第11話 穏やかな時
アンリが路地裏にやって来たあと、僕の異変に気付いてすぐに孤児院へと戻った。シスター・ナイトレイに回復呪文を唱えてもらって、多少は気力が戻ったけれど、僕は与えられた部屋のベッドに横になっていた。
カルマと名乗る男から与えられたグリモアは、部屋の机の上に置いてある。
なるべく視界に入れたくなくて、机の方向に背を向けてじっとしていた。
先程から僕は薄暗い部屋の壁を凝視しながら、ひたすら思考を巡らせている。
カルマが言った『僕と混ざった一部』とは一体何なのかを。
僕は誰かに愛されたいと願っている。
けれど、僕の出自の謎が明らかになった時、その願いは叶わぬものになるだろうと感じていた。
僕、いや、グレイの一部が本当にカルマと知り合いだとすれば、それが善良な存在である確率は果てしなくゼロに近いはずだ。
カルマという男が、見るからにただの善良な人間ではなかったからだ。接触してからずっと嫌な気配が身に染み付いている感覚がする。
こういう時、血の匂いがするとか、死の気配がするなどと表現するのだろうか。
僕は、この世界ですら、なりたい自分になれないのか。
涙が溢れてきて、枕に顔を埋める。
「グーレイ」
突然、部屋の扉が開いた。見なくても分かる。アンリだ。部屋の明かりが付けられる。
「ノックぐらいしてよ」
より一層、枕に顔を押し付けながら注意する。
「そういえば、男の子だもんね」
「……そういえばって何。ていうか何を考えての発言なのさ」
アンリが近寄ってくる気配がする。
「ごめんごめん。……泣くほどのこと!?」
僕が泣いていることに気付いたアンリは何度も謝ってきた。顔を覗き込もうとするので、僕は完全にうつ伏せになってそれを阻止する。
「アンリのせいで泣いてるわけじゃないんだ」
「あ、そう……?」
沈黙が流れる。
「路地裏で何があったの」
聞かれると思った。そりゃ、そうだよね。スルーするわけがない。
「……変な人に遭遇したんだよ」
「えっ!? 何かされたわけ!?」
「アンリが考えてるようなことはされなかった」
「わ、私が考えてるようなことって……何よ」
途端にしどろもどろになる。
「アンリのスケベ」
「そういうキミの方こそスケベなんじゃないの!?」
彼女をからかうのは楽しい。少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「黒いローブの男でね。そこの本を渡してきたんだ」
体を起こした僕は、机の上のグリモアを指差す。
「これ?」
「触っちゃダメだ!」
グリモアに触れようとするアンリの背中に叫ぶ。彼女は肩を大きく跳ねさせて、こちらを見る。
「ビックリした」
「ごめん。でもほら、変な人からの贈り物でしょ。触らない方が良いに決まってる」
「なんなら捨てちゃったら?」
そうか。そういう選択肢もある。けど、カルマが『時に君を傷付ける』とも言っていたことを思い出す。呪いの人形みたいに捨てても捨てても戻って来る……その程度ならば可愛いものだけど、何が起こるか分からない以上はそっとしておくに越したことはない。
「やけに古ぼけた本ねぇ。グリモアみたいだけど……」
「グリモアを知っているの?」
「そりゃそうよ。魔術士は大抵、ロッドやワンド、グリモアを使うから」
グリモアって固有名詞じゃないのか。
「そういうものなんだね」
……あれ?
「シスター・ナイトレイはそういった道具がなくても魔法が使えるよね。何故なの?」
「あの人は鍛錬を積んでいるもの」
そう言うアンリはどこか遠くを見ている。シスター・ナイトレイについて深掘りするのはやめたほうがいいのだろうか。
「じゃあ、僕に道具を持つことを勧めなかった理由は?」
「魔法の素質があるから、なんじゃないの?」
さあ? といった感じで首を振られる。
この質問はシスター・ナイトレイに直接聞いてみようかな。
「ところで、何か用事があったの?」
「そろそろ元気になったかなと思ってさ。シスターも子供たちも、キミのこと心配してたよ」
みんなが僕のことを心配してくれていた?
「お〜い、グレイくん?」
顔を覗き込まれて、現実に戻って来る。
「……あ、うん。ありがとう」
そんなふうに思ってもらえるなんて考えていなかったから、少し呆けてしまったのだ。
食堂へ向かうと、子供達が一斉に僕に抱き着いてきた。ハンナには泣いていたことを見抜かれて、頭を撫でられた。女の子というのは鋭いのだろうか。流石に自分よりも歳下の子にそういう風にされるのは恥ずかしかった。
「グレイ。少しは顔色が良くなって良かったわ」
シスター・ナイトレイにお礼を言うと、席へ着くように言われた。
いつも通り、僕はアンリの前の席に座る。みんなが席に着くと、シスターのお祈りの言葉を同じように繰り返して、食事を始める。
今日から数日間、村の祭りだからだろうか。食事がいつもより豪華だ。
「ねぇ、グレイお兄ちゃん。明日、元気だったら一緒にお祭りに行こうね」
ハンナが僕の服の袖を引っ張ってそう言った。勿論と頷くと、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ずるい! おれも!」
「あたしも〜!」
みんながそう言い出して、食堂内は軽くパニックだ。シスター・ナイトレイに怒られるかと思ったが、彼女は笑顔で僕たちを見つめている。
「アンリ〜……」
助けを求める視線を送る。
「良いじゃない。みんなで行こうよ。明日が楽しみだね、グレイ」
そう笑顔を向けられては、断ることなど出来ない。明日は大変なことになりそうだ。
そして、食事を再開しようとした時だった。
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