第13話 ネビュラ

「修繕にいくらかかるとお思いで? 外でじっくりお話しをお伺いしましょうか」

「いいや? その必要は無いよ」


 音もなく。

 頭上の板の隙間から生暖かい液体が落ちてきて僕の頬を濡らした。


「……?」

 手でそれを拭う。漏れる明かりに手を翳す。



 ──血だ。



「がっ……は……!!」

「ボクはねぇ。とっても短気なんだよ。だから決めたんだ」


 シスター・ナイトレイが腹部を串刺しにされている。彼女の赤い血の雨が僕や子供たちに降り注ぐ。


「ミ・ナ・ゴ・ロ・シ」

 囁きだったはずのその言葉は、僕たちの耳にハッキリと聞こえた。



 一瞬の隙に、アンリが僕の手を振り払って地下室から飛び出す。



「──ア、」

 僕はアンリを追おうとした。

 したのだが、脚に力が入らず床に膝をついた。何度も立ち上がろうとするが、立ち上がれない。


(馬鹿、馬鹿! どうして動かないんだよ!)

 血に塗れた爪先で、太腿へと爪を立てる。


 動けない理由など分かりきっていた。

 恐怖が僕をここへ縛り付けているのだ。


(動け! ……動けっ!)

 爪は太腿の皮膚を突き破り、中から鮮血が溢れ出す。その痛みでようやく僕は立ち上がることが出来た。


(アンリを追わなきゃ!)

 膝が震えて、よろめきながらも地下室から出て食堂へ向かう。


 食堂への入り口までフラフラと歩くと、中から声が聞こえた。


「アンタの目的は私でしょう!」

 アンリが叫んでいる。


「おやおや、おやおやおや! ご機嫌麗しゅうございますねぇ! アンナマリィ!」

 男は上機嫌だ。


「国を失った時、その名は捨てた!」

「ほほう? それでは貴女のお名前を教えて頂けますかねぇ?」


「私は……アンリ。アンリ・セントマリィだ!」

 叫びながら、アンリは腰に差していた短剣を抜き、男へと突っ込んでいく。


 男はそれを軽くいなす。アンリも体を反転させ、その勢いでさらに追撃する。しかし全ての攻撃が男の剣によって弾かれてしまう。


 男がアンリに足を引っ掛ける。アンリは大きく体勢を崩して床に転がった。


「戦火から逃げおおせ、穏やかな時間を過ごせて幸せだったでしょう」

「く……」

「しかしそれも、今日この時まで」

 男は剣を頭上へと振り上げる。


「さようなら。アンナマリィ。……いえ、アンリ・セントマリィ!」


「アンリ!」

 咄嗟に突き出した手のひらから、アッカが飛び出した。炎はアンリを斬り伏せようとする男の腕に巻き付き、焦がす。


「ぐゥ……!?」

 男の手から剣が弾き落とされ、床に突き刺さる。


「ネビュラ様!」

 帝国軍の兵士たちが男に駆け寄り、腕の炎を消そうとする。


「邪魔だ! ボクに寄るんじゃない!」

 兵士たちを振り払った後、腕に水の魔素を集中させて炎を消火した。ネビュラと呼ばれた男は僕を睨めつけて、それから鼻で笑った。


「なんだ……。ただのガキじゃないか。それに今のは初級魔法かい? 随分ナメられたものだね」

 倒れ込んでいるアンリを庇うように、僕は男の前に立ち塞がる。


「アンリ、大丈夫?」

「キミ、どうして……」

 アンリが僕を見つめる。


「だって、僕のこと友達って言ってくれたじゃないか」

「!」

「友達が困っていたら助ける。そうだよね?」

「グレイ……」

 アンリは笑って、再び立ち上がる。


「あ~。そういうの、ボクが一番嫌いなやつだねぇ。虫酸が走るよ」

「あんた、友達居なそうだものね」

「はははっ! そんな言葉で冷静さを欠くような人間に見えるかい?」

 笑いながら床に刺さっていた剣を抜いて、付着していた血を払って落とす。男はそばに倒れ込んでいたシスター・ナイトレイの髪を鷲掴みにして持ち上げた。シスター・ナイトレイの顔は苦悶に歪んでいるが、まだ生きているようだ。小さく呻き声をあげている。


 シスター・ナイトレイを助けなければ!

 もう一度アッカを放とうと手をかざそうとした時だった。


「おっと。それ以上動くんじゃない。この女の首を刎ねても良いのかい」

 刃がシスター・ナイトレイの首筋に当てられてしまう。僕とアンリは少しも動けなくなってしまった。


「ネビュラ……」

「お前たち。孤児院の中をくまなく調べろ」

「!!」


 子供たちが……!

 すぐ下に隠れている子供たちの様子が気になって視線をそちらに送ってしまう。


「おやおや。そんなにあからさまに表情に出るようではダメじゃないか、坊や。……おい。地下だ」

 ネビュラの命令に、すぐさま兵士たちが地下へと繋がる部屋へ駆けていく。


 それを阻むことも叶わず、僕とアンリは兵士に腕を掴まれて孤児院の外へと連れ出された。

 地面に両膝をつかされる。村は炎の海と化していた。黒煙があちこちから空へと登っていて、いつも夜空に浮かんでいる星々は見えない。


「ネビュラ様! これで全員のようです」

 子供たちが兵士に連れられて、僕らの前にやって来た。みんなは僕とアンリに向かい合うように膝をつかされて震えている。


「子供たちに罪はないでしょう!? 離しなさい!」

「うん? いいや。地上に生まれた人間はみな罪を背負って生まれて来たんだから、彼も彼女も罪人だろう?」

 ネビュラは、子供たちの肩に手を置いて顔を覗き込む。


「逆賊め、動くな!」

 アンリが立ちあがろうとしたが、後ろにいる兵士の剣が首筋に当たる。

 ダメだ。このままではみんなを助けられない。


 子供たちはそれでも、僕とアンリがなんとかしてくれるはずだと信じている目を向けてくる。

 何か策はないかと必死に思考を巡らせる。


「それじゃあ、楽しい斬首ショーの始まりだ!」

 ネビュラが腕を広げて、声高にそう告げる。

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