第2章 第1話

セレスティアは、城から引きずり出され、冷たい風が吹き抜ける荒野に立たされた。足元に続く石畳の道も、まもなく途切れ、広がる草原が見渡せる限りどこまでも続いている。彼女の目に映るのは、異世界の雄大な空と、遥か遠くに見える小さな村らしき集落のシルエットだった。


「ここが…私のこれからの場所なの?」


セレスティアは小さな声で呟き、胸いっぱいに異世界の空気を吸い込んだ。日本での日々はもう遠い記憶の彼方に感じられる。70年の人生を生きてきた記憶が彼女を包んでいるものの、今やこの若々しい体がそれをかき消していくかのようだった。肌は瑞々しく、動作も軽やかで、まるで70代の老体だった頃の自分を全く別の存在のように思えてしまう。


「この軽さ…本当に私なの?」


彼女は手を握ったり開いたりして、その感触に驚きを隠せなかった。手のしわは消え、関節痛もない。すっかり若返った体は、まるで別の人間になったように動いている。けれども、心はまだ70歳のおばあちゃんのままだった。長い人生で培った知恵と経験が、今の自分にとって唯一の拠り所になっていた。


「まずは、あの村に行ってみよう」


彼女は心の中でそう決意し、ゆっくりと歩き始めた。足元はしっかりしており、歩くたびに感じる軽さが彼女を不思議な感覚に誘う。けれども、この異世界で自分がどう生きていくべきか、何もわからない。日本で過ごした老後の知恵がこの異世界で役に立つのかどうかすら、全く見当がつかなかった。


村に到着すると、それは思った以上に小さな集落だった。まばらに立ち並ぶ家々は、どれも古びた木造で、所々に瓦が欠けた屋根が見える。道を行き交う人々は、彼女にほとんど注意を払うことなく、忙しそうに自分の生活を続けていた。村は静かで落ち着いていたが、どこか寂しさが漂っている。


セレスティアは、自分が異世界にいることを改めて実感した。見慣れない異世界の建物、そして村人たちの格好。服は質素な麻布でできており、どの人も生活の厳しさを物語るかのように疲れた表情をしていた。だが、彼女が驚いたのは、その村人たちが彼女に特別な関心を持たないことだった。


「私、若返ったんじゃなかったのかしら?」


彼女は自分の姿が奇妙に思われないことに少し戸惑いながらも、村を歩き続けた。人々の様子は忙しそうで、彼女が異世界からやって来たことや、その若く美しい姿について気に留める者はいない。もしかすると、この世界ではこうした美しい容姿が当たり前なのかもしれない、と彼女は思った。


しばらく歩いていると、突然、年配の女性の声が彼女にかけられた。


「そこのお嬢さん、大丈夫かい?」


振り返ると、そこには穏やかで優しい目をした年配の女性が立っていた。彼女は村で小さな雑貨店を営んでいるらしく、少し埃をかぶったエプロンをつけていた。その顔には、母親のような温かさが漂っていた。


「少し疲れているみたいね。うちで一息ついたらどう?」


「ありがとうございます…」


セレスティアは礼を言い、女性の後について店へと入った。


店内は狭く、しかし温かさを感じさせる空間だった。小さなカウンターの上には、さまざまな日用品が並べられ、壁には手作りと思われる布のカーテンが掛けられている。店の中は決して豪華ではないが、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。


「ここに座って。さ、暖かいお茶をどうぞ」


女性は木の椅子を勧め、セレスティアに熱いお茶を差し出した。セレスティアはその香りに少し安心し、カップを手に取った。お茶は少し苦味があり、彼女が日本で飲んでいた緑茶とは違うものだったが、それでもその温かさに心がほぐれていくのを感じた。


「お嬢さん、どこから来たんだい?」


女性は優しく問いかけた。セレスティアは少し戸惑いながらも、正直に答えようとした。しかし、自分が異世界から来たという事実をどう説明すればいいのか、頭の中で整理がつかない。


「私は…よく分からないんです。気がついたら、ここにいて…」


女性は少し驚いたような表情を浮かべたが、それ以上は何も聞かず、にっこりと微笑んだ。


「そうかい。よく分からないっていうのも、たまにあることさ。何か大変なことでもあったのかい?」

年配の女性は、彼女が答えにくいと感じている様子を察してか、それ以上深くは聞かず、少し間をおいて優しく話しかけてきた。その気遣いに、セレスティアは少し安心した。


セレスティアはこの異世界での自分の立ち位置や、今後どうするべきかの不安でいっぱいだった。まだ自分が追放されている立場であることや、反逆者という重い罪状を背負っていることが頭から離れない。それでも、この年配の女性の優しさが、彼女の緊張を少しずつ和らげていく。


「村には、しばらく滞在するのかい?それとも、ここを通り過ぎるだけ?」


女性はお茶を飲みながら、セレスティアに尋ねた。彼女はしばらくの間、自分が今いる状況について考えていたが、何も決められないままだった。


「しばらくここにいるかもしれません。今は、どこに行けばいいのか分からなくて…」


セレスティアは正直に答えた。新しい世界に来たばかりの彼女にとって、村が唯一の安全な場所であると感じていた。70歳のおばあちゃんの経験はあるが、この若い体でどのように生きていけばよいのか、まだその方法が分からなかった。


「大変だろうけど、村の人たちはみんな親切だから安心してね。もし何か困ったことがあれば、いつでも声をかけなさいな」


女性は穏やかに微笑み、セレスティアにとって、この場所が少しずつ居心地の良い場所に変わり始めていることを感じさせた。

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