第14話 


 その微笑は……それまでの楽しそうな笑顔とはまるで違うものだった。

 

「だから、今日はごめんなさい、修二。メイ。彼を家まで送ってあげて」

「……分かりました。修二様、今回柚香様をお助けいただきありがとうございました。こちらお礼になります。足りないようであれば、こちらの番号におかけください」


 そう言って、メイドは俺に万札の詰まった封筒と連絡先が書かれた名刺を渡してきた。


 俺はその封筒を見ながらも、橘の寂しそうな表情が目に焼き付いて離れない。

 それは、あいつらの顔に、似ていたから。


 レティシア、フェリス、リアンナたちが……俺に死にたくないと泣いてきたときと重なってしまった。

 ……はぁぁぁぁ。


 俺は大きなため息を吐いてから。頭をかく。

 ……なんでこう、どこの世界でも何かしらで悩みを抱えている奴がいるんだろうなぁ。

 そして、なんでどうにかしてやりたいって俺は思っちゃうんだろうなぁ。


「別の報酬を頼んでもいいか?」


 メイに封筒と名刺を返しながら、俺はそう問いかける。


「……別の報酬でしょうか?」

「ああ。……橘。俺がお前の騎士様をやったら、お前は普通の生活を送れるのか?」

「え?」


 驚いたように橘が目を見開き、こちらを見てくる。

 さっきの今で、気恥ずかしい。

 魔界の門を破壊しに行った時は勝手に一人でやったからこんな恥ずかしい気持ちはなかったが、今回は状況が違うからな。


「俺が、騎士様になって……ちょっとでもお前が普通の生活を送れるっていうのなら……まあ、手伝ってやらんことも、ない」

「……騎士様に、なってくれるの? キミの、普通は遠ざかっちゃうかもしれないよ?」

「別に。そんくらいは……まあ、な。俺は俺で、俺なりの普通の生活を求めるだけだ」


 ……もう今さらだしな。

 未来ある若者のために、力を貸してやった方がいいだろう。

 それにまあ、普通の生活も楽しみではあったが、このお嬢様のもとでの生活もそれはそれで楽しそうだしな。


「やった! 演技大成功!」

「よし、契約キャンセルで!」

「ダメダメ! これからよろしくね、私の騎士様!」


 笑顔で俺に抱きついてきた彼女を受け止めながら、ため息を吐く。

 ……このお嬢様、案外素直じゃないかもな。


 何が……演技大成功だってんだ。

 彼女は多分、冗談を言わないと気が済まない性格なんだろう。それは彼女なりの、毎日を楽しむためのものなんだろう。


 こちとら、散々色々な人と関わってきて、嘘をついているかどうかはなんとなく分かる。

 彼女の冗談を、見抜けないほど間抜けじゃないんだよ。





 橘の騎士様……という名のボディーガードになった俺は、今後はこの屋敷で生活していくことになった。

 とりあえず、今借りているアパートはメイの方で契約を解除してくれるらしく、荷物などもあとで運んできてくれるとのこと。

 そんなこんなで、俺はシャワーを浴びた後はすやすやと夢の世界へと旅だっていたのだが――。


 体が、誰かに揺さぶられている気がする。

 ゆっくりと目を覚ました俺は、ぼんやりとした頭で口を開いた。


「……レティシア?」

「……柚香だよ?」


 ちょっとばかりの不満げな声が返ってきた。

 ……いつもの、俺にとっては聴き慣れてしまったレティシアの声ではなく、そこには橘がいた。

 なんだか、不満そうに唇を突き出している。


「……なんか不機嫌そうじゃないか?」

「さっきね。なんだか、他の女の名前で呼ばれた気がしたんだよね?」


 おっと、どうやら嫉妬されているようだ。

 い、いつも……レティシアがだいたい起こしてくれていたせいで、うっかりその名前を呼んでしまった。

 ……彼女たちとはもう会えないんだよな。少しばかり、寂しさを感じながらも、今はこの状況をどうにかするのが先だ。

 むすーっと頬を膨らましてこちらを見てくる彼女に、苦笑を返す。


「いやいや、ゲームの夢を見てたんだよ。ま、そういう意味では他の女ってことには間違いないかもな」

「ふーん……そうなんだ。ふーん」


 ……ゲームのキャラ、と誤魔化してもまだぷんすか頬を膨らませている。


「まあ、別にいいけどね。とりあえず、おはよう」

「おはよう」

「騎士様なのに、主よりねぼすけなのはよくないんじゃないかな?」


 橘はからかうような調子で首を傾げてくる。

 別に、昔は普通に仕事をしていたので、朝にも強い方だった。ていうか、起きるしかなかったんだけど。

 ただ、異世界に召喚されてから世話好きなレティシアが俺のことを起こしてくるんだよな。


 異世界に行った直後は、なんだか体が慣れないせいかよく寝坊してしまい、気づけばレティシアが俺の目覚まし担当になっていた。

 そして、気づけば俺が早起きすると不機嫌になるようにまでなってしまった。


 俺を起こすことが、レティシアにとっての一日の始まりを告げるルーティンのようなものだった。

 なので、彼女に起こされるまでは仮に早く起きても寝たふりするか、二度寝をするのが当たり前になり、すっかりだらけてしまった。

 まあもちろん、寝ている間に何かあっても対応できるように魔法の準備は常にしていたんだけど。


「朝ごはん、食堂で用意してるから一緒に食べよっか」

「それじゃあ、着替えてから向かうな」

「了解。お着替え、手伝おっか?」

「手伝ってくれるのか?」

「うーん……それはさすがに恥ずかしいかも」


 舌を出し、少し頬を染めながら橘は部屋を出ていった。

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