第56話

「痛いに決まってるだろう、もーしまってくれよ!」




「だよなー」




と僕は杉山に協調の薄ら笑いをし。だけど、次の瞬間ナゼだかふいに舞い降りた強烈なる好奇心と誘惑に抗えず、人差し指の腹に銀色の刃を押し当てる。




「切ってみよう」




「わ! 何考えてんだ!!!!」




杉山の悲鳴と同時に、僕の指先に味わったことの無いクラスの激痛が走る。次の瞬間には、僕はもう叫んでいた。




「って! 痛ってーよ! すげーーー痛てーーー!!!」




一気に引き戻される現実。




杉山のくったきなき快活とアホウ面に現実に引き戻っていたと思っていたのはものの見事錯覚だった。いまだ僕は愛里の余波を引こずっていた。いまだ愛里に毒されっぱなしだった。




刃物で自らを切りつけるなど、アホウのすることだ。正気の沙汰ではない。生き物の本能に逆らっている。遺伝子の指令に逆らいまくりのクラッカー。




血は噴水のようには噴き出さなかった。シャワーのようにも噴き出さなかった。ただボタボタと床にたれ落ちるだけ。




だけど床に次々と作られる血液の紅いぷっくりとした丸い膨張がただもう怖くて怖くて。失う血液以上の貧血を僕にあおる。




「ったりまえだろー!」




杉山の焦り気味の叫び。




(そう思うなら、もっと全力で止めてくれ!)




完全なる八つ当たりとは思いつつも、〇.一ミリだけ心ひそか、制止の甘かった杉山を恨んだ。だけど脳裏を微か一瞬だけよぎる思い。ああ、愛里はこんな風な痛みを日常味わっているのかとしみじみ耽り、だけど痛みでソレは長くは続かない。ただもう、己に降って湧いた強烈なる好奇心に激しく後悔をする。

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