第32話:天才召喚魔術師とリヒト

 右手の鎌についた血を払いながら狂気の高笑いを浮かべる少女。

 その華奢な身体を捻るように跳躍し、両腕を失って唖然としている男の顔面を真横に蹴り抜いた。


「ぐっ——ふぉぁあ!」


 男はその場に踏ん張ることもできずに、吹っ飛ばされて牢屋の壁面にめり込む。


「い、いりな?」


「はっ! 情けねぇ声出してんじゃねぇ! 喰う価値もねぇゴミどもが!! 

  ウチの鎌でスライスしてやんよぉ!」


 動揺する男達。獰猛な笑みを浮かべた少女は血に植えた野獣のように、下劣な男達へと襲いかかる。


「な、なんだこのガキ! どっからわきやが——」

「と、とにかく武器だ! ふ、服くらいきさせ——」

「ほ、他の奴らもよんでこ——」


 男達が次々と一方的に蹂躙されていくのを私は唖然として見つめていると、不意に背後からふんわりと暖かい肌触りを感じた。


 泣きはらしてぼやけた視線を向けると、私の肩に羽織っていた外套をかけるリヒトの姿があった。


「り、リヒト? ——リヒトっ!!」


 私は、なにを考えることもなく自由の聞かない身体をよじってリヒトの胸へと飛び込んだ。


「おっと——大丈夫だったか? ? すまないな、遅くなって」


 リヒトは優しく私を抱きとめると、恐怖で竦んだ身体から震えを取り去るようにゆっくりと、柔らかに頭を撫でつけてくれた。


(嬢、悪かったな。我がもっと周囲の動きに感づいていれば、こんな思いをさせずにすんだと言うのに)


「コクライ!」


 私の肩に乗ったコクライは、小さな手でいたわる様に私の髪を透いた。


(——こんな物を年端もいかない娘につけおってっ!)


 コクライは怒りの形相で私の腕を背中で拘束している鎖を睨む。


 漆黒の電流が鎖に纏わり付き、私の皮膚に触れることなく鎖と手枷だけを焼き尽くすように消し去った。


 手の自由を取り戻した私は、心の赴くままに目の前で私を抱え込んでくれているリヒトへと手を伸ばす。


「ごめん、なさい。リヒト、ごめんなさい……私のせいで、ごめんなさい」


「やっと呼んでくれたな? 名前」


「ぇ? あ、うん……心の中ではいつも呼んでいたんだけど……その、あまり、馴れ合いすぎるのが怖くて」


 口に出してみて初めて気がつくこともある。


 確かに私は、自分で名前を決めておきながら一度も呼んだことがない。

 普通に考えれば、失礼極まりない。


「まあ、いいさ。それより遅くなってすまなかったな? 怪我はないか?」


 いまだに震えの残る私の肩を優しい手つきでリヒトは包みながら、穏やかに問いかけてくる。


 正直になろう。

 たとえ、この反応が〝契約〟による仮初のものであったとしても、私は今、心地いいと感じてしまっている。ずっとこのままで居たいとすら、思っている。


「うん、大丈夫……リヒト。あのね? 私、あなたに謝らなきゃいけない。こんな世界に巻き込んでおいて、とんでもない契約まで押し付けて。酷いことも沢山言って……」


 何より〝あの夢〟が本当なら。美咲——リヒトの大切な妹を追い込んだ。


〝篠崎エリカ〟の事とは別に、私が、私の弱さが、最終的にあの子を追い込んだ。



 私が死なせた——。



「いや、謝らないといけないのは俺の方だ。俺は、アインを……いや、姫神桜を試してしまった。

 妹——俺は、美咲、春野美咲の兄だ……って言っても血は繋がってないけどな」


 彼の言葉に私は一瞬目を見開くが、同時に〝やっぱり〟と納得し、おもむろに、私を抱き止めてくれている優しい手の平に眼を向ける。

 

 そこには、夢で見た通り細い刃物でつけられたような傷跡がくっきりと残っていた。


「ん? もっと驚くかと思ったんだけどな? とにかく、俺は自分の正体を君に隠したまま接してきた。それは君が——」

「ごめんなさい!!」


「?」


 彼が何かを言い終える前に、私は彼の腕の中から飛び退き地面に顔を伏した。


 私には、その腕の温もりに支えられる権利なんてない。


 大切な妹を死に追いやり、自分の保身のために今も彼の〝尊厳〟を踏みにじり続けている私には絶対にそんな資格なんてない。


「私が、私が美咲を追い込みました……あの子は、最後に私を頼ってくれたのに。

 私、怖くて——あの子を突き放して、友達だったのにっ! あの時、私が、自分じゃなくて、あの子を、勇気を出して、あの子の味方に、なっていれば!!」


 そう、友達だった。きっかけは好奇心……だけど、美咲との日々はとても、とても楽しかった。

 それ、なのに、それなのに私は。


「……君が、責任を感じる事じゃない、あいつは」


 わかっていた。

 彼が、そうやって私を庇うことは。

 だって、私が彼にそう言う〝契約〟を刻んでいるから……このままじゃダメだ。


 例えこの場で彼が正気に戻って私を見捨てたとしても、私は、それを、受け入れなきゃいけない。




 彼をこれ以上、私の自己都合で縛っちゃいけない。




「————っ」


 溢れる涙を強く袖で拭い、右手に〝解除〟の魔術式を展開しながら勢いよく彼の首元に手を伸ばした。


「——ぇ? ない? 従属の刻印が……消えて」


 瞠目する私の頭を包み込むように彼の優しい手が伸びる。再びその温もりが私を包み込んだ。


「イリナと会った日、すぐにあいつが無理やり解除したんだ。ただ、繋がり? パスってやつだけを君と俺の間にコクライが結び直してくれたから、こうして〝飛んで来られた〟まあ、実際アイツが言うほど俺の感情と考えにも変化は無かったけどな?」


 え——じゃあ、リヒトの行動も、言葉も、全部……本物? だったらなんで。


「なんで……私は、美咲を裏切ったのに」


「俺が試したのは、君が本当に〝姫神桜〟なのかという事実。本当に美咲のかどうか確かめるため」


「……親友?」


 彼の口から語られた言葉を私は茫然と反芻する事しかできなかった。


「ああ、実際名前を聞いた時は驚いた。外見も違うし、何より俺が〝召喚〟された時には近くに〝クソ女〟も一緒だったからな? 騙されている可能性とか色々ある事ないこと考えて、君を試してしまった……申し訳ない」


「そ、そんなことより。私は、美咲の親友なんて……名乗れません。そんな資格私に——」


 事実を受け入れられない子供のように首を振る私。

 リヒトは軽く嘆息した後穏やかに、遠い眼を向けて語りかける。


「あいつは、ビビリなくせに、変な所で頑固というか、不器用というか。

 以前から君の話は美咲から聞いていたんだ。

 紹介したい友達がいるって……あいつは、昔から人付き合いが苦手で、生い立ちとか、家柄の問題もあってあまり目立たないように生きていた。

 初めてだった。あいつが、自分から俺に〝友達〟を紹介したいなんて言い出したのは」


 懐かしむように語る彼の口調はとても穏やかで、慈愛に満ちていた。

 だから、余計に私はわからない。なんで、そんなに愛していた妹を追い詰めた私にそんな話をするのか。


「それでも……私は」


「日記を読んだ。あいつが、死ぬ、いや殺される直前に書いていた日記」


「——殺された?」


 ふと、夢の記憶が頭を過ぎる。確かに篠崎エリカと彼は、そのように言い合っていた。


「篠崎エリカ……あの、クソ女が美咲の前に、本当の標的にしていたのは君だ」


「え?」


「実際、あのクソ女は自分からイジメの種をわざと美咲の周りに撒いてあいつを孤立させ、自分へと執着させるのが目的だった。

 だが、君という存在が現れ、君を目障りに思ったあの女は裏でイジメている人間の意識を君に向けさせ、実際に襲わせた」


「————」


「思惑まではわかっていなかっただろうが、美咲も〝篠崎エリカ〟という原因に辿り着いていた。

 そして君が襲われ、責任を感じた美咲は自分なりに行動を……それが君の心を追い込むことになるなんて考えてもいなかったんだろう——ましてや、自分が殺されることになるなんて夢にも思っていなかっただろうな」


「——なんで、なんでそんな事……でも、結果的に私は!」


「実際のところは俺にもわからない。だが、これが最後の日記だ」


 リヒトは大切そうに一冊の可愛らしい手帳からあるページを開きながら私に差し出す。

 ゆっくりと受け取った私は震える視界を手帳へと落とす。


 そこには紛れもない美咲の文字が……声が聞こえてきそうな程、想いが溢れていた。

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