第77話

通りのすぐ脇の電気屋のショーウィンドーに立ち並ぶ大サイズのテレビから聞こえる声。




『トマトもね、ほぉら、こんなに楽々。でもね、特別よくといであるからとか、すごく高級な包丁だからっていうんじゃないですよ。ただのどこにでもある家庭用の包丁です。




だけどね、この包丁とぎペーパーで二、三度しゅしゅっとこすれば!』




『えー、ホント、まるで魔法みたいですね、あのトマトがこんなに簡単にスライスできるなんて』




年配のオバハンと二十歳前後の若い娘が、なんだかんだしゃべくちゃっている声。




『そうでしょう? この包丁とぎペーパーさえあれば、どんな包丁でも見違えるよう、切れるようになるんですよ』




僕の脳裏に沸く不穏と反比例するかのよう、なんてノー天気なしゃべり口調。僕は愛里に投げつけた言葉の数々を思い出し、一気に青ざめる。




(まさか、愛里のやつ、カッターもう追加で買ってないよな。あれからチェックしてねぇ)




みるみる沸き起こる不穏。僕の小枝をいじくる手が止まる。へたる小枝。いやいや、カッターがなくても、包丁という手がある。包丁はさぞかし切れるだろうな。




出刃なんて、その気になれば骨ごとチキンを切り落とせるもんな。魚はらくーに三枚におろせるし。カボチャだって。




僕がショーウィンドーのテレビを振り返ると、案の定、にこやかなオバハンが若い女性アシスタントと並んで映り、まだ包丁とぎペーパーをしつっこく宣伝している。




みずみずしいトマトのスライスの実演をしながら。らくらく薄切りされるトマトの赤い側面と、トマトの黄色いつぶつぶ、水ぬれた内臓。だけどその画面を素通りして、僕の脳裏にくっきりと映るのは、愛里の惨劇。




(待て愛里! 早まるんじゃねぇ!!!)




僕は小枝を投げ出し、駆け出していた。愛里宅に向かい駆ける最中、僕の脳裏に最悪なシナリオがリアルに浮き上がる。




(早まるな! 早まるんじゃねぇぇ!!!!)

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