第87話

なんて悲しそうな愛里の瞳。愛里の言うことにはいちいち筋道が通っている。そうなんだ、筋道は通っているんだ。だけど、僕にはてんで分からない。結局、他人事は他人事ってか? 




それがたとえ自分の愛しい彼女事だとしても。どんなに親しくとも、愛しくとも脳の共有はできない。脳みそは決してあわせ味噌のよう混ざり合わない、結合しない。




愛里は混乱する僕などお構いなしに、更なる混乱を僕の頭にぶち込んでくる。




「自分は人間じゃないんだ。生き方を失敗したんだ。損なったんだ。存在としてオカしいんだ。そんな風に頭っから大きな烙印を押されちゃう」




愛里のまぶたが痙攣する。僕は愛里の瞳にたっぷりとたくわえられた水滴の膨張を眺めていた。水滴はじわじわと膨らみ。だけど、結果こぼれ落ちそうでこぼれ落ちそなかった二つの水滴は、愛里の涙腺を伝い、下り、愛里を鼻声にする。




「人間失格の烙印を押されて、結局修行するなら、お酒を飲みながら、私はそれでも普通です。私は人間ですからって思いながら、修行するほうがマシ。だから病院には行かない」




そうして愛里はベッドの上でひざを抱え込み、貝のように押し黙ってしまった。うんともすんとも言わない。完全に反応をなくしてしまった。




僕は、口をつぐんだ愛里に何度か声をかけようとしたのだけれど、かけることもままならず、そのまま愛里の部屋を立ち去った。

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