第55話

僕が一人、愛の感傷に浸っていると、どすんと音がして杉山が僕のすぐ脇に座ってくるのを気配で察知する。




だけど、僕は友をシカトして愛里を思う。その気になればなんだって、愛里を傷つける凶器になるだろう。だけど、せめてこの黄色いカッターを愛里の視界から消し去れば、愛里の手首の目盛りが増えるのを一秒でも遅らせそうな、そんな予感がしたのだ。




祈りのような予感。あくまでも希望的観測だが。僕のなんて小ざかしいサル知恵。それでも、友は僕の肩をしつっこくゆさぶってくる。面倒だが僕は杉山を振り返り、だけど、つい先ほどまでの癖をひき、黄色いカッターの刃先をぬっと親指で押し出す。




「こわいから、よせよ!」




叫ぶ杉山。あわてふためていている。僕はいまだ愛里の血みどろショーの妄想の余波でまどろんだ意識のまま、おうむ返す。




「こわい?」




だったら僕に近寄らなければいいのに。




そう思いつつ、僕は再びカッターの刃を引っ込める。あからさまにほっとした杉山の顔。杉山のすっかりひけていた腰が妥当な位置に収まり、ぐっとリラックスを帯びる。それを眺めつつ、僕はぼんやりと思い直す。




いや、杉山の反応が普通か。刃物は怖い。




カッターを向けられたら誰しも怖いし、身の危険を感じると。


愛里と共にしばし過ごしたセイで、僕の感性が微かに狂ってしまっているのかもしれない。再び……だけど今度は杉山の反応を見るため、僕はカッターの刃を押し出す。




「ったりまえだろー! わ! 刃先をこっちに向けんな!!」




やっぱり杉山だ。やかましい。ひとつひとつのジェスチャーがやたら大げさだ。だが、僕は杉山の快活にあおられ、みるみる現実に引き戻されてくる。僕は杉山を見やり尋ねる。




カッターの刃を再び押し出し。




「これで手ぇ切ったら、痛いかな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る