第79話

愛里の部屋の扉前。僕は銀色の取っ手を目の前にしてはあがりきった息でしばし立ち尽くしていた。ぐっしょりとかいた汗で髪が額に張り付いているのを感じる。




愛里の惨劇を思うと、扉を開ける手がためらいを帯びる。だが、僕が恐れきっている最悪の事態が目前に展開されていたとしても、それでもすぐさま救急車を呼べば、まだ間に合うかもしれない。




そのためにも、とにかく一秒一刻でも早くどうにかしなければ! 躊躇している場合じゃない!




(ナムサン!)




僕は目も当てられぬ惨劇を覚悟して、腹をくくり、愛里の部屋の扉を開ける。




「愛里!!」




そして叫ぶ。




だが僕の悲壮な叫びとは裏腹に、目の前に愛里の惨劇は無かった。僕の目前に展開される景色。




ただ愛里がベッドに横たわり、僕に背を向け、ふて寝をしている。鼻先に感じるクーラーの涼やかなる空気。想像とはかけ離れたあまりにのどかな景色に、僕は一気に脱力して、へなへなとひざを折り、その場にへたり込む。




僕の両手のひらに感じる絨毯の毛足。短いながらもふかふかな毛足。ふくらはぎと太ももにぴったり当たる汗にぬれたデニムの生ぬるさ。




(よかった。オレ性格なんとかしなきゃだめだな。ほんっと覆水する前でよかった。次から気をつけますホンット)

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