第19話

 五時間目。数学の授業の傍ら、私はこっそりスマホを操作して、動画サイトを開いた。観れるようになってる。動画の説明、概要欄にはシンプルな文言がたった一言。「叩いてみました」。概要欄が長い人もいるけど、私は文章を書くのがあんまり得意じゃないから。本当は何も書かずに投稿してもいいくらいだったけど。

 よく見ると、再生回数が書かれてる。五回、再生されているらしい。五人もの人がこれを見てくれたのだろうか。それとも私もこの数字に含まれているのだろうか。もしかしたら、みんな少し観てすぐ離れてるかも。最後まで観てくれた人が一人でもいるのかな。

 最大で、たった五人。最後まで観た人がいるかどうかも分からない。だというのに、落ち着かなくて仕方がない。知らない人に自分を見られる経験なんて、いくらでもしてるのに。コンクールだってそうだ。他校の同じパートというのは気になるものだ。パーカッションの人にはパートが分かりやすい分、特に注目されやすい気がする。


「……」


 分かっている。パーカッションだって、絶対に何人かいる。少なくとも、私はパーカッションが自分一人なんて編成で演奏会に出たことはない。でも、この動画を観た人は、一瞬とはいえ、私だけを見る為に訪れている。いや、単純に目立つような形でネットに自分を晒すのが怖いだけかも。分からない。

 何気なく更新してみると、再生数が7になった。びっくりして声を出しそうになったけど、授業中なのでなんとか堪える。そうか、こうしている間にも、誰かが観てくれる可能性があるんだ。インターネットって、すごい。おじいちゃんみたいなことを言いそうになった。

 私はバンドの三人にこの動画のURLを送ろうとして、やっぱり辞めた。もうちょっと時間が経って、変なコメントが付かないのを確認してからにしようと思う。みんなに共有してから嫌なコメントが付いたら、なんか気まずいし。

 実を言うと、動画のストックはあと四本ある。不測の事態が起こる可能性も考慮して、スタジオはいつも練習する時と同じように二時間借りた。でも、撮影が順調にいきすぎて、時間を持て余してしまったのだ。残りの四曲は、流行りの曲とはほど遠い。昔、中学の頃。私がもっと部室で自由にドラムを叩けていた時代に、練習してきた曲ばかりだ。というか吹奏楽の定期演奏会でやった曲ばかりなんだけど。歌謡曲、演歌、当時流行った曲、ジャズ。とっさに叩けそうなものを選んだとは言え、我ながらめちゃくちゃな選曲だと思う。

 動画は四つとも、全て編集済みだ。というか投稿ボタンが押せないから、急いでやる必要の無い作業ばかりが進んでしまった。これでボロクソに言われたら日の目を見る機会すらないというのに。

 顔を上げると、初めて見る記号が黒板に書かれていて、かなり焦った。


***


 部活の帰り道。私はのんびりと歩きながら、スマホを手に取った。手前の信号がそろそろ点滅しそう。あの信号は結構長いから、普段なら走って渡っちゃってると思うけど、私は歩調を変えず手元に視線を落とした。計算した通り、私が辿り着くと同時に信号は赤になる。しばらく待たされることが確定すると、動画アプリを開く。

 再生数は29。すごい、午後の授業と部活が終わるまでの間に、こんなに伸びているなんて。いや、こんなに……? 初投稿の自分には基準がないから、何も分からなかった。


「えっ」


 新着コメントが一件。らしい。どうしよう、酷いこと言われてたら。いや、どうするも何も、事実なら「はい」って受け止めるしかないと思うけど。そうなったら、琴子達に付いたコメントのことも合わせて動画のことを教えよう。っていうかコメントって、最悪消せるよね、多分。


 ——この視点の動画は初めて見たw


「……」


 なんか、喜んでくれてるっぽい? 上手いとも言われてないけど、消す必要が無い動画だってことは分かる。よく見ると、動画に三つの高評価が付いていた。


「やった! あっ」


 大きなダンプがガタガタブロロと通り過ぎて、思わず上げてしまった声をかき消してくれた。顔を上げたタイミングで、信号が青になる。私は、特に急ぐ用事もないのに走り出した。

 帰路の中で、気付いた。あのコメントをこんなに嬉しく思う、自分の気持ちに。批判されなくて良かったとか、そんな消極的な気持ちなんかじゃない。いや、それも多少あるかもしれないけど……。演奏を聴いて、上手いねって言ってもらうよりも、楽しかったって言ってもらえる方が、私は嬉しいんだろうなって。どっちが立派だとか、きっとそんな話じゃない。単純に好みの話っていうか。

 誰かを楽しませるって、すごく難しいことだと思うから。合奏で微妙にズレてはみんなをアンニュイな気持ちにさせてきた私だから、余計そう感じるのかもだけど。

 とにかく、投稿して良かったと思う。なんとかして吐き出したくて、でも声を出す訳にはいかないから走り続けた。多分、体力が尽きたら、普通に歩くと思う。その前に家に着きそうだけど。家に着いたら、その衝動のままパッドを叩こう。こんな調子で今晩眠れるのかって、ちょっと心配になってくる。寝れたとしても、きっと私はドラムやバンドの夢を見るんだと思う。寝ても覚めても、居ても立ってもいられない。それが今の私だ。



***



 動画を投稿してから三日後の午後。私は部活から帰ってきて、家で遅めの昼食を摂っていた。昨日の残りを処理してくれて助かるわーと笑う母と、昼からハンバーグを頬張れることを喜ぶ私。完全にwin-winの関係である。ハンバーグを焼いた後、残った汁とか油にケチャップとかソースを入れて作るソースが、すごく好き。ご飯おかわりしよ。

 炊飯器を開けて一杯目と同じ調子で盛りつける私を見て、「あんた、夕飯入るの?」と心配する母の視線に気付く。だから聞かれる前に言っといた。「夕飯は別腹だからへーき」って。夕飯そのものが別腹って、よく考えたらチートだな。

 米とハンバーグと、たまにサラダをパクパクと食べる。きっと母は、いま私が動画投稿のことを考えているだなんて微塵も思っていないだろう。コメントはあれっきり付いていない。だけど、再生数は70を超えた。調べてみると、これはかなり幸運な伸び方をしている。100を超えたら撮り溜めした次の動画を出そうかと思ってたんだけど、もっと気楽に、再生数なんて気にせずにやるべきだって考え直しつつある。


「ごちそーさまー」


 綺麗に食べ終わった食器を片付けて、私は自室へと戻った。スマホを手に取ると、撮り溜めした動画を一つずつ観ていく。そして気付いた。


「同じ服着てる……」


 恥ずかしい。やだ。着替えくらい持っていけば良かった。撮り溜めしたのバレバレだし、その辺に無頓着なのもバレバレだし。paraはいつも、可愛い恰好をしている。いや、そのせいで生足がどうのって騒ぐ厄介なファンがいるのかもしれないけど。


「……ま、いっか?」


 一回スタジオに入ったら何曲か撮っておくって、きっと結構普通のことだし。気の利く子は着替えるんだろうけど……。結局、簡単に割り切ることもできなかったので、色々な動画を観てみることにした。結構な人が同じ服のまま、いくつかの動画で演奏している。それを確認した私は、ようやく自らにGOサインを出した。逆に、この服に統一しちゃうのもありかも、とも思う。いちいち服装考えるの面倒だし。

 動画アプリを開いて、投稿する動画を選ぶ。まだ決まってない、迷ってる。演歌か歌謡曲かジャズか、この三択。少し前に流行った曲は、またの機会にするつもり。よく考えたら、初めに投稿した動画の曲と発売時期が被ってる気がしたから。


「やっぱり、これかなぁ」


 叩いていて一番気持ち良かった、演歌の曲を選んだ。演歌って私達の年代じゃ滅多に聴いてる人がいないジャンルだけど、よく聴くと後ろの演奏がカッコよかったりするから侮れない。ちなみに吹奏楽で演歌をやると、パーカッションは結構な確率でヴィブラスラップのパート、つまり小物の取り合いになる。カーッ! ってやつ。あれ、楽しいんだよね。


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