第8話 初級炎魔法アッカ
「炎の息吹よ、我が指先に宿り、瞬きの間に燃え上がれ。アッカ!」
ボシュウ、と気の抜けた音がして瞬く間に炎が消えた。前に突き出していた手をダランと下げて、僕は肩を落とす。
「……ねぇ。本当に僕に魔法の素質があると思う?」
階段に座って頬杖をついているアンリに問う。
「さあねぇ」
私には魔法の素質無いからよくわかんないや、とアンリが他人事のように言う。
村の外れにある木人を相手に、シスター・ナイトレイから教わった詠唱を何度も唱えているが、全て不発に終わっている。昼過ぎから初めて、もう陽が沈みかけているが、コツを掴めた感じすら一切ない。
炎が一瞬出る時もあれば、全く出ない時もあり、その違いが何なのかわからないのだ。
「僕、才能ないよ」
「ちょっと……たった一日出来なかったくらいで諦めるつもり? それでも男の子?」
「そういう発言、今の時代よくないんじゃないかな」
「そうやって逃げる理由ばかり探すの良くないわよ」
「……」
僕は図星を突かれて押し黙った。でもさ、出来ないものは出来ないよ、そう言いたかったが多分普通に説教されるので言わないでいる。
「千里の道も一歩からってやつよ、グレイ。偉大なる大魔術師のタバサ様だって、最初はアッカすら使えなかったそうよ。今のキミと一緒!」
「……タバサ様?」
「あ、そうか。記憶喪失だからわかんないよね……。偉大なる勇者王と共に旅をして魔王を打ち倒したとされる仲間の一人、大魔術師タバサ。まぁ、この国の伝説、もしくは御伽話みたいなものよ」
「へぇ。詳しく聞かせてよ」
ちょっと気になるな、その話。正直今の僕はアッカ習得の特訓に非常に飽きていたので、御伽話の方が魅力的だった。
「手を休めないの。さあ、詠唱して!」
「うう……」
僕が休もうとしているのを看過せず、アンリが指示を飛ばす。少しくらい休んだって良いじゃないかという気持ちが芽生えていた。しかし、孤児院に住むためには何かしら役に立たなければいけないため、早々にアッカを習得してツノウサギくらいは狩れるようにならなければ……。シスター・ナイトレイが怒ったところを見たことはないが、アンリの今朝の慌てようからして、すごく怖いに違いない。僕は怒られることが苦手なので、なるべく上手く立ち回ろうと心に決めていた。
深呼吸をする。体の内側へと集中する。内側から炎を生み出す気持ちで……。
「炎の息吹よ、我が指先に宿り、瞬きの間に燃え上がれ。アッカ!」
ボシュウウウウウ。炎は球になりきれずに消滅した。
「はぁあああぁぁぁ……」
今日最大のため息をついたところで、膝をついてしまった。アンリ曰く、魔力切れだそうだ。
特訓は終了になった。
「やっぱりさ、実戦じゃないからダメなのよ」
スプーンで宙を差しながら、アンリが言う。
今日の夕飯はスロウボアの肉と野菜を煮込んだスープと硬めのパンだ。
「明日は森へ行ってツノウサギを狩る。分かった?」
「はい……」
アンリだって魔法を使えないのに、何故か僕に厳しい。使えないから厳しいのか? ……真意はよくわからない。
*
「炎の息吹よ、我が指先に宿り、瞬きの間に燃え上がれ。アッカ!」
ツノウサギに向けて、アッカを放とうとしたが失敗に終わる。
鋭く尖ったツノを向けて、ツノウサギが僕に向かって突進してきた!
可愛い見た目とは裏腹に、確実に僕を仕留めようとするその眼光は鋭い。
「はっ!」
ギリギリのところでアンリがナイフを投げてツノウサギを絶命させる。僕のすぐ目の前でぐったりと倒れ込むそれを見て、心臓がバクバクと音を立てた。口から心臓が飛び出そうだ。僕はへたり込んだ。
「戦いは遊びじゃないよ。本気でやりな」
アンリが言う。
それでアンリは厳しかったのか。
魔法を使うこと。……それは命の奪い合いをすることに繋がる。
確かに僕は、どこか夢の中にいるような気分でいた。
この世界は夢の世界で、目が覚めれば元の世界に戻るんじゃないかと、そう思っているところがあった。
けれど違うんだ。この世界はもはや僕にとって現実なのだ。怪我をすれば痛いし、死ねば本当に今回で最期かもしれないわけだ。
「ほら、立って。今日はもう帰ろう」
頷いて、アンリの手を取ろうとした時だった。
森の奥から巨大な魔物が現れたのだ。
「……ビッグベア!?」
涎をダラダラと垂らし、巨体を揺さぶりながら僕らへと寄ってくる。そして立ち上がり、吠えた。
「グアアアアア!!」
低い声が森の木々を揺らす。鳥達は空へ飛び立って逃げていく。
アンリに引っ張り上げられて、僕はなんとか立ち上がった。
自分の倍以上ある巨躯、飢えた眼光。
膝がガクガクと震えて、上手く立つことが出来ない。
「グレイ、しっかりして! 逃げるよ!」
アンリに手を引かれて、森の中を走る。しかし僕らを逃しはしないと、ビッグベアは木々を薙ぎ倒しながら追ってくる。
「このままじゃ……!」
僕は恐怖で涙を流していた。
「諦めるな!」
アンリが叫ぶ。ナイフをビッグベア目掛けて投げるが、毛皮に弾き返される。
舌打ちをしたアンリは、突然立ち止まった。
「アンリ!?」
「グレイ、アッカよ!」
この状況で、僕にアッカを唱えろというのだ。
「む、無理……」
「無理じゃない! このまま死んでもいいの!?」
ビッグベアは立ち上がった。その巨体は今の僕にとっては高層ビルのように見える。
「絶対に出来る! 私のこと信じて!」
「……っ!!」
アンリの一言で僕は決心した。
「炎の息吹よ、我が指先に宿り、瞬きの間に燃え上がれ。アッカ!」
僕の手のひらから生まれた炎は球体となり、ビッグベア目掛けて飛び出した。
炎に巻かれたビッグベアは叫び声をあげて、鋭い爪のついた手を振り回して炎から逃げようとする。しかし炎は蛇のように巻きついて、離れない。次第に藻掻く動きが弱まって、ビッグベアは大きな音を立てて地面に突っ伏した。
「や……!」
「やったじゃない! グレイ!」
キャー! と叫びながら喜ぶアンリに抱き締められる。丁度顔が胸に当たっていて、非常に恥ずかしい。アンリは恥ずかしくないのだろうか。
「このまま死んでたらキミのこと恨むところだった!」
「えっ!?」
とんでもない発言をするアンリ。良かった、うまくいって……。
「それで!? 何かコツは掴めたの!?」
キラキラと目を輝かせているアンリは純粋な少女に見えた。僕より歳上なのに。
「いや、それが……。必死だったから何も覚えてなくて……」
「なんでよっ!!!」
森中にアンリのツッコミが響き渡った。
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