第10話 カルマ

 僕の出自について……!?

 この人、何か知っていそうだ。あの屋敷の白骨死体の知り合いだろうか?


「一体、何が目的なんです?」

 目の前の男に問う。自分でも驚くほどに冷たい声音だった。


「おや……。そう警戒しないでください。私は君の敵ではありません」

 口まで覆われたローブを着た男は、赤い目を細めてそう言う。

 祭りの喧騒も、今の僕の耳には届かない。


 僕はいつでもアッカを放てるように手をかざす。


「僕はあなたの名前も顔も知らないんですよ。信用なんか出来ない」

 毅然とした態度をとる。怖がっていることを気取られてはならない。


「……」

 男はふっと笑って、顔を晒す。手入れされた銀髪と気品のある顔が、男の位の高さを物語る。


「申し遅れました。私はカルマ」

 カルマは胸に手を当てて頭を下げる。


「……それで? それが本名かどうかもわからないでしょう。あなたが僕に接触してきた理由は何ですか?」

 僕の態度に、カルマは苛立ちもせずに微笑んでいる。


「君とは……そうですね。古い友人のようなものです」

「僕はあなたなんか知らない」

「いや、君そのものではなく、君に混ざってしまった一部と……という方が正しいでしょうか」

「混ざってしまった……?」


 カルマのその一言で、なんとなく嫌な予感がした。

 あの屋敷の地下で……『僕』が錬成されたのではなく、錬成された『何か』と『僕』が混ざってしまったのだとしたら?


「それで、『僕』にご用ですか? ……それとも『別の誰か』に?」


「君は聡い人だ。もう想像がついているのですね」

 カルマは嬉しそうだ。


「質問に答えてください」

 手のひらに体内の魔力を集中させる。


「初級炎魔法ですか。キミほどのお方がまだそれだけの力しか取り戻して居ないとは」

 嘆かわしい、とカルマが呟く。


「……いい加減にっ!」

 手のひらを中心に魔素が集まり、炎が生まれる。詠唱を終えれば今すぐにでもこの男を焼き払える。


 ──しかし。


「争いに来たのではありません」

 一瞬のうちに目の前にカルマが現れて僕の手首を掴んだ。驚く間もなく、僕はへたり込んでしまう。全く力が入らない。指先の一本すら、動かせない。


「な、にを……?」

 声も上手く出せないでいる僕を見下ろしている男の表情は、穏やかなものだ。


「ご安心を。少し力を頂いたまでです」


 カルマの意図が一切わからない。


 僕と混ざった『別の誰か』が彼の目的だとするならば、ここで僕を殺すこともないだろう。しかし、攫いに来たとも思えなかった。だって、そうだとしたらわざわざ自己紹介などする必要が無いからだ。


「君にこれを渡しに来たのです」

「……?」

 カルマが差し出したのは、古い本だった。僕はその本を目視して、急いで口を押さえた。吐き気がした。視界がグラグラと揺れる。感じたことの無いほどの力に当てられたからだ。

 禍々しいというのは、こういうものを言うのだろう。


「今の君には慣れが必要かもしれませんね。しかし、このグリモアは元来、君の物だ」

「こんなの、いらない!」

 必死にそう告げる。


「困ります。私とて、持っているだけで精一杯なのですから……」

 顔色一つ変えていないと思っていたカルマの手を見ると、微かに震えている。冗談ではないように思えた。


 カルマはしゃがみ込み、座り込んでいる僕の膝の上にその本を置いた。


「このグリモアは、時に君を傷付けることもあるでしょう。しかし、最大の武器にもなり得ます」

 目の前の赤と視線が絡まる。逸らさなかったのではない。逸らせなかったのだ。


「グレイ〜?」

 近くからアンリの声がする。


「アンリ! 来ちゃダメだ!」

 僕は振り向いて、力の限り叫んだ。しかし、アンリが僕を見てこちらへ駆け寄ってくる。


「グレイ、キミ……」

 アンリは僕の向こう側を見る。


「アンリ」

 逃げて。そう言いかけた時──。


「キミ……。こんなところで一人で何やってるの?」


 一人?

 ……振り向けば、カルマも怪しげな店も何一つそこには存在しなかった。白昼夢のように消え去っていたのだ。


 ただ一つ、僕の膝の上に『グリモア』だけが残っていた。

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