第31話 暖かくなっていく世界で

 会社と家を往復するだけの毎日で、ただ生きるためだけに食事をして、休みの日は予定もなく疲れを取るためだけに過ごしてきた灰色の日々。

 そんな俺の世界は、吉川よしかわ初玖はつきとの再会で、光と潤いを取り戻していった。


「ねえ、羽山。今日はどこに行く?」

「週末だし、お酒飲んでもいいかもな」

「じゃあ、今日はお酒が美味しい店探してみる?」

「それならさ、気になってたダイニングバーがあるんだよ」

「なら、今日はそこに行こうよ」


 吉川は詳しく聞かずとも、二つ返事で頷いてくれる。そういう些細なところに、吉川からの信頼を感じることができる。

 そして、並んで歩き始め、いつものように、今までのように、昔から変わらないテンポと空気感で他愛のない雑談をし始める。

 学生時代にしていた授業がだるい、今日も一日疲れたという愚痴が、仕事に置き換わった。

 共通の友達の話題や、唐突に始まる思い出話は積み重ねた年月だけ増えていった。

 同じ話を何度しても、何度でも同じように笑い、共感しあうことができる。


 そうやって、吉川は俺を明るい世界へと引っ張り出した。


 毎日の仕事も、これが終われば吉川に会えると思うと頑張れた。

 休みの日には、吉川と一緒に街をぶらついて、買い物に付き合わされたりした。わざわざ行列のできる店に行ったり、映画を観に行くこともあった。

 雨で外に出たくない日は、一人暮らしの俺の部屋に吉川が来て、美味しい料理を作ってくれたり、スポーツ観戦をしたり、ネットで映画やドラマを見た。

 吉川は幼い頃から親の手伝いをよくしていたらしく、作ってくれる料理はいつも美味しかった。

 元運動部だったから、スポーツ観戦も最低限ルールが分かったうえで一緒に楽しんでくれる。

 幼馴染で付き合いも長く、気を遣わなくてもいい関係で、お互いに大人になって落ち着いたからか、何もしていない時間ですら心地よかった。

 ソファーに並んで座って各々好きなことをしている時間も、窓を叩く雨音に耳をすませお互いの息遣いに存在を意識してしまうことも、会話が途切れている沈黙さえも、吉川となら自然に共有でき、享受できる。


「で、悠。最近の調子はどうよ?」

「絶妙にうざい聞き方してくんな、健太」

「はははっ!! 健太と悠のそのやり取り久しぶりに聞いた」

「そういう、拓也はゲームの腕なまりすぎ」

「だよな。じゃあ、今度は拓也抜きでやるか」

「悪かったって」


 吉川を通じて、また健太たち地元の仲がよかった友達たちとの交流も再開した。

 それぞれに仕事があり、拓也は地元ではない場所に就職したので、主にオンラインで一緒にゲームをしながら、昔と同じようにバカ話をするだけ。

 たまに、学生時代のときのように横沢や高山も含めて、グループ通話をして、話し始めれば、ノリも空気感も学生時代そのままでただ楽しくて笑い合った。


「で、羽山。初玖とはどうなの?」

「羽山と初玖がいい感じなのは、初玖から聞いてるんだからね」


 横沢と高山の息の合った追及も懐かしくて。


「えっ? 吉川さんと悠って、そういう感じなの?」

「拓也、察し悪すぎ。吉川の悠発見報告以降のLINEとかでの雰囲気、分かりやすく変わってたじゃん」

「気付かなかった……」


 健太と拓也のやり取りも、それを聞いてゲラゲラと笑う高山と横沢の笑い声も以前のまま変わらない。


「ねえ、羽山! どうなのか教えてよ?」


 高山の言葉にみんなの注意が俺に集まった。誰かの息をのむ音が聞こえる。

 そんな興味と緊張感の混じる空気に、居心地の悪さは感じない。


「先月から付き合ってるよ」


 俺のその一言にみんなは、わっと湧いた。


「やっぱそうだったんだな、悠。吉川もおめでとう」

「初玖、おめでとう。本当によかったね」


 健太と高山が最初に反応した。


「いいなあ。まじで羨ましいよ。俺も恋人欲しいよ」

「増田は結局、彩佳に振られちゃったもんね」

「今、ここでそれを言うことないだろっ!!」


 拓也と横沢がやり合って、また一段と楽しそうな笑い声が響く。


「本当によかったね、初玖。ずっと羽山が好きって言ってたもんね。想いが叶って、私もすごい嬉しい」

「あっ、玲奈、泣きそうになってる」

「いいじゃん。私、初玖のこと大好きだもん。初玖だけじゃなくて、みんなのことまじで好きだからさ、また前みたいにこうやって話してるのも、嬉しいんだって」


 横沢の涙声に、高山の方からも鼻をすするような音が混じる。


「玲奈もみんなもありがとう。私、今、幸せだから」


 吉川がひと際明るい声で、そう口にする。

 今は音声だけの通話で顔が見えないけれど、きっと今、吉川が今までで見たことがないような素敵な笑顔をしているんだろうと、全員が声から表情を思い浮かべただろう。

 俺はその表情を一足先に見ている。

 だから、その顔を思い出して、口元が緩んでしまっている。


 再会してからずっと、吉川の優しさや想いに救われてきた。

 そして、今、ひとつの幸せの形を手にすることができた。

 それは、大学生時代に、どれだけ望んでも探しても手に入れることができなかったもの――。

 自分のものではない温もりに安らぎを感じることができる。

 触れ合うことで、幸福感を得ることができる。

 そこには、不快感も違和感も嫌悪感もない。 

 当たり前の恋人としての時間と距離感に、人並みの幸せを手にすることができたという喜びに心は満たされていた。


 高校の修学旅行で、偶然にも吉川の気持ちを知ってしまっていた。

 それ以前から、かつての自分は吉川と距離を取ろうとしていた。

 そうする理由も、そうしなければならなかった理由も、今の自分には理解できない。

 吉川とは、相性というものがよかった。

 距離感や価値観だけでなく、こうして欲しいとこうしてあげたいが一致する。

 もっと早くから付き合っていれば、世界は変わっていたとさえ思う。

 高校生で付き合っていれば、同じ大学に行き、学生時代から同棲をして、就職を機に結婚していたかもしれない。

 平穏で幸せに満ちた未来が、現在いまがあったかもしれないと想像できた。


 それなのに、吉川に強く惹かれていくほど、幸せを感じるほどに苦しさを感じてしまうのは何故だろうか――。

 自分でも分からない感情の揺れに、心の中にかかっているもやが揺らぎ始めた――――。

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