第20話
定期演奏会が近付いてきて、まぁた部内がギクシャクしてきた。結局、私は今年もドラムを担当しないで過ごすことになった。私は一向に構わないんだけど、やっぱり裕子ちゃんは気になるみたいだ。たまに申し訳なさそうな顔で私を見てる。
森田先輩はというと、私の選択を尊重してくれているらしい。と思っていたのに、腕をぐいぐいと引っ張られて、トイレに連れて行かれた。いつか、扉越しに会話したあのトイレに。洗面台の前に立つと、やっと手を離してくれた。だけどすぐに両肩をガシッと掴まれた。
「コンクール曲のスネア。木月に戻すから」
「はい!?」
「別にいーだろー? もうコンクールという本番は来ない。定期演奏会では「あたし達こんな曲をホールで演奏してきましたよ〜」っていう紹介みたいなもんだし」
「それは……そうかもしれませんけど」
「メダルの色に目の色まで変えてた連中も、定演ならガタガタ言わないだろうし。言っても、あたしが「最後はあいつに戻してやりたかった」なんて尤もらしい理由付ければ沈黙、撃沈。オーバーキルってワケ」
「勢い余って死んでるんですが」
先輩の言葉の意味は分かるし、実を言うとパートを変えるのはそんなに珍しい話じゃない。後輩に託すって意味で、ファーストを二年生に譲ったり、そういうのは時折耳にした。だけど、こんな土壇場で……もうあんまり日数ないのに。
「お前なら前日に言われても出来ると思ってたから、最初はそれで行こうと思ったんだけど」
「本当にやりそうで怖い」
「本気に受け取ってもらえない可能性があったから、いま言うことにした」
「十分正気を疑うタイミングですけどね」
定期演奏会はあと二週間くらいだ。森田先輩はおもむろに蛇口で水を出し、両手を洗った。意味が分からないけど、先輩はいつもそんなだからほっといた。
「で。やるの? やらないの?」
「やりますよ」
滝か? ってくらいの勢いで蛇口の水が出ているので、結構大きい声で言った。そう、私はやる。最後に、先輩に暴れたがってる私とやらを見せてやる。もう嫌なトラウマも克服した。嫌というほど練習したフレーズを、たった一ヶ月そこらで忘れる訳が無い。来年の今頃だって曲が流れれば、私はきっと無意識で体に染み込んだフレーズを叩くだろう。
「よく言った! 偉い!」
「何すんですか!」
先輩はびしゃびしゃになった手を私の両肩に置いた。冷たい。え、普通こんなことする? この人、やっぱり相当変人だ。だけど、私は、この人がなんだかんだ好きだ。面白いし、私のことを考えてくれてるから。
「あー。めっちゃ嬉しい。やっと全力の木月の演奏が見れるのか」
「大袈裟ですよ」
「あたし、先に戻ってる。お前の楽譜とあたしの楽譜、また交換だな」
「はは。私達、楽譜交換しすぎですよね」
「ついでにIn The Moodの楽譜も交換しようか!」
「先輩ドラムじゃないですか! やめてくださいよ!」
私の抗議の声を華麗にスルーして、彼女はタッと走り出した。コンクール曲だけなら全然いいけど、今からIn The Moodはさすがに無理。ジャズは嫌いじゃないんだけど、あの曲を叩く森田先輩を見る度に「うわ面倒くさそう」と思ってるから。あと、シンバルレガートと同じリズムで刻んでるトライアングルのパート、結構気に入ってるから。色んな意味でイヤ。
***
定期演奏会直前、動画を四つ投稿して、五つ目を投稿する頃。私はやっと、バンドメンバーの三人に活動のことを教えた。ちなみに、二つ目を投稿した後、帽子を被って演奏したのを撮りに行ったので、ストックが四曲増えた。
「言うの、絶対遅かったよねー……」
部活から帰ってきた私は、着替えだけ済ませるとベッドに寝転がった。今はごろごろしながら、スマホを見つめている。っていうか帰ってきてからもう十五分経ってる。時の流れってたまに怖くなる。
背中を押してくれたチルは「なるほどー」なんてスタンプを送ってくれた。だけど、鳳と琴子からの返信は無かった。勝手にそんな活動をしたから怒ったのかなって、かなり心配になった。
鳳は約五分後、琴子は約十分後に感想を送ってくれた。URLを教えてもらってすぐに見に行って、そのまま見入るなんて、なんていうか二人らしい。
『さすがなつきさん。二曲目の選曲がかなりエキセントリックでしたが、演奏は素晴らしいです』
『なつきすげー! これ編集とかも一人でやったの!? ヤバない!? っていうかコメントしてきていい!?』
二人とも、同じことについて話しているのに、文面が全然違くてちょっと面白い。選曲について言い訳をさせてもらいたかったんだけど、その前に琴子にメッセージを送るのが先だと思った。この勢いなら、コメントに私の本名を含んでもおかしくないと思ったから。
『コメントは大歓迎だよ! あ、でも、身元を明かすつもりはないから、配慮してくれると嬉しい』
『当たり前じゃん、分かってるって! それにしてもホントにすごいよ! 顔を出せないって条件を逆手にこんな視点の動画撮るんだもん!』
『そう、かな?』
『そうだよ!』
琴子の意見に賛同したのは、チルだった。
『そうそう。私もいま動画を観てきた。ドラム叩ける気分になった。いや、もしかして、自分で気付いてないだけで、私はドラムを叩けるのかもしれない』
『分かる!』
鳳は一人、理解しかねるという旨のスタンプを送り、二人の軽く電波なやりとりを電波を通して見守っている。三人は私の活動を応援してくれているということがやっと実感できて、嬉しかった。
『あっ。四曲目って、二曲目のコメントに付いていたリクエストなんですか?』
『あぁうん。たまたま叩けそうなヤツだったから』
WEBでリクエストなんて、もう一生されないかもしれない。できれば応えたかった。だから私は、一回目のストックを全部放出する前に、再び撮影に向かったのだ。リクエストされた曲は、いわゆる懐メロだった。知ってる曲だったし、私も嫌いじゃなかったし、何よりリクエストが嬉しかったし。あと帽子かぶって叩いてみたかったし。というわけで、まだに一発目に撮ったジャズだけお蔵入りしてる。もしかしたらもっとカッコよく叩けるかもだから、別にいいんだけど。
再生数はほとんどが二百くらいだった。WEBに投稿を始める頃の私が知ったら、きっと驚くだろう。そんなに再生してもらえてることも、今やそれくらいの数字が平均になってしまって、全く動じていない自分にも。
『リクエストの曲の伸び、すごいですね。桁が違う』
『あー。これ、こないだ別のアーティストがカバーしてた。名前忘れたけど、みんなも聞いたら多分分かる人』
『なるほど、昔からある曲かつ話題曲だったんだね!』
三人のマイペースかつ、互いの邪魔をし合わない会話を眺めてるのが好きだ。リクエストされた曲にそんな経緯があっただなんて知らなかった。この動画の再生数だけ、あと少しで三千回ってところまで回ってるのは変だなって思ってたけど。
そういえば、私は本当にテレビを観なくなった。観ないようにしてるんじゃない、どうでもよすぎて存在を忘れてるっていうか。人並みのアンテナを持っていれば気付けたのかも。というか、最近カバーされているなんて知らなかったから、古い曲の方に合わせちゃった。どうしよう、新しい方が聴きたかったのにって思われてたら。
『あっ! リクエストした人コメント付けてるじゃん!』
『うそ!?』
うそ!? って打ちながら「うそ!?」って言ってしまった。私は画面をスクロールしてコメントに目を通す。「リクした者です。原曲の方とは通ですね! かっこいい! ありがとうございます」。短い文章だけど、とりあえず喜んでくれているらしいことは分かる。
『よかったー』
『まぁ「原曲の方かよ」なんてコメントが付いたら我々が許しませんが』
『言えてる』
『そもそもちゃんと指定しないこの人が悪い』
『三人とも、空想のコメントにキレないで』
そうしてスタンプ合戦になったところで、なんとなくやりとりはお開きになった。枕に頭を置いて、お腹の上にスマホを置いて、じっと天井を見ていた。無地のクリーム色の壁紙はこういうときにつまらない。おばあちゃんの家は木目を目で追って遊べるから好き。
「いい友達、持ったなぁ」
しみじみと口にしてみる。私のことを褒めてくれる。私のことを認めてくれて、必要としてくれる。守ろうとしてくれる。いつか、三人にお返しができたらなんて考えていると、お腹の上でスマホが震えた。
「っくりした……通知だ。paraが雑談。へぇー。……は!?」
端末は私に、paraの配信が始まったことを知らせていた。そろそろ夕飯だけど、構わずイヤホンを装着してスマホを横持ちにする。腕が辛くなることが目に見えていたので、仰向けからうつ伏せに。枕にスマホを押し当てるようにして、画面を覗き込む。
『マジでゲリラだから! あはは!』
挨拶も無しに、彼女は開口一番そう言った。ドラムセットの上で胡座をかくように座っている。あれ、気を抜くと転げ落ちそうになるんだよな。
自身の左側にカメラを設置しているらしく、彼女の後ろにはバスドラやフロアタム、ライドシンバルが見えていた。今日は演奏するつもりは無いらしく、下はジャージだ。極端だな。まぁ動きやすいのはすごく分かるけど。
『前からこういうのやってくれって言われてたんだけど、paraちゃんってparaちゃんを見て欲しいんじゃなくてparaちゃんの演奏を見てもらいたいからさー。避けてたんだよねー』
『あっ、そうそう! ちょっと前に呟く系のアプリ入れたの! よかったらフォローしてね! 概要欄に貼っとくから!』
paraの話を聞いてると、なんていうか、すごく、普通の子だ。この、話がどっかに飛んでく感じも、すごく身に覚えがあるっていうか。これまで雲の上の存在だと思っていた彼女のかなり意外な一面っていうか。いや、私が勝手に神格化してただけ、かも。
『あ、ごめん、話を戻すね。まずは自己紹介とか? えーと、paraです。いやいや、っぱこれ要らなくない? 誰か分からない人の動画なんて見に来る?』
やれやれと呆れたようにそう言うparaを見て、まぁそういうのって挨拶だからと、声も届かないのに口に出しそうになった。恥ずかしい。
『あ、誰か分からない動画と言えば! 名前忘れちゃったんだけど、めっちゃ面白い子がいてさ! メガネ? サングラス? にカメラつけてドラムの演奏撮ってんの! すごくない!?』
再び飛ぶ話、着地地点には心当たりがあった。なんだ、私と同じことしてる人、他にもいるんだ。結構珍しいかなと思ってたんだけど。いやいや、珍しいからこうしてparaが話題に出してるのか。
『しかも、演奏がめっっちゃかっこいいの! しかもしかも、多分paraちゃんと同じくらいの女の子なんだよ! たまにちらっと見える指とか、paraちゃん女の子大好きだからチェックしちゃうんだよね〜。あれはぜーったい女の子』
「……え」
『演奏してる曲のジャンルも年代もバラバラでいいんだよ〜!』
「……」
太陽だと思っていたものが実はスポットライトで、その光が照準を定めて徐々に狭くなっていくような。その中に、ポツンと一人で立っているような。とにかく奇妙な感覚だ。彼女の話に当てはまる人物が、世界中に私以外いるんだろうか。
『いやー、あの発想いいなーって思った! どんなこと考えたらあんな視点の動画、思い付くんだろうね!』
胡座をかいたまま、彼女は少し前のめりになっている。ほっといたら前に転げそうだってくらい。また話が飛んでいるとコメントで指摘されたらしく、彼女は笑って話題を戻した。今日は溜まっている質問などの回答をするとかなんとか。
だけど、私の意識は切り替わらなかった。どんなこと考えてたらあんなの思い付くんだって、さっきの彼女の言葉がリフレインする。どんなことって、あんたのことだよ。バカ野郎。
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