*七章*王女と勇者と獣王
第35話:双刃の魔剣士
第八王子アルフレッドの語り。
地下の牢獄を後にしてしばらくの時がたった。
そろそろ彼女の心が壊れてしまっている頃だろうか。
あえて渋みの強い葡萄酒を煽り、脳裏によぎる苦々しい光景と感情を洗い流すように飲み干す。
「……君が、悪いんだ。恨んでくれるなよ」
末の妹であるアインをあんな目に合わせた事。それは多少なりとも僕の心に苦い思いを残していた。
だが、それも仕方のない事。僕がそうであったように、僕らの運命は生まれた瞬間から決まっている。
王子と言っても八番目に生まれ、平民の血が流れている僕の運命なんて取るに足らない中途半端な物でしかない。だからこそ、僕はその生まれに忠実な生き方を選んだ。
上に立てないのならば、上に立つ者の手足となればいい。
何もしなくても蔑まれるのならば、全てを諦め、甘んじて受け入れればいい。
第十王女アイン……彼女は目立ちすぎた。
出自は不明。
生まれてすぐ国王自ら〝王女〟としてどこからか連れてきた謎の子供。
見た事もない銀色の髪に、緋色の瞳。
当然のように彼女は忌み嫌われた。
ただ、それでも王女は王女。
大人しく現状を受け入れ、下手に才能などひけらかさず他の兄姉に使われていれば、平穏に〝女〟として生きられただろう。
「勇者召喚なんて、大それた事を成した君が悪い」
二杯目の葡萄酒を煽る。口の中に広がる濃厚な渋みが幾分か心の苦味を消してくれる。
僕は一人、貸し与えられている部屋の窓から外を眺め、残っているもう一つの仕事に意識を切り替えた。
「王女アインを可能な限り残虐に葬り、表向きは獣族が罪を被る。
王女を戦場へ送り込み果てには女性として辱められた失態を国王へと追求……小競り合いではなく、大義名分を掲げて内戦へと発展させ、国を内側と外側から一気に落とす。
そのためにはやはり勇者という存在には消えてもらうか、こちらへ寝返ってもらうしかない」
湖での戦闘を見ていた限り、勇者が相当な実力なのはわかっている。
あの鎌に変化する奇怪な少女の存在も厄介で不気味だ。
だから、念を入れて相応の戦力を残しては来た。
たった一人の人間に過剰な戦力である事は理解しているけれど、あれは危険な存在だ。
なんとしても消えてもらわなければならない。
「そろそろ、頃合いか……」
哀れな王女が陵辱の限りを尽くされ、その精神は崩壊しているに違いない。
だが〝あの方〟の癇に障ってしまった罪はこの程度で贖えるものでもない。
残酷だが、彼女にはその痛々しい状態を王都で群衆の前に晒し、盛大に禍根を残してもらう。
その後は、せめて僕の手で葬ってあげよう。
念のため、片腕と舌くらいは落としておいた方がいいだろうか。
仄暗い感情が心に満ちていくのを感じながら冷静に思考を切り替え、いつもの怯えたような表情を素顔に貼り付けた。
扉へと足を向けた瞬間、視界の端、窓の向こうに見える景色の中に違和感がチラついた。
「鳥? にしては大きいな。なんだアレは……」
ここからでは遠すぎて、その姿をしっかりと確認する事ができない。
考えすぎかと、意識から違和感を追い出し扉へと手を掛ける。
何やら喧騒が耳に入り僕は勢いよく扉を開けて外に出た。
「何事ですか?」
慌ただしく目の前をかけていく獣族の兵を引き留め事情を聞く。
「じゅ、獣王様が、歴代最強の〝前獣王様〟が、牢獄から出てこられたっ! なんでも、あんたのところの王女も一緒だそうだ」
「なんだって!?」
他国とはいえ、とても王族に語る口調とは思えない不敬な態度でその場から駆け出していく獣族兵の後ろ姿を見ながら、額に嫌な汗が流れるのを感じた。
彼らにとって〝獣王〟は絶対的な服従の対象、その客である僕に彼らがあんな態度を取る事は普段なら絶対にありえない。
「それほどまでの事態という事か……」
前獣王ビャクコ。
歴代最強の獣王と謳われるその実力は、数多の国家が何倍の兵力を集結させようとも〝獣の武力〟を手に入れる事が叶わなかった最たる理由。
彼らは小国でありながらどんな勢力にも与せず、孤高を貫いていた。
それは、単純に彼らの〝武力〟が秀でている事に他ならないが、その武力をまとめあげる〝獣王〟の存在があまりにも強靭であったからと言わざるを得ない。
〝獣の武力〟を得られれば、百万の騎兵に勝る。
他の国々にそこまで言わしめた彼らへ軍を差し向けるのはあまりに愚かな行為とも取れるが、前獣王ビャクコは『余に届く拳を持つ国ならばいくらでも手をかそう』と公言している。
これを聞いた国々は我先にと侵略行為をあの手この手で進めてきた。
その尽くを真正面から叩き落としてきたのが最強の獣王ビャクコ本人だ。
「——っち、このタイミングで厄介な! でも僕は、失敗するわけにいかない!!」
僕らの国も例に漏れず〝獣の武力〟を求めた。
僕らの国は〝魔族〟との戦争、その最前線に立たされている。
他の国々なんかよりも余程その力を欲していた。
そんな時、こちらに提案を持ちかけてきたのが〝現在の獣王〟にして
獣王の座を欲していたナコンダと僕たちは裏で協力し、獣王ビャクコを罠に嵌め、獣王を倒したものが次代の獣王となる彼らの慣しを利用してナコンダを獣王へと押し上げた。
勇者を襲った〝ラコブ〟は蛇竜族の者でナコンダから貸し与えられた右腕的な存在。
あの者であれば勇者のことは難なく処理できるはず。
それよりもこちらの方が今は問題だ。
「今ナコンダに死なれるのはまずいな」
これは僕のチャンスでもある。
〝汚れた平民の子供〟から〝使える駒〟になるためのチャンス。
そのために腕を磨き、屈辱に耐えながら生きてきた。
ギリっと奥歯を噛み鳴らす。
僕は僕の障害となる全てを打ち滅ぼすために、腰の双剣に手をかけて喧騒の中心へと向かっていった。
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