第3話 グレイ

 翌朝、僕は灰の鐘の音で目を覚まし、それから街の中を散策していた。あの鐘といい、地下の培養槽といい、街には人が居ないというのにどうやって動いているのか見当もつかない。電気のようなエネルギーだって、人が管理しないと使えないわけで。超自然的な何かが存在するのかもしれない。ドラゴンだって存在したわけだし。例えば……魔法や精霊のようなもの?


 それにしても……。


「足が痛い……」

 服は手に入れたものの靴が無かった僕は、足の痛みに顔を顰めた。この世界にも靴屋は存在しているのだろうか。とりあえず看板の掛かった建物を周ってみるが、靴の置いてある店は無かった。こうなると虱潰しに靴のある家を探さなくてはならない。


「はぁ」

 がっくりと肩を落とす。気を取り直して家屋に入ろうとした時だ。


 視界の端に人影が見えた。決して見間違いではない。鹿でも兎でもなく、あれは人だった。

 考えるより先に体が動いた。人影を追いかけるが、すぐに見失ってしまった。


「ああ、もう! 靴さえあれば……」

 地面を見れば、血の跡が別の道へと続いていた。他に手掛かりもないので、その血痕を頼りに道を進む。辿っていくと、最終的に小さな家の中へと入り込んだらしかった。怪我をしているなら手当てしなければ。僕はドアを開けて中の様子を伺う。


「……?」

 誰もいない? けれど血痕は確かにこの家に……。


「!?」

 ヒヤリ、とした。喉元にギラリと光るナイフを押し付けられていた。ドアのすぐ横に隠れていたのか。


「……あいつらの仲間じゃないみたいだね」

 あいつら? 仲間? 何の話?

 僕は解放され、後ろを振り返る。桃色の髪をしたお姉さんがそこにいた。右腕に大きな傷があり、手で押さえたそこから血が流れ落ちている。お姉さんが何者かはともかく傷を手当てしなければと提案しようとしたが、相手のほうが先に口を開いた。


「君みたいな子供がどうして呪われた街に? 親は? それに、どうして私の場所がわかったの?」

「……傷の手当てをしないと。お姉さん、誰かに追われているんでしょ。血の跡で場所がバレてしまうよ」

「ああ、それで……」

 納得がいったようで、眉根を寄せながら傷を見る。

 袋の中からいくつかの布を取り出して割く。お姉さんの傷に布をあてがい、縛る。


「これぐらいしか出来ないけれど」

「悪いね」

「さあ、悠長に話している暇はないよ。何処か別の場所へ身を隠そう」

「君、何者?」

「僕? ただの子供だよ」

 お姉さんを連れて裏口から出て屋敷を目指す。あの地下室なら追手をやり過ごせる筈だ。




「ここ、君の家?」

 お姉さんは大きな屋敷を見上げている。


「ううん。居候してるんだ」

「居候ね……」

 今度はジト目で僕を見た。ギリギリ嘘は言っていないと僕は思った。


「この街の子じゃ無いでしょ?」

「……そう。もっと遠い場所から来たんだけど、色々あって」

「うわっ、君よくこんなところに潜伏しようと思ったね」

 お姉さんは書斎の白骨死体を見つけてそう言った。


「ここに地下室への入口があるんだ。本棚が隠し扉になっているからそう簡単には見つからないと思うよ」

「出会ったばかりなのにそんなことまで教えちゃって平気なの?」

「うん。だってお姉さん、悪い人には見えないから」

 灯りのついた螺旋階段を降りていく。


「……ありがとう?」

「はは。何それ」

 久し振りに声に出して笑った気がして、自分で少し驚いてしまった。本当にいつぶりだろうか……。


「居心地は悪いかもしれないけど、しばらくここで過ごせば良いよ」

 培養槽と魔法陣のある地下へと案内して、部屋の隅に荷物を置く。袋の中から干し肉と水筒を取り出してお姉さんに渡そうと振り返る。


「これって……」

 お姉さんは魔法陣を指でなぞりながら何やら思案していた。


「これが何かわかるの?」

「何かを召喚したのか、それとも錬成したのか私には詳しくわからない。……どちらにせよ生贄が必要だった時点でろくなものじゃないと思うけど」

「生贄? この中のもの?」

 ぼんやりと光る培養槽の一つに手を這わせる。


「恐らく元はヒトね」

「これが……?」

 液体に浮かぶなり損ないの虚ろな瞳が、僕を見ている気がした。


 僕たちは地下室の壁に背を預けて時が経つのを待った。


 この街は呪われた街と呼ばれていて、人は滅多に近寄らないらしい。

 お姉さんの追手はこの街の噂を信じているから、中まではきっと追ってこないだろうと言っていた。数刻ここに潜伏していれば追手も諦めて帰るかもしれないが、その間腕の傷をそのままにしておくわけにはいかないと思い、僕は後で屋敷の中に救急箱が無いか探しに行こうと思った。


「そうだ。まだ名乗ってなかったね。私、アンリって言うの。君、名前は?」

「僕の名前?」

「そう。まさか名前が無いなんてことないでしょう」


 お姉さん──アンリが笑う。


 僕は『灰戸灰はいとかい』だ。そう名乗っても良かったけど、名乗ってしまったら『灰戸灰はいとかい』だった頃のように誰からも愛されない人生になるかもしれない。折角生まれ変わったのだから、この人生では、人に愛されてみたい。


 その為には、きっと『灰戸灰はいとかい』のままでは駄目なのだ。


「……『グレイ』」

 咄嗟に出てきたのは、唯一の友達、灰色の猫の名前だった。

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