第14話

夫人はしばし押し黙り、青年を凝視した後、長いまつげを伏せ、一瞬曇ったような顔をした。




そうして、再び青年を見つめ返すと、静かに口を開いた。唇が悲しげに笑う。




「篠崎は死にました、5年前に交通事故で。」




 脳天をかなづちで乱暴に殴られたような強い衝撃を覚え、立ち尽くす青年。一瞬目の前が真っ暗となり、やがて、くらくらとめまいを催す。




一人で体を支えられず、青年は思わず近くの壁に手を添えた。




「あの人は、あなたの事をとても気にしていました。私達は子供もいない夫婦でしたから。」




そこでいったん言葉を切ると、再び夫人はゆっくりと、そして、申し訳なさげに語り始めた。




「今日という日にこんなことを伝えるのは、本当に忍びなかったんですけれど、けれど、私もあなたに一度お会いしてみたくて・・・」




 もはや、夫人の言葉の後半部分が、青年の耳には全く入ってこなかった。ただ、夫人の赤い口紅の輪郭が、池の鯉の様に無機質にパクパク動いているように見えた。




全身の血の気が引き、次第に息ぐるしくなってくる。やがて、へなへなと床にへたりこみ、青年は両腕をつっぷして泣き出した。




打ちっぱなしのコンクリに、大きな水滴がぼたぼたと落ちては、ゆっくりと乾いてゆく。




今日はいつになく風が強い日だ。青年は激しく咳き込みながらも、嗚咽をあげ続ける。それをただ鎮痛な面持ちで見つめる夫人。




 しばし、泣きじゃくった後、青年はやおら顔をあげ、フェンスに駆け寄った。すっかりさび付き赤茶けたフェンスに指を食い込ませる。




ワッサワッサと音を立てながら、勢いよく高いフェンスをよじのぼってゆく。驚いた顔の夫人。




しかし、夫の遺言で、青年の自殺をくい止めることを決してしないと約束をさせられていた夫人は、両目をぎゅっと瞑り、





衝動的に青年をくい止めたいと欲する両手を押しとどめるように、スカートのふちを握りしめる。




指の端からもれるやわらかな生地が激しくゆがみ、全身が小刻みに震えている。




青年の脳裏にふと過ぎる。




(昔の僕だったら、こんな時、真っ先に死にたくなったかもしれない。)

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