってしまう。
結局は、お別れをしないといけない。
ご主人様の柔らかい髪に指を滑らせながら、ゆっくりと声を落として話しかける。
「次にシエラ様を抱きしめた時、私が震えないよう」
「でも……」
「他人は関係ありません。シエラ様が愛している私のために戦ってください」
こんなの口にするだけで、自分の事が嫌いになってくる。
無力でどうしようもない自分が。
でもそうするしかないのだから、仕方ない。
「…………」
「離れてる間や戦ってる時、そして他の人と会話している時も、ずっと私の事だけを考え、想い、行動するんです」
私がそう囁くと、少しだけ何も反応がない時間が続いた。
もしかたら怒ってしまったかもしれない。
そう思って言葉を掛けようとすると――
「…………ずるい」
シエラ様がそう言うと同時に、尻尾を動かし背中へ、優しくトントンするように触れてきた。
「なら最後に……フィオネのお願いを聞くんだから……私のお願いも……聞いて欲しい……」
何故か恥じらうように言っている。
理由が分からない。
「別に良いですよ。私に出来ることだったら、なんでも言ってください」
「…………おねがい」
そう言いながら次は私の太ももに、尻尾を擦り付けてきた。
具体的な内容を言わずに、小さな声で『お願い』をせがむシエラ様。
何をして欲しいのかこっちから聞こうかと思ったけど、そうするのは良くないと直感が告げている。
少ない時間の間に、頭を回して悩んでいると、ほんの少しだけ体を離され、そして顔を私の口元に寄せてきた。
荒い息遣いが肌に触れる。
いきなりの積極的行動で、少しだけドキドキしてしまう。
そして緊張で息を呑んだ次の瞬間、シエラ様の舌が私の唇の端に触れた。
どうやら付着していた血を、拭き取られたようだ。
「…………おね……がい……」
分かった……ようやく理解した。
うちのご主人様は口下手で、考えている事が分かりづらくて仕方ない。
「そんなに言うのが恥ずかしかったですか?」
そう聞くとご主人様は静かに頷いた。
ならそのお望みに応える他ない。
こういう経験は今までした事がないので、上手く出来るか分からないけど。
私はシエラ様の肩に両手を置き、自分の体重を押し付けるように、押し倒した。
上から覆い被さる形である。
「え〜っと、か弱い人間に好き放題されるのが嫌になったら、言ってくださいね」
「言わない……言っても絶対に止めないで」
「ふふ……こんなお願いも中々無いですよ。では、私の体力が尽きるまで、お付き合いください」
そして私はご主人様の体を徹底的にいじめ、貪り尽くす。
止めるよう懇願されても当然無視。
お互いの愛を確かめる行為は、次の日の昼まで続いた。
---
何かに首元を触られる感覚がして、意識がぼんやりと浮上していく。
重たい瞼をゆっくりと持ち上げると、天井の模様がぼやけた視界に、じわりと浮かんだ。
いつの間にか寝てしまったみたいで、もうすっかり夕方である。
重たい体を引きずるように、布団の中でゆっくりと横を向くと……
「あれ、起きてたんですか」
「……うん」
シエラ様が同じく布団の中で、私のことをじっと見つめていた。
昨日の夜に比べると、見違えて落ち着いているように見える。
一度寝てすっきりしたのかもしれない。
「ごめん……」
どうして謝ってるのか、寝起きの頭では理解出来なかったので、少し間を置いて視線を下に移し、首の違和感を確かめる。
そこにはご主人様の尻尾があった。
どうやら先に起きて暇だったから、私の首を弄ってたみたいだ。
そしてこの一瞬の間では当然、理由なんて思い当たらない。
「何についてか分かりませんが、謝ってるのを初めて見た気がします」
そう言葉を返すと同時に、シエラ様から体を抱き寄せられる。
肌に触れられた時に一瞬だけ、ぶるっと大きく震えてしまったけど、すぐに収まった。
お互い服を着ていないので、直に温かさが伝わってくる。
私も寝たおかげで、脳内がリラックスしているのかもしれない。
昨日あれだけやった後でまだ震え続けたら、流石に落ち込ませてしまうかもしれないから……
「昨日は邪魔者が来て色々と私自身、おかしくなってた」
「まぁ、そうですね」
「あんまり怯えて無いけど、多分、酷いことも言った……と思う」
確かに言ってた。
でも、それは仕方のないことだと思うし、蒸し返す気にもならない。
「だから、その、ごめ――」
――――――ぐぅぅぅぅ〜…………
静かな部屋の中。
何かを言い切る前に突然、シエラ様のお腹から低い音が、周りに鳴り響いた。
胸の中に埋めていた頭を離し、上を向いてシエラ様の顔を確認すると、耳の先から首元まで真っ赤になっていた。
「………………ごめん」
「恥ずかしがらなくて良いですよ。長いこと何も食べてなかったので、当たり前の生理現象です」
思えば昨日の朝から、シエラ様は何も食べてなかったはず。
これはもう気が回らなかった、私が悪いと言っても良い。
「リビングに行きましょう。一応、昨日作った物を冷凍してあるので、それと一緒に他にも何か作りますね」
「うん……」
---
そうして私達がリビングに向かうと、何故か……
「遅いぞ、お前達。さっさと飯を作れ」
ゼレシア様が机に肘を付いて、リラックスした様子で座っていた。
「えっと……」
理解できない光景を目に、一瞬、思考がストップする。
そして私はすぐにシエラ様の方に視線を移した。
もしかしたら暴れ出すのではと、心配だったからだ。
だけど少し表情がムッとなっただけ。
私の心配は余計なお世話に終わったようだ。
「折角の楽しい時間が台無し、今すぐ消えて」
シエラ様は機嫌が悪そうに呟いた。
そしてそれを聞いたゼレシア様が、同じく表情をムッとさせると思いきや、
眼を細め鼻で笑うような、どう見ても小馬鹿にしているようにしか見えない、挑発的な笑顔に変わった。
「シエラ、お前は妾の力を忘れている」
「お前のことなんて、頭の中に残して置くだけ無駄。忘れて当然」
「ふむ、それもそうか。ならこれを見ると良い」
そう言って取り出したのは一つの丸い水晶。
そしてその球体に片手で魔力を込め始めると、その瞬間、空間に淡い薄膜のようなスクリーンが浮かび上がり、微かに揺れる。
「何ですか、これ」
「フィオネと言ったか?お前の記憶風に言えば【てれび】と呼ぶ物に近いだろう」
聞き覚えのある単語。
なんでその名前が出てきたのか、質問をしたかったけど、何か映像が流れ出しそうだったので、それに注視することにした。
「私はお腹が空いた。邪魔だから消えて」
「そう急かすな、これを見ればその気も失せる」
そうして、そこに映り出したのは……
「え!?」
「…………」
昨日の夜から始まった情事。
しかも私視点である。
「あ〜はっはっはっ!!!!シエラ、恥ずかしく無いのか?数百歳も歳下の人間に、良いようにされて!」
ゼレシア様は映像を指差して、涙を流しながら大爆笑。
シエラ様は立ったまま静止して動かない。
「ちょっと!なんてことしてるんですか!!!」
私はそれを黙って見てられず、すぐに水晶を奪い取り、床に叩きつけた。
そして動かないシエラ様に駆け寄り、体に触れると……地面に倒れ込んでしまった。
「おいおい。ショックで気絶するほどか、これ?」
この人。
本当に余計な事しかしない。
時間が無いのでは無かったのだろうか?
「ゼレシア様、何しにきたんですか……本当に……」
「そんなの決まってるだろう。そこに寝っ転がってる馬鹿を迎えに来た」
そう言われ、一瞬、喉が詰まるような感覚を覚える。
離ればなれになる寂しさからのストレスかもしれない。
「もう出発するつもりなんですか?」
「あぁ。シエラが起き次第、すぐ国に帰らせてもらう」
「その、私も……」
「ダメだ。お前を連れて行くと毒にしかならない。個人的には研究対象として、持ち帰りたいところだが……」
何とか連れて行ってもらえないかと思ったけど、やっぱり無理だった。
それに個人的にとは……
「研究対象とはどういう意味ですか?」
そう聞くと一瞬、悩んだような仕草をした後、ゆっくりと口を開き始めた。
「お前に話すだけ無駄な話だが、妾は人間族を自由に操れる。記憶を覗き見る力も、それに含まれた力の一つだ」
「は、はぁ……」
う〜ん……
この世界特有の魔術的な話を説明されても、あまりついていけない。
この家に来てからまだ一年しか経ってないし、そこまで勉強できていない。
「だから無駄だと言ったんだ」
「すみません……」
「お前を連れて行きたいのは、穴の向こう側の知識を持っているのが理由の一つ。そして二つ目は妾の力が及ばない点だ」
「そ、そうですか……」
そう返すと、昨日見た辛そうな表情を一瞬した……ように見える。
「……まぁいい、時間が惜しいからな。シエラをさっさと叩き起こさせてもらう」
そしてご主人様が目を覚まし、夕食を3人で食べ、遠出する準備を終わらせた。
シエラ様は今日出発と聞き、怒りを露わにしていたけど、ゼレシア様がとある話を持ち掛けると、これを喜んで了承した。
---
玄関の扉を開けると、冷たい風がふわりと足元に吹きつけた。
「……じゃあ行ってくる、フィオネ」
「はい、行ってらっしゃいませ。シエラ様」
ご主人様達は私をこの家に置いて、薄暗く雪が吹き荒れる中を歩いて行く。
後ろ姿が少しずつ小さくなっていき、どれだけ目を凝らしても、これ以上は追えないほどに離れてしまった。
胸の奥が妙に重たい。
喉元が詰まるような感覚に耐えきれず、小さなため息を吐いた。
「…………寂しいです。シエラ様……」
こんな事を口走っても、何の解決にもならない。
心にぽっかりと空いた穴を埋めるものが見つからず、私は足元の真っ白な地面に、視線を落とすだけ……
そう思っていたら、雪を散らす音が前方から聞こえてきた。
私はすぐに前に視線を向けると――シエラ様が走ってこっちに戻ってきた。
忘れ物でもしたのだろうか?
それとも私も……
シエラ様が目の前で立ち止まった。
「どうしましたか?何か忘れ物ですか?」
そう聞いても何の返事もせず、黙って自分のマフラーを外し始めた。
「あの……?」
「忘れ物」
顔を上げると、シエラ様が柔らかく、温かい布を私に巻いてくれる。
抵抗する間もなく、布が首元を包み込み、温かさが広がった。
「これはシエラ様の物ですよ……?」
出会った時から付けているマフラーである。
「うん。それの匂いを嗅いでみて」
私は言われるがまま嗅いでみた。
ご主人様の柔らかい体温が残ったような、自然と触れ合う匂い。
それはシエラ様が放つ獣人らしい、力強さと優しさを併せ持った香りで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そのマフラーを見て、触れて、匂いを嗅いで……忘れないで欲しい」
私はそれを聞いて、ふっと口元が緩んで無意識に笑みがこぼれた。
この言葉。
昨日言った内容にすごく似ている。
「……もしかして私の真似ですか?」
「うん。でも気持ちは真似じゃない。私自身の本心」
真剣な顔で、そう告げるシエラ様。
「はい……ありがとうございます…………」
思わず涙がこぼれてきた。
「私はシエラ様――貴女に出会えて、とても幸せです」
雪の粒が顔にぽつぽつと当たり、そのひとつひとつがすぐに溶けて温かい水滴となり、頬を伝い落ちていった。
その冷たさは一瞬で溶けてしまうけれど、同時に涙と混ざり、どこから来たのか分からないしっとりとした感情が胸を締め付ける。
「私も……」
ふと、手が伸びてきて、あたたかい指先が頬を包み込んだ。
その温もりが心地よくて、私は自然と目を閉じる。
息が交じり合う距離。
冷たい雪と共に舞い降りる空気を感じながら、優しく唇を重ねた。
雪の冷たさが肌に伝わるけれど、それでもシエラ様との距離は、温かくて、どこか溶けていくような気がした。
---
「戻ってくるのがおせぇんだよ。馬鹿な事してる暇があったら結界を解いて転移できるようにしろ」
「マフラー渡したから、すごく……さむい……」
「お前さ、やっぱり馬鹿だろ……」
「うるさい」
―――――――――――
あとがき。
全部読んでもらえたようで感謝です。
ここからは後書きです。
かなりくだらない事や設定を、作者が書き殴るだけのコーナーです。
興味のない方はブラウザバックをお願いします。
この短編、私の作品である【邪神の使徒になった転生少女の冒険録】見てる方なら気づいたと思いますが、実は前日譚なんですよね。
本編からおよそ1000年以上、昔のお話です。
そしてこの作品はおそらく、しばらくしたら消えます。
本編の方に移植する形になるでしょう。
感想で催促頂いたのが嬉しかったからなのと、丁度この小説をずっと書いてたのもあって投稿しました。
どうせ消えるし、読者も少ないついでに書き殴るんですけど、私が投稿している短編作品は基本、全てに続きがあって、全ての話が連載してる作品と何処かに繋がりがあるんですよね。
それで今本編の方は、プロローグで止まってるんですけど、処女作である幼女魔王か転生幼女、どちらか混ぜるつもりだったんですけど、まぁこっちに決定しましたね。
幼女魔王でも良かったんですけど、そうなると冒険のメインメンバーに男が混じる事になるので、却下になりました。
それとこの作品文字数多いですね。自分で言うのも何ですけど。
途中疲れすぎて脳が死にながら書いてました。
きっと削るべき描写や、足さねければダメなところとかあるんでしょう。
どうせ本編に移す時、この作品を消して修正を入れるのが確定しているので、どうにでもなってしまえ精神なところがあります。
プロローグの次の話に、これを挟むつもりではいるんですけど、少し文字数が多い上に、本編組の存在感を消す勢いで百合ってる気がしますね。
この短編、本編に挟むってなったら何分割して投稿する事になるんでしょうか?
頭が痛くなってきますね。本当に。
もしかしたら本編に出すつもりすらない設定とか、書いてるかもしれません。
ワンチャン没小説として、永久に抹消する可能性もありますね。
シエラさんの身長設定を載せておきます。
およそ170cmほどです。
転生幼女の方は好きに解釈してください。
そしてシエラさんがゼレシアに持ちかけられた好条件の話ですね。
あれは本編中盤か後半に出るかもしれないですね。
今投稿している本編の中にも、大きなヒントがあります。
気づく人は気づくでしょう。
こっちの主人公は一応善性がかなり強いキャラとして作ったんですが、その手のキャラって私がかなり苦手なタイプなので、執筆スピードがありえないくらい落ちました。
書くのが難しかったです。
本編の主人公の方は悪性がある程度強いキャラなんですが、日本の教育と今までの出会いで、ギリギリ踏み止まっている状態を作っているとも言って良いでしょう。
この話達も多分本編で明かさないので、この短編を見てる人限定、フォロワー限定の話ですね。
移植後のあとがきに、こんなくだらない事をわざわざ書き殴ったりもしないと思います。
これであとがき終了です。
どうせ作品ごと消すので無敵です。
転生幼女は獣人のお姉さんに尻尾で首を絞められないと生きていけないそうです?? 中毒のRemi @Remiria0831
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