生活の始まり

 朝を迎える。倫太郎に寄り添うように眠っていた少女たちの姿はすでになく、洞窟から出ると彼女らは畑への水撒きを始めてくれていた。おはよう、と声をかけると、「おはようございます」「おはよ倫太郎」と口々に挨拶を返してくれる。


「水やりありがとう」

「いいえ。ちょうど終わりました」


 ジョウロを持ったレノミアが微笑みながら倫太郎の元に帰ってくる。そのジョウロはと聞くと、小川のそばで拾ったのだという。古く壊れかけているので、この山の昔の持ち主が捨てたか置き忘れたものであろう。


「ところで倫太郎さん。その……、お風呂やお洗濯とかは、どうされていますか?」


 そう言われて思わず自分の匂いを嗅いだ。この山に来るときに数着の服は持ってきていたが、初日から着替えていなかった上に風呂ももちろん入っていない。レノミアはその反応を見て、決して不潔ですよとかではなくて、と慌てて言うが、倫太郎は事実だから仕方ないと苦笑して見せる。


「石鹸も何もないからな……。外に出られたらまずそれを買おうか」

「あまりこの状態が続くと体調も悪くなりますから……」

「そういうことだから水浴びしに行かない? この川の上流に、ちょっと水が溜まって池みたいになってるところがあったの」


 朝の間にしっかり偵察していたようだ。アイハが話に入ってきて、レノミアも頷く。倫太郎はそれは良いかもと思ったが直後嫌な予感もする。


「言っておくが、一人ずつだぞ」


 アイハはム〜っと頬を膨らませる。


「三人で一緒でいいじゃない。もう少し知り合ってからって言うけど、そういう交流をした方が仲良くなれると思ったのに」

「それは……そうだが」

「まあ、まあ……。私、お洗濯をしてきますね。水だけでも汚れを落とした方が良いですし。ええと……」


 レノミアが間に入るが、結局それは倫太郎に「脱げ」と言っているようなもの。レノミアは視線を彷徨わせた。


「……着替えてくるから、少し待ってくれ」


 倫太郎はなんとか理性を抑え込むことに成功し、洞窟へ戻った。


***


 洗濯をするレノミアについていく形で倫太郎も山の中へ。まさに雑木林といった風の、かつては人の手が入っていたであろう、天然ではなさそうな、一度開墾された後に荒れたような雰囲気。倫太郎も詳しいことは伝えられていないが、研究所が買い取る前には小さな集落もあったそうだ。そこを完全に潰して更地にした場所が、今彼らが住んでいる洞窟および畑にしようとしている平地である。

 アイハが言っていた池は、坂を少し登った場所にあった。滝というよりも沢と呼ぶべきか、そこから水がチョロチョロと流れ込んではしばし滞留するような場所で、それなりの水深もありそうだ。水は澄んで透き通り、覗き込むと小魚も泳いでいる。魚と一緒に水浴びかとぼやくと、レノミアはくすくす笑ってはその時はほんの少しだけ逃げていてもらいましょうね、なんて呑気に言っている。お淑やかなお嬢様風に見える彼女だが、強かな面も持ち合わせているようだ。

 彼女が洗濯をしている間に今夜の焚き火のための薪探しとしてあたりを見て回る。一度人が適当に拓いたらしい雑木林は中途半端な切り株や腐った階段、大きな石がゴロゴロしていて歩きづらい。乾いた枝をいくつか拾い、抱えて持ってレノミアと一緒に洞窟へ戻ると、アイハが長い蔓を引きずって歩いていた。洗濯物干しにいいと思ってと笑う彼女に気が利くなと伝え、三人で協力して木の間に蔓を渡して物干しを作り上げ、洗濯物を干す。畑に物干しに、徐々に文明らしくなっていく景色には倫太郎はゲームのような──やったことはほとんどないが──快感を覚えていた。


 その夜も川の字で就寝するわけだが、倫太郎が眠りについた後二人は起き出して、ある「作戦会議」をコソコソとし始める──


***


 体を弄られる感覚で目を覚ます。寝ぼけ眼をなんとか開くと、ぼんやりとだが体の上に茶髪が見える。彼女は倫太郎のズボンの前を開けて、朝の元気な姿をしっかりと握りしめていたのだ。それに加えて無意味に胸元を開き、あわや先端が見えそうな角度だ。

 慌てて腰を引っ込めると、あーあ起きちゃった、なんてアイハは残念そうだ。隣にいるレノミアも口に手を当てている。倫太郎はズボンのボタンを留めながら、なんと叱ってやろうかと頭を回したがレノミアがごめんなさい、と眉を下げる。


「アイハさんと相談して……、その、倫太郎さんが……」

「男かどうか確かめただけよ。実は女に欲情しないんじゃないかって心配になったんだもの」


 アイハは口を尖らせながら不満そうに言う。倫太郎は咳払いした。


「そうだったらこの実験に選ばれないだろ」

「だって全然手出してくれないんだもの」

「俺にも考えがあって……」


 レノミアが制止して、なんとか怒鳴らずに済む。深呼吸をしてから平静を装い、その場に正座した。その姿に驚いたような二人も思わずつられて正座して、奇妙な空気が流れる。


「わかった。真剣な話をしよう。つまり、俺の……その、繁殖計画、だが」


 倫太郎は至極冷静に話し始めるが、二人の顔をまともに見れないくらいにはまだ若い。確実にこの世界の女性の平均以上の容姿の二人、それも先ほどの誘惑のままにはだけた姿を前にして、直視する方が無茶というものだ。


「まずは二人のことを教えてほしい。その……、日齢と、ラビューナの妊娠について。俺もなんとなくしか聞いていないんだ」


 そう言うと二人は目配せし合い、レノミアが話しだす。


「私たちは生後1500日で繁殖可能になります。妊娠期間は平均で100日と聞いています。……私は今日で生後、1534日になります。肉になるまではあと4回は出産できる計算になりますね」


 前半は頷けた。普通の人間ならば1500日なんて4歳と少し。そんな年齢には全く見えないため、それだけ成長の早い特殊な人類であることが伺える。問題は後半だ。


「肉……」

「はい。私たちは、できるだけキの実によって肥育されることで、ヒトよりも美味しい肉に加工できるそうですよ」


 語るレノミアの表情と口調は、むしろ笑んでいるようにも見える。目の前にいるのはどう見ても人間だ、それを『肉』に加工する? 倫太郎はしばし黙り込んだ。


「あたしは1598日。今からなら4回できるけど、4回目は寿命ギリギリかも」


 倫太郎が黙っているのを良いことにアイハもそう自己紹介をする。そういうことだから、と言うが、飲み込むには時間がかかった。ラビューナたちはそうプログラムされている。人間から考えればとんでもないことを言っていることになるが、地球人類の繁栄のためには仕方がない存在なのだ。そう自分に言い聞かせ、倫太郎は頷いた。


「水浴びの話があっただろう。その……、"そういうこと"をするには、互いに清潔であった方がいいと思う。7日に一回外に出られるチャンスがある、だから……」


 慎重に言葉を紡ぐ倫太郎へと二人は期待するような視線を送る。頭を掻きながら倫太郎は答えた。


「俺もできるだけ清潔で万全の状態で。その時はその……、レノミアから」


 そう告げると二人とも驚いたような顔をした。アイハは眉を下げたが、倫太郎にはもう一つの思いがあった。


「お前たちの自尊感情のために、今日から一人ずつ、ちゃんと愛し合うことにする」


 じっとアイハを見つめると、彼女はじわじわと赤面する。


「ん。わかった」

「水やりの仕事を終えたら、一緒に水浴びに行こう」


 アイハは頷いた。そしてその夜から、彼女たちとの『夫婦生活』が始まるのだ。

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