第86話

僕はもういい加減グロッキーだった。




巷に痴話げんかなんて星の数ほど点在しているだろう。僕らが今こうしている間にも、そこかしこのカップルが夫婦が痴話げんかをしたり仲直りをしたり、きっとせわしなくひっついたり離れたりを繰り返しているのだろう。




だけど、こんな切り口の痴話げんかなんて、果たしてあるだろうか? ゼロではないかもしれない。だけど限りなくゼロに近いはずだ。だけど愛里は更なるカウンターを僕にくらわせる。




「病院は行きたくない。だって人間じゃなくなっちゃうもの! 病院、行ったことあるよ。でもね、精神薬を飲んでやっぱり結局修行するだけ」




斬新なんだ。愛里よ! 




お前は斬新過ぎる。愛里よ、悲しんでいる場合じゃない。嘆いている場合じゃない。僕の頭がオーバーヒートする。精神薬というからには、きっとそういう病院なんだろう。




ぷっつん来た僕の頭の中で、緑の救急車がピーポーパーポー、ピーポーパーポー。マヌケで軽快な音を鳴らし、頭のランプで辺りを照らし回し、ぐーるぐーる子犬のワルツのようぐーるぐーる同じ箇所をただひたすらもう走り回っている。




そういや子供の頃、冗談で友達と




「わー、緑の救急車がくるぞー!」




とかはしゃぎ回ってたっけなーとか。この期におよんで、ほんっとどうでもいいことばかり、実に無責任に考えてしまう僕。僕のあっけらかんとしたがっているおつむとコントラストするかのよう、悲しげな愛里。




「真ちゃんは、太宰知ってる? 太宰治の『人間失格』。そうなんだよ、あそこ、病院は人間失格人間の集うひつぎなんだよ」

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